矜持

文字数 1,757文字

 暴動の鎮圧後も残された見るに堪えない残骸に、自分の夫がその鎮圧に当たらなければならない事を恨んでいた矢先、聡美の携帯電話に連絡が有った。それは彼女が最も見たくなかった番号からの着信で、先の暴動鎮圧に出動したエンリケが負傷のため戦線を離脱したとの知らせだった。
 しかし、鎮圧しきれなかった暴徒が潜伏している可能性は高く、エンリケが派遣されていた広島市は勿論、聡美が身を寄せる実家が有る呉市も住宅街にまで暴徒が流れ込んでいるほどの状況で、庭先に出るのも覚悟が必要な状況はまだ解消されていなかった。
 聡美は散々に、戦争をしてはいけない、核兵器など無くさなければならないと祖父母から聞かされて育っていたが、戦争でもなければ、核兵器も使用されていないにもかかわらず、彼女とエンリケを隔てるのは武装勢力の危険である。
「なんでかな……聡志だって、パパに会いたいよね……」
 住宅地の路上にはまだ火炎瓶の残骸が散らばり、万が一急病人が出ても、救急隊が安全に到着する事が難しい。聡美は我が子に何も無い事を祈りながら、早く路上の片づけをして欲しいと思っていた。ただ、その作業に当たるのもまた、夫と同じ傭兵達であり、潜伏している可能性の有る武装過激派との衝突も有り得る事が悲しかった。
 結局、聡美が家を出られたのは、一夜が過ぎた翌日の事。その朝になって漸く危険物は全て撤去され、見るに堪えない看板も片付けられていた。だが、民家の塀に残る黒い煤はは落ち切っておらず、血痕の消毒に使われたらしい消毒液の臭いや、消化器が使用された痕はまだ残っていた。
 聡美が依頼したタクシーは安全な道を選びながら一路広島市を目指すが、広島市内には検問が設けられ、足止めされた運転手が警察官と押し問答になっている様子も見受けられる。聡美を乗せたタクシーが検問に達したところで、移動の理由伝えるのは答えるのは聡美である。
 聡美は特殊警備員の夫に会う為病院へ向かうと言うが、対応した警察官は特殊警備員による暴力的な鎮圧こそがこの騒動の原因だと考えており、聡美に向けてその恨みを吐き出した。すぐに別の警察官が問題の警察官を引き離し、責任者らしい警察官も謝罪に来たが、聡美は終始眉を顰めていた。
 そんな中で辿り着いた病院も、駐車場に入る車両は守衛による監視を受けており、院内に入るには身分証を提示し、手荷物検査を受ける必要が有るほど厳重な警戒がなされていた。だが、道中でタクシー運転手が語ったところによると、広島市内での暴動は今までの抗議活動とは桁違いのは激さで、鎮圧直後には火炎瓶や鈍器が散乱していたほか、発砲音さえ聞こえたという。
「お見舞いの方ですか?」
 病棟に入ると、防具を身に付けた若い女性が聡美に声を掛けた。エンリケが所属している特殊警備会社の職員である。聡美は正直に夫の見舞だと言うと、その女性はすぐに病室へと聡美を案内する。
「此処にも、過激派の方が?」
「来るかもしれないと。ただ、此処じゃあフランジブル弾しか使えないので、少し怖いですけど……こちらですね、旦那様は手前左側のベッドですよ」
「ありがとうございます」
 聡美は小さく頭を下げ、病室の扉を開ける。ベッドを仕切るカーテンは閉め切られており、室内は静まり返っていた。女性警備員の言葉通りにカーテンを開けると、其処には、ずっと会いたかった夫の姿が有った。
 ベッドの傍らに用意された椅子に腰かけた聡美は、床頭台に置かれたペンダントに目を瞠った。それは結婚した時に二人で購入したロケットペンダントだったが、何か強い衝撃を受けたのか、変形していた。首に掛けられる様にと着けていたチェーンの金具が壊れている事から想像されるのは、身に付けていた状態で撃たれたのだという事。
 聡美は眠っているエンリケの、少し伸びた髪を顔から払う。すると、エンリケは目を覚ましたようだった。
「あ……」
「どうして……」
「そんなの……会いたいからに決まってるじゃない……私の一番誇らしい旦那様で、聡志のパパなんだから……」
 聡美には分かっていた。まだ危険が去ったわけではない中、更に危険な場所に来た事を心配されているのだ、と。
「無事だって分かっていて会えないなんて……そんなの、いやだから……」
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