真実

文字数 1,495文字

「……総務の方に挨拶出来なかったのが、ちょっと心残りです」
 土谷の車に戻った和歌子はシートベルトを締めながら呟いた。
「まだ退職が決まったわけじゃねえんだし、後から総務の担当が連絡を寄越してくるだろう。その時でいい。何なら俺が伝言を頼んでおく……もう少し、警察の仕事は続くだろうからな」
「土谷さん……」
「それはそうと、マンションの方だが……俺の方で配送会社を手配するが、それでいいか?」
「え……」
「こうなっちまったのは俺の所為でもある……金はこっちでどうにかする。とにかく今は、安全な場所で過ごして欲しい」
 和歌子はこの時理解した。土谷が不幸である事、そして、自分も不幸である事を。
「……分かりました。後の事は、お任せします。家財道具が戻ってくる事は……家族に説明します。引っ越し費用は……職場が出してくれたって事にします。ただ……退職するって事は、どうしましょう」
「復職してもやる仕事が無いと宣告されたと言っておけ。さっきも言ったが、総務の方が改めて連絡を寄越してきたら、暫く間を空けて、また繁忙期に使ってくれとでも頼んでみろ……元はと言えば、繁忙期の臨時職員だったんだからな」
「そう、ですね……」
 警察署から自宅まで、自動車で移動すればさほど距離があるわけでもない。車は程無くして、和歌子の自宅の敷地へと戻る。
「……土谷さん」
 土谷は後写鏡越しに和歌子を見遣った。
「多分、もう、お会いする事は、無いでしょうから……今まで、ありがとうございました。協会で働けたのは……土谷さんが居たからです。本当に……ありがとうございました」
「そう言われちまったら……謝り様が無くなるから、止めてくれ。俺の方こそ、こんな事に君を巻き込んでしまって、ただ申し訳ないと思っている。その責任もロクに取れないまま、こんな終わらせ方にしてしまった事、謝る言葉が無いし、もう守る術も無くなってしまう事を、許してくれとも言えない。ただ……申し訳ない」
 和歌子は首を振った。
「そんな風に言わないで下さい、私は……貴方に守ってもらえて、幸せでした」
 土谷は目を瞠った。
「そんな……守られたのは、俺の方だ……実弾入りの拳銃を突き付けられた時、君があんな風に問い掛けなければ、俺は銃を抜く事が出来なかったんだぞ?」
 振り返る土谷に、和歌子は再び首を振った。
「そんな風に思わないで下さい……私は貴方に守って貰わなければならなかった、私は貴方を利用した、それなのに」
「俺は」
 和歌子の言葉を遮りながら、土谷には続く言葉が浮かんでいない。
「俺は……君を利用しようとした……君よりも、ずっと浅はかな理由で、俺は」
「いいんです。もう、いいんです。貴方が……貴方が浅ましい密偵なんかじゃない事が分かったなら、私は……貴方の為に働けて、幸せでした」
 それは、最も言われたくない言葉だった。土谷にしてみればあれは、罵られ、張り倒されてもいいほどの行為だった。
「そんな……」
「だから……どうか、自分を責めないで下さい、私は……貴方が、とても真摯で、思慮深くて、傭兵の本分さえ投げ出せる人だと分かって……今、そう思えるんです。だから、そう思わせてたままで居させて下さい。私にとって貴方は、浅ましい人間なんかじゃないんです」
 土谷は和歌子の顔を見る事が出来なかった。
「……まだ、色々とご迷惑を残したままになっていますが……私の傍に居たのが、貴方でよかったと思っています。だから……信じています」
 言って和歌子は車の扉を開けた。
「……無事で居てくれよ、これから先も、ずっと」
「……はい」
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