4―9.照準

文字数 4,686文字

 ジャックはアルビオンの進路を変えた。
 母恒星〝カイロス〟が辺りの小麦畑をほの白く照らし始める頃のこと、トレーラの鼻先は農場の母屋へ向いていた。
「どうするの?」
 マリィがジャックへ問いを投げる。
「心当たりがある」ジャックは視線を前方から外さず応じた。「うまく行けば、いろいろ解決できる――臭いとかな」
 母屋の軒先にアルビオンを停め、ジャックは地上へ足を降ろした。
「ちょっと待ってろ」
 マリィへそう言い残すと、ジャックは母屋の門に歩み寄ってチャイムを鳴らす。初老の女がドアを開けた。
 小柄ながら筋肉質な体躯。ジャックの姿を見て、女は破顔した。
「おや、久しぶり」
「やあ」
 2人は短く挨拶を交わす。
「元気みたいね」
「そっちこそ」
 マリィは、トレーラの窓から2人を眺めやる。そこに女が眼を留めた。
「後ろの彼女は?」心なしか、女の顔が緩んでいる。
「俺の客でね」
「へえ、運び屋に転職?」女が、今度は明らかに笑う。
 ジャックがマリィを呼び、女2人を引き合わせた。
「よろしく、リサ・コリンズよ」
 リサが手を差し出した。マリィがその手を取る。
「マリィ・ホワイトです」
「で、今日は突然ね?」
 リサがジャックへ問いを投げた。
「突然で悪いんだが、」バツの悪そうにジャックが切り出す。「食料を分けてくれないか?」
「訳ありね」訳知り顔でリサが頷く。「中へお入んなさい。トレーラは納屋へ隠した方がいいわね」
 ジャックにアルビオンを納屋へ収めさせると、リサは2人を母屋へ招き入れた。
 ドアを閉める――と、リサの表情が硬くなる。「〝メルカート〟の手配書が回ってるわよ。何かあったの?」
 ジャックは肩をすくめて首を振った。「難癖さ。気が付いたら騒ぎがでかくなってた」
 リサはマリィへ一瞥を投げた。その眼付きを見たジャックが口を出す。
「違う。彼女は――」
「解ってるわよ、野暮言わないの」ジャックの言を、リサは封じた。「とりあえず朝食を何とかしないと。ああそれとも、シャワーの方が先かしら」
 マリィは、ジャックと眼を見合わせた。

「また!?」アンナが上げて呆れ声。
「〝また〟です」イリーナは頷いた。
 イリーナにもたらされた報告は、〝メルカート〟に〝賞金首ジャック・マーフィ発見〟の報がもたらされたことを示している――ただ、それが1日で334件目に上っていた。どれが本物でどれが偽物か、これでは見分けもついたものではない。
 アンナは小さく溜め息をついた。「これじゃ、眼だけが頼りかァ……」

 熱い湯が肌を伝う。マリィは思わず吐息を洩らした。
 亜麻色の髪を磨く。細く白い腕を洗う。形よく張った胸の膨らみに、引き締まった腹に、伸びやかな背に泡を立てる。細いながらに曲線を匂わせる脚を流す。汗と疲れが流れていく、その感覚。
 借り物とはいえ、周囲の眼を気にせずに済む浴室。その安心感の中で湯をたっぷり浴びたのは、果たしていつの事だったか――久しく遠ざかっていたような気がして、マリィは大きく息をついた。
 ふと思い出して入り口、その向こうへ眼を投げる。曇り窓越しに、服と一緒に置いてきた銃がある――はずだった。
 マリィは頭を振った。ジャックが太鼓判を押した相手の家の中、今さらどうこうあるはずがない。
 ではジャックなら信用するのか――素朴な疑問が頭をもたげる。
「……だって、しようがないじゃない」マリィは再び、湯を肌に這わせた。「どうにもならないじゃないの」

「この辺りは〝ランバート・ファミリィ〟が仕切ってたんだけどね」リヴィングで、リサは紅茶のマグ・カップを傾けた。「夫が彼らと〝メルカート〟の抗争に巻き込まれちゃったのよ。で、脚をやられて――」
 マリィが頷く。リサは左手のソファ、ジャックを示した。「彼がその時に助けてくれたの」
「俺は賞金首を挙げただけだ」
 首を振ったジャックに、リサが眼を細めた。
「その賞金を置いて行ったのは誰?」
「全部じゃないさ」
 ジャックが首を振る。リサがマリィへ向かって、肩をすくめてみせた
「ほとんどよ」リサはマリィに笑みを向けた。「あの時は助かったわ。色々ね」
 マリィは、ジャックを肘で小突く。「やるじゃない」
 降参したか、ジャックは居心地悪げに咳払いを一つ、話題を逸らした。
「で、本題なんだが」
「うちも備蓄がなくってね」リサが真面目な顔で応じた。「〝アンバー・タウン〟から取り寄せましょうか。今夜は泊まっていきなさい」
 そこで、玄関のドアが開いた。
「夫だわ」
 リサが立ち上がり、玄関の夫を迎える。言葉を交わすことしばし、リサと夫は、ジャックとマリィへ向き直った。
「マルコムです。ようこそ」
 夫――マルコムが手を差し出す。ジャックとマリィはその手を握った。
「事情はだいたい解った」マルコムが口を開く。「食料はあるだけ持っていけ」
「助かるが――いいのか?」
 ジャックが笑みつつ、眉をひそめた。
「構わんよ。ただ、早いうちにここを離れた方がいい」マルコムは声を低めた。「私はお前に恩があるが、他の誰が通報するとも限らん。この辺りにも苦しんどる連中が多いんだ」
「どっちにしろ、長居すると迷惑がかかる」ジャックが苦く顔を曇らせる。「済まない」
「とは言え、」マルコムは口の端を持ち上げた。「明るいうちは身動きとれんだろう。少しは休んでいくといい」

 ジャックとマリィの顔が納屋の前に覗く――その姿が、望遠スコープ越しに見えた。
 エリックは、ジャックの顔に照準を合わせる。自分と同じ顔――傷痕のないその容貌には、彼の記憶を刺激するものがある。
 ふと、考えが浮かぶ――彼と直接話をしたら、何が得られるか。
 視界には、全部で4人。
 呼吸を数回、彼は肚を固めた。

 足元、地面が弾けた。
「隠れろ!」
 反射、ジャックが叫ぶ。
 コリンズ夫妻は母屋へ跳び込み、ジャックはマリィの手を引いて納屋へ走る。
 2発目もやはりジャックの足元を抉った。構わず、ジャックは納屋へ跳び込む。ケルベロスを手に、外を窺う。
〈〝キャス〟!〉
〈こっちのセンサにはかかってないわ、農場のも――ああもう、あんな安物!〉〝キャス〟に悔し紛れの声。〈こんな田舎じゃ、外なんかロクに見えやしないわよ!〉
「野郎、わざと外して撃ちやがった!」
 ジャックが3人へ告げる。次いで、今度はマリィへ手を振った。
「隠れろ! トレーラの下へ!」
 マリィが従い、身をかがめたところで3発目。今度は、納屋の壁を抜き、トレーラの間近に着弾した。
 ジャックの眼にその形状が焼き付いている――GR13EX榴弾。
『降伏しろ。手を上げて出てこい』
 爆風の代わりに、言葉が鼓膜を打った。その気ならもう殺している――言下には、その恫喝。
〈アクティヴ・サーチ! 次は当たるわ〉
 源は先刻の榴弾。中身が爆薬だったわけではなく、通信機とセンサだったというだけのこと。次は確実に吹き飛ばされる――下手をすると4人とも。
 ジャックはマリィへ、次いでコリンズ夫妻へ頷きかけた。
〈〝キャス〟、敵は?〉
〈通信機の発信源なら南南西。あの2人見捨てるんなら――〉
〈やめとけ〉
 言いさした〝キャス〟を止めて、ジャックは通信機へ語りかける。
「解った。今出ていく」
「ジャック!」
 ケルベロスを納屋の外へ放り出す。マリィを促しつつ、ジャックは一人両手を上げて外へ出た。
『全員だ。並べ』
「……」
 ためらうような、一拍の間。
 ジャックは振り向き、マリィとコリンズ夫妻へ頷きかけた。3人が手を上げ、表へ出てくる。
 4人が揃ったところで、畑から敵が姿を見せた。
〈やっぱり農場のセンサに反応してないわ〉〝キャス〟が悔しげに独語する。〈この程度のステルス見破れないなんて、何て安物使ってんのかしら〉
 敵の顔を見たマリィが凍り付いたように動かない。ジャックの反応も大同小異。
「エリック……?」
 マリィが声を絞り出す。
 やや細めの顔立ち、鋭い眼、焦茶色の髪と瞳。ジャックと同じ顔がそこにあった――ただ一点、額から左頬へかけて走る傷痕を除いては。
「エリック……!」
「止まれ!」
 歩みかけたマリィへ銃口が向く。グレンAR113突撃銃――この距離で撃たれれば、軽装甲スーツさえ気休めにもならない。
「エリックでしょ?」
 足こそ留めたものの、マリィは続けて問いを向ける。声こそ違っているものの、その容貌はエリック・ヘイワードのものと違わない。
「あんた、」意外の一語を、傷痕の男――エリックは顔に描いた。「俺を、知ってるのか?」
「え……!?」今度は、マリィが驚いた。「覚えて……ない、の?」
「覚えてない」言ってから、エリックは思い出したように銃口をマリィから外した。「覚えてないんだ、何もかも」
 マリィが苦しげに息を呑む。
「私は知ってる」マリィは小さく頷いた。「――ええ、よく知ってるわ」
「お前の狙いは――」ジャックが言いさした。
「黙ってろ!」ジャックの問いを叩き斬り、エリックはマリィへ問いを向けた。「何を知ってる?」
「恋人が、知ってるくらいのこと」マリィの声が、小さく震えた。眼をエリックへ据えたまま、彼女は言葉をジャックへ振った。「ジャック、あなたは何も知らないの?」
「何も」ジャックに即答。
 マリィが深緑色の瞳を閉じた。すぐに眼をエリックへ向け直す。
「あなたの望みは?」
「ヤツ、だったが――」エリックがジャックを銃口で示した。「気が変わった。あんたから俺のことを聞きたい」
 感情が、ジャックの瞳に兆した。
「いいわ」マリィに頷き。
「やめろ!」
 マリィが意外の一語を顔に刻んでジャックへ向けた。その表情がふと和らぐ。
「ありがとう。でもいいのよ」
 マリィはエリックへ向き直った。歩を刻んでまず一つ。エリックも止めない。
「私が人質になるわ。彼らに手を出さないで、見えないところまで連れてって。そしたら全部話すわ」
 そう言うと、マリィはジャックへ振り返った。
「心配しないで、この人は敵じゃないわ。〝ハミルトン・シティ〟で会いましょ」
 それからマリィはコリンズ夫妻へも、「ありがとう、会えて楽しかった」
「待て!」ジャックの声に感情。
 驚いて、マリィは振り返る。
「エリックの事な、黙ってたが……」ジャックは焦茶色の瞳をマリィへ向けた。「俺は知ってる」
 マリィが眼を見開いた。
「知りたきゃ〝ハミルトン・シティ〟まで彼女を無事に連れて行け」ジャックはエリックへと言葉を向けた。「彼女の知らないことを教えてやる」
「なら、」エリックが、銃口をジャックへ向ける。「今話せ」
「今聞いても解らんさ」ジャックは不敵に笑んでみせた。「〝ハミルトン・シティ〟に着いたら彼女に連絡させろ。無事だったら、俺の話を聞かせてやる」
 エリックは鼻を鳴らした。それから骨振動マイクに呟きを一つ――フロート・カーを呼んだものと察せられた。
「いいだろう、彼女の身柄は俺が預かる」
 やがて滑り込んできた、年季の入ったフロート・カーにエリックはマリィを乗せた。車種はレーサのベースとして名高いペガサス。ナンバはLGR900190――ただしこれはいずれ偽造に違いない。
 銃口をジャックに擬したままエリックがペガサスに乗り込み、猛烈な加速で走り去る。
 ただ見送ることしかできない。ジャックは歯を軋らせた。
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