垣間見た本性

文字数 1,867文字

 留学生向けの生活情報誌を編集していた凛は、オンライン版のアップロードを依頼すべくマイルズを探していた。だが彼の姿は何処にも無く、彼女は途方に暮れていた。
 ――こんな時、石川さんが居てくれれば。
 凛は採用された当初、入り組んだ廊下で何度も迷っていた。そんな彼女を助けていた石川は、凛にとって協会内で頼れる数少ない人間の一人だった。だが、今日は石川は夜勤明けで休暇の為、この時に限って彼は居ない。
 途方に暮れて歩く内、凛はまた庁舎内で迷っていた。
「あ、ここは……」
 気が付くと彼女の目の前には書庫があった。そして、見知らぬ男とマイルズが英語で何かを放しているのを目にした。
〈あれでは威力が足りない、爆発で殺せるだけの威力が必要だ、もっと燃料は無いのか?〉
〈此処で準備出来るのはあれが精いっぱいだ。だが、爆発で殺す必要は無い。歩道には出迎える人間が集まる、爆発でイチマツノミヤを車の外に出し、そこに我々の同胞を派遣すればいい〉
〈警備が厳しくて無理だろう?〉
〈そんな事は無い。ヒノマルを持って笑顔で立っていればいい、その瞬間まではな〉
〈だが、身体検査をされたら終わりだ〉
〈マリーBが居れば素手で十分だ。少し頑丈な指輪を付けさせておけば、なおいい〉
〈マリーB一人では足らない、他には誰がいい〉
〈Cドッグ〉
〈あの犬はだめだ、うつをこじらせている〉
〈LSDをほんの少し混ぜたコークを飲ませてやれ。シェルターから引きずり出す時に、いくらか抗うつ剤を飲ませてからな〉
〈考えておく〉
〈頼んだぞ〉
 凛は立ち尽くしていた。英語は苦手だったが、それでも、何か物騒な相談をしている事だけは理解して。しかし、逃げ出せなかった。足が竦み、動けなかった。気の良い黒人男性だったはずのマイルズが、とても危ない事をしようとしている人物に見えた事が、あまりにも衝撃的で。
 会話を切り上げた直後、振り返ったマイルズの目は立ち竦む凛を捉えた。マイルズは冷徹な眼差しで凛に近づくと、瞬間的に口を塞いで物陰へと彼女を押し込んだ。
 配電盤の為に作られた、薄暗い空間。唯一の証明である電球も切られたその空間に放り投げられるまま、凛は首を振った。
「わ、私、え、英語は」
 マイルズはその空間に差し込む僅かな明かりすら遮る様に立ちはだかり、凛を見下ろしている。
「私、私何も言いません、誰にも言いません、マイルズさんが、悪い事をする人だなんて、思ってませんから!」
 凛は叫びながら悟った。この男は、この言葉をは待って居たのだ、と。
「約束ですよ」
 恐ろしく低い声が、凛の心臓に釘を刺す。
 マイルズは静かに振り返ると、そのまま歩きだした。
 凛はそれから暫くの間その場にへたり込んでいた、マイルズの計算通りに。しかもこの日は、幸いにして、凛を気に掛ける石川は居ない。マイルズは石川と凛の関係を把握してはいなかったが、この場では命拾いをしていた。
 マイルズの気配もすっかり失せた頃、立ち上がれた凛はこの空間が何処か分からないまま、ふらふらと歩く事しか出来なかった。導いてくれる存在が居ない事の心細さを思い知る様に。
  そうして訳も分からず歩き回る内、凛はどうにかして広報部の事務所へと戻っていた。
「リン、何処に行っていたの? マイルズがパンフレットのデータを出してほしいって言ってるわよ」
 凛を探していたアイシャは不思議そうに問い掛け、データの提出を促す。凛はマイルズの名前に恐怖を覚えながらも、平静を装って、また迷子になっていたのと笑って返した。そして、どんな顔をしてマイルズに声を掛ければよい物かと思案しながら企画課の事務所に入り、何食わぬ風を装って声を出した。
「あの、マイルズさん、パンフレットの件なんですけど」
「データは出来ていますか?」
 其処に座っていたのは、彼女が良く知る大柄で気さくな男だった。
「は、はい、私のストレージに入っているので、使って下さい」
「分かりました。それと、次の仕事なのですが……今後、白鳥政権が法定外滞在者の救済に乗り出す可能性があるとはいえ、早とちりをしてこれで定住できると考えている方がいます。そこで、本部から正しい情報を周知する為の資料が送られてきています、この支部でも独自に広報活動を企画するので、ポスターを作っていただけますか?」
「はい……早速、資料を見て見ます……」
 凛はただ其処にマイルズが居るだけで圧力を感じながら、いつも通りの仕事に取り掛かる。
 誰の助けもない空間で。
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