12-2.約束

文字数 4,046文字

 不意に、体感重力が失せた。マリィを横たえたベッドの側、キースは思わず眼を天井へ。
 回転居住区が回転を止め、ゴンドラ・ブロックの床面を艇尾方向へ回転させる――その反動がわずかなGとなって身体へかかる。加速開始の、その兆候。
〈〝キャス〟、シンシアへコールだ〉
〈第3艦隊に動きがあったみたい〉〝キャス〟が先回りして説明を加える。〈宇宙港に張り付いてたフリゲートがこっちへ向かってきてる――いいわ〉
〈オレだ〉シンシアの声が聴覚に再構成される。〈いま接舷作業を中断した。艦隊を振り切る。〝キャス〟がデータを取りに来てるはずだ、詳細はそっちで聞いてくれ〉
〈オオシマ中尉は?〉
〈まずは敵艦を振り切るとさ〉作業中か、シンシアの声は素っ気ない。〈〝シュタインベルク〟をどうするかも当分お預けだ〉
 とは言え、解放したフリゲート〝シュタインベルク〟がロジャーを放り出して第3艦隊に戻るという選択肢はない。呉越同舟の共闘を選ぶか、改めて袂を分かつか、いずれにしろ追いすがる敵フリゲートを引き離してからの相談になる。
 口を開きかけたキースへ、シンシアが釘を差した。
〈まだ当分はお呼びじゃないぜ。以上〉
 一方的に通話は切れた。
 キースは鼻を一つ鳴らして、眼をマリィの顔へ戻した。
 結い上げた亜麻色の髪の下――覗いて深緑色の瞳、それがキースを見つめていた。潤んで涙、覆って瞼、さらに覆って白い指。隙間から雫が宙に漂う。
「……」
 両の掌の奥、声は言葉にならなかった。キースがそこへ、恐る恐る手を伸ばす。
「……どうして……?」
 かすれるマリィの声が、ようやくそれだけの言葉を紡いだ。触れかけたキースの手が止まる。
「……みんな一緒って言ったじゃない……」
 その涙声がキースの胸を貫いた。約束したはずの未来は、銃声一つで崩れて落ちた――他ならぬマリィの眼の前で。
「……マリィ……」
 ようやくの想いでそれだけを口に上らせる。約束を果たせなかった、その事実は何をどうやっても覆らない。
「……私が、」マリィが声を詰まらせる。「……私がいたばっかりに……」
「違う!」否定の感情が鋭く口を衝いて出た。その唇が震えて止まらない。「誰が死んでいいとか悪いとか、もうそういう話じゃないんだ!」
「解らない!」ヒステリックにマリィがもがいた。「それじゃ、アンナはどうして死ななきゃならないの? 何か悪いことしたの!?
「そうじゃない!」
「じゃ何!?」向かう先を探しあぐねた感情の矛先が、言葉になって迸る。「何がいけなかったの!?
 遮ろうとして、キースは言葉に詰まった。
 避けようがなかった、運がなかった――いずれも正しく、同時に間違ってもいる。突き付けられた問いの重さに、キースは遅れて気付いた。開きかけた口に言葉を乗せ損ねる。
「私がいけないのよ! 大佐のシナリオ通りに踊った私が悪いんだわ!」
「違う! 悪いことがあるとしたら――」キースが奥歯を軋らせた。それから吐き出す。「――そもそも俺が生き延びようとしたことが間違いさ」
「……そんな……」
 そして論理は堂々巡りに陥る。誰が死ねば事態は食い止められたのか――行き着く先は自滅志向か、それとも破壊の再生産に突き進むか。
「……私が死ねば……」
 枕元、キースの拳が突き立った。マリィが身体を硬くする。
「違う! ……断じて違う!!
 マリィの眼がキースの眼を覗いた。
「だって……」駄々をこねる子供のように、マリィがかぶりを振った。「……あなたは悪くないじゃない……」
「言ったろう、死んでいいヤツなんかいなかったんだ。アンナだけじゃない――」しばしキースがためらい、そして告げた。「――エリックも……」
「……ひどいわ……!」
 マリィの瞳がさらに陰る。エリックが生きていたら――キースの苦悶も、そしてマリィとの邂逅もあり得なかった。――そもそもの企みがなかったら。あるいはキースが最初に死んでいたとしたら。
「戦場なんだ、これが……くそ! こんなことが言いたいんじゃない!」
 キースが額へ掌を打ち付ける。
「解ってる。納得のいく説明なんざつけようがないんだ――ただ、これだけは解ってくれ」振り向いたマリィの瞳に訴える。「君は何も悪くない。アンナもそうだ。悪いわけでもなんでもなく、命が危なくなるんだ、今は」
「でも……こんなのって……!」
「……理不尽、だよな」マリィの独語をキースが継いだ。「……だから、今は生き延びなきゃならない。まともに生きて、それからまともに死ねるようになるまで」
 濡れたマリィの瞳が、その先を問う。
「……今は……?」
「そう、今は」キースが断じた。「何が何でも生きてやる。邪魔をするヤツを殺してでも」
「そうやって、」マリィが弱々しく言葉を紡ぐ。「また人が死ぬの?」
 同じところへ戻ってしまった、それを自覚しつつもキースは言葉を継いでいた。
「……殺さなきゃ、殺されるんだ……!」
 これもまた自滅への道と理解しながら、避けることのできない論理の落とし穴。
 沈黙がその場に降りた。
「……逃げましょ」ふと、マリィが呟く。「アンナが、言ってたみたいに」
「逃げるさ、」キースはマリィの手を取った。「これが終わったら」
「終わったら、って……」マリィはキースの瞳を覗き込んだ。「その前に殺されるわ」
「でなきゃ、逃げ場なんてないんだ」マリィの瞳を覗き返してキースが言い張る。「味方もいる。チャンスがあるとしたら今しか――いや、連中が逃がしちゃくれないさ。〝ハンマ〟中隊の連中が」
「無理よ!」マリィが声を震わせた。「エリックもアンナも……この上あなたまで亡くしたら、私……!」言葉が途切れた。マリィが眼を逸らす。頬に朱、顔に動揺。「私……!!
 キースの胸に重く衝撃。言葉を紡ごうとして、成せずにキースの口が泳ぐ。
 自分の命を心から案じるものがいた――その事実。自分を赦せるのか――その命題。それが互いに絡み合って胸の内から喉を塞ぐ。確かめたい衝動と、報われてはならないという自戒と。
「……俺は……」
 キースは言葉を詰まらせた。口中に猛烈な乾き。言うべき科白を探しに探し、果たせず真っ白になった頭の中から、思わず言葉がこぼれて落ちた。
「……俺は、死ぬことを許されてない――エリックにも、君にも」
 マリィの瞳、深緑色が複雑な感情を帯びた。
「そうだ。俺は死ねない」キースはマリィの頬に手を当てた。「死んだら、君を護れない」
 事実、キース達がやられれば、救難艇〝フィッシャー〟に乗るマリィや負傷者を護る人間はいなくなる。命運を共にしていると言っても過言には当たらない。
 マリィが瞳を閉じた。熱を帯びた感情と冷たい現実とを噛みしめる、それだけの間が空いた。
「……あなたが死んだら、私も死ぬのね?」
「……ああ」
 正確にはヘンダーソン大佐の肚づもり次第というところだが、その場合に明るい未来が待っているはずはあり得ない。
「……約束よ?」マリィの瞳が、キースを見据えた。
「ん?」キースが片眉を問いに躍らせる。
「死なないって」マリィが左手をキースの手に添えた。「勝つとか負けるとか関係なしに、生きて帰ってくるって」
「そうだな……約束だ」
 キースも左手を伸ばした。二人は互いの指を絡ませた。

〈変、です〉〝キンジィ〟が怪訝な声をギャラガー軍曹の聴覚に乗せた。〈フリゲートの軌道要素が変化してます。それに――〉
〈どうした?〉
 〝イェンセン〟のブリッジ、航法士席を間借りしているギャラガー軍曹が訊く。
〈第3艦隊に変化!〉火器管制管が緊張を声に乗せた。〈〝ダルトン〟と〝ソルティ・ドッグ〟が軌道要素変更――こっちへ向かって加速しました!〉
〈データ送れ!〉
 ブリッジ入り口からオオシマ中尉が指示を飛ばした。ブリッジにいる全員の懐から、ナヴィゲータが網膜へ戦術マップを送り出す。第3艦隊から宇宙港〝クライトン〟へ向かっていた揚陸艇5隻とフリゲート1隻の編隊から、揚陸艇〝ソルティ・ドッグ〟とフリゲート〝ダルトン〟が離脱しつつあった。
〈駄目、気づかれました!〉
 〝キンジィ〟の悲鳴じみた言葉が聴覚に乗る。受け止めたギャラガー軍曹はオオシマ中尉に振り返った。
〈バレました!〉ギャラガー軍曹が叫ぶ間にも視界の片隅、侵入状況をモニタしたウィンドウが〝キンジィ〟の苦戦ぶりを物語る。〈逆侵入を食らってます。撤退中!〉
 〝キンジィ〟と〝ネイ〟のばらまいた囮が次々と電子戦艦からのデータ・クラッシャに喰われていく。
〈データ・リンク切断!〉オオシマ中尉の命令が飛ぶ。〈逃げるぞ、加速開始!〉
 〝シュタインベルク〟と第3艦隊とを結ぶデータ・リンクを強制切断。時間を稼ぎつつ、〝キンジィ〟と〝ネイ〟が隔離を試みる。
〈〝シュタインベルク〟とのリンクも切れ!〉
〈了解!〉
 ギャラガー軍曹が〝イェンセン〟と〝シュタインベルク〟を結ぶレーザ通信を切断する。〝ネイ〟に宛てて伝言を残す暇さえなく、ギャラガー軍曹は〝イェンセン〟艇内へ侵入したデータ・クラッシャの捜索に忙殺された。
〈通信ホスト、航法ホストも――パフォーマンスが……!〉
 それきり〝キンジィ〟が沈黙した。
〈くそ、計器が……〉
 航法士が声を上げた。その目の前で計器の表示が固まっていく。一見して解る異状でこそないものの、刻々と変わるはずの軌道要素やエンジン出力値など、あらゆる表示の更新が止まっていく。
〈〝キンジィ〟が……!〉
 ギャラガー軍曹が携帯端末の接続ケーブルを操作卓から引き抜いた。が、接続ランプは点灯したまま消える気配もない。
 例えば船務システムが管理する酸素残量、または索敵システムが示す第3艦隊の相対位置、あるいは操船システムに示されるエンジン出力――船内システムの全てが硬直していく。自らの異常を検知することもかなわず、警告灯の一つも灯すことなく沈黙の底へ落ちていく。
〈やられました!〉ギャラガー軍曹が唇を噛む。〈〝キンジィ〟を通じてクラッシャが……!〉
 そして――ブリッジの全てが静止した。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み