1―6.絶望

文字数 5,578文字

 対人地雷EXM322マンドラゴラ――眼前のそれは狙いを外側、ドアの正面に据えていた。
 ジャックの胸中に安堵の念がなかったとは言えない。もしこれが自分の側に向けられていたとしたら、あるいはエレヴェータに飛び込むのがあとほんの少し遅れていたら――だがそれ以上に、戦慄が喉を締め上げる。
 ジャックは手を地雷の固定部へ。軽く触れると、指に埃の感触――昨日今日に仕掛けられたものではない。
 ジャックは苦いものを奥歯に噛み締めた。仕掛けたのは恐らく〝ヤツら〟――他にこんな軍用品を使う敵は思い当たらない。
 だとすると……、
〈くそ! 〝キャス〟、テロ警報だ!〉
 悪態一つ、ジャックは梯子をさらに上る。その聴覚に〝キャス〟が割り込んだ。
〈冗談でしょ、警察までご招待? これ以上派手に騒いで何の得があるってのよ!?
 聞き流して4階、エレヴェータの扉に眼を向ける――やはり地雷のシルエット。ジャックは片手で携帯端末のケーブルを内壁の非常用端末へ。
〈やっぱりな――昨日今日どころじゃない、こんなヤサなんざとっくの昔にバレてたんだよ!〉半ばは自身へ向けてジャックが吐き捨てる。〈多分もうエミリィの面は割れてる。逃がすのにドサクサが要る、急げ!〉
〈……テロ警報なんて、ここの住人が信じるかしらね〉
〈信じさせるさ〉
 ケルベロスの銃口を3階へ。先刻の地雷に狙いを据えて、引き鉄を絞る。
 対人地雷が炸裂した。内側からドアを撃ち抜き、散弾を何百発と廊下へばらまく。
〈いつからそんな短気になったのよ全く!?
 〝キャス〟がテロ警報を発信した。ビル内を含め、半径500メートル内で強制受信される警報がネットワークを駆ける。通り一遍の警句が網膜に流れた。
「冗談じゃない」〝キャス〟にドアを内から開けさせる、それまでの間に独語が口を衝いて出た。「殺らせてたまるか――今度こそ」

 外に繋がる矩形が狭まっていく――。
 耳にはただ沈黙。恫喝の声も要求の言葉もない。
 殺すつもりと、エミリィはそう悟る。ただドアが閉まるのを待っているだけ、音を外に洩らしたくないだけ、と。
 エミリィの口から絶望の嗚咽。それが膨れ上がり、悲鳴にも似た色を帯びていく。
 側頭部、銃口の圧力が増した。だが狂乱半ばの叫びを上げて、エミリィはその場にへたり込む――と見せかけて躍動へ転じた。半身の勢いで銃口を跳ね上げ、2人に反撃の暇も与えず1人目の腕を取りに行く。相手は跳び退がってかわしにかかる。
 そこへテロ警報。ナヴィゲータへの強制受信は言うに及ばず、警報器から屋内放送までが一斉に危険だの避難だのをがなりだす。ほんの一瞬、意識の空隙――。
 立ち直ったのはエミリィが先だった。相手も呆けていてくれたその幸運を噛みしめる、その間さえ惜しんで正面の敵、その喉元に貫き手をくれる。肌に伝わるのは確かな手応えと怯む気配。
 すかさず手甲を背後、もう一人の眉間へ、返す勢いで肘をみぞおちへ。相手が身体を折ったところで後頭部に最後の一撃――と運びかけたところで、エミリィの背筋を後悔が駆け抜けた。
 部屋の奥に人影、手には銃のシルエット。間に合わない――思いながらも身を沈めにかかる。しかし相手は待ってくれない。
 消音器越しの銃声が、溜め息にも似た音を大気に刻んだ。

 ドアが開いた。
 照星越しの視線で廊下を薙ぐ。地雷を撃ったのが効いたのか、人相の良くない住人たちが廊下へ次々と飛び出してくる。パンク・スタイルの男だの、散弾銃片手にフライト・ジャケットの女だのといった顔ぶれの中、逃げ損ねたように黒づくめの敵が紛れていた。
「逃げろ、テロリストだ!」
 ジャックが叫ぶ、その声に敵が反応した。銃口がジャックへと動く。その指が引き鉄を絞るより早く、ジャックのケルベロスが火を噴いた。ただ1発、10ミリ弾の衝撃が黒づくめを撃ち倒す。
 混乱に拍車。這い出しながらジャックがそこへ追い打ちの一言。
「非常階段だ、急げ!」
 我に返ったように、非常口目がけて住人達が走り出す。ジャックはその逆、倒れた敵へと床を蹴る。敵の耐弾スーツが、たかだか拳銃弾程度で撃ち抜けないのは元より承知。
 掩護のつもりか、階段室から別の敵が銃口を覗かせた。ジャックはケルベロスのセレクタを切り替えるや、階段室へ伏せ撃ちの三点連射。跳弾を恐れて敵が身を引く、その隙にジャックは床を蹴り、のたうつ黒づくめのみぞおちへ爪先を突き込んだ。さらに一連射の牽制を階段室へくれると、悶絶する敵の上を乗り越えて、階段室との間を一気に詰める。

 衝撃――。
 エミリィは壁に叩き付けられた。痛覚が瞬時にして全身を蝕む。辛うじて踏み留まりはしたものの、半秒ほどでそれも潰えた。
「……ッ!」
 息が詰まる。命中したのは拳銃弾が2発。胸部に当たったそれを耐弾スーツで停めはしたが、敵が眼前にあっては気休めにもならない――今度は頭を狙われる。
 何とか銃を構えようと、腕に力を込める。だが気が付くと、掌に銃把の感触はなかった。眼を上げれば、敵が短機関銃SMG595を手に歩み寄りつつあるところ、その足取りには慎重さはあっても隙がない。
〈〝ナイト・バード〟へ、こちら〝グリーン・デルタ〟〉味方への通信か、黒づくめの敵が高速言語を口に上らせる。〈侵入者を捕獲。指示を請う〉

「侵入者?」
 ハドソン少佐が眉をひそめた。
〈女です。身長170センチ前後、痩身。耐弾スーツと拳銃で武装〉
「〝グリーン・デルタ〟、侵入者の顔を撮れ。確かめたいことがある」
「……少佐?」
「杞憂ならいいがな」応じつつも、少佐は携帯ディスプレイの映像から注意を逸らさない。「しぶといネズミがまだ生きていたかも知れん」

 何か手は――エミリィは考えを巡らせる。
 そこへ窓を割る音が飛び込んだ。視野にはきらめく光の飛沫――窓に施された、可視光シールドのなれの果て。
 瞬間の思考停止。同時に敵の頭が窓を向く。
〈エミリィ!〉
 〝ウィル〟の声が意識を現実へと引き戻す。反射的に床を蹴って、それから初めてエミリィは警告の意味に気付いた。
 窓を割り、床へ転がったその物体が視覚の端で意味を成す――GR13EX榴弾、中身によっては部屋が丸ごと炭に変わる。
 そして反応。ただし彼女の背を打ったのは爆風でなく電磁波を初めとするアクティヴ・サーチ、感じたものは痛覚でなく〝ウィル〟の警告。
〈アクティヴ・サーチ! 弾丸が来る!〉
 榴弾の中身は、火薬ではなく索敵弾だったということ。だがそれで安心できるものでもない。
 直後、血煙が上がった。エミリィの近くにいた敵が、ボロクズのように倒れ伏す。狼狽する敵の姿があと2つ、だが構っている暇はない。他ならぬ自分もいつ撃たれるか――。
 第2射は、未熟さで上を行く方を貫いた。悲鳴を上げる暇もなく、血臭を残して2人目が倒れる。
〈畜生め……!〉
 抗議の軋りを上げる身体に鞭打って、エミリィはバス・ルームへ転がり込んだ。根本的な解決はともかく、とりあえず外からの死角には入るはず。
 その間に3人目、部屋の奥にいた敵が、盾にしたテーブルもろともライフル弾の餌食になった。
〈〝ウィル〟、外は!?
〈悪いがお手上げだ。ケチくさい話、ここいらにビル建てる連中ってのが、屋上にカメラの一つも据えてない〉
〈ッたくどいつもこいつも……!〉
『ヘイ、そこのダイナマイト・レディ!』修羅場にはおよそ不似合いな、陽気な声が部屋に響く。『何やったんだか知らねェが、早いとこトンズラしちまいな。危ないぜ』
「……手前、ロジャーか?」
 聞いた声の心当たりにエミリィが眉をしかめた。
『エミリィかよ!?』反して、スピーカの向こうに口笛が響いた。『何やってんだか知らねェが、とっととずらかんな。結構な騒ぎになってるぞ』
「ばかやろ、手前こそとっとと逃げろ! 周りにゃ狙撃兵がゴロゴロしてやがんだぞ!」
『……なに?』

〈くそッ誰だ、誰が撃った!?
 動揺が声に乗って回線を駆ける。屋外から予定外の〝事件〟を目撃した〝グリーン・エコー〟の、それは疑問というより呪詛の声。くだんの部屋、潜んでいた〝グリーン・デルタ〟からの応答はやはりない。
「〝グリーン・エコー〟、こちら〝ナイト・バード〟」オオシマ中尉は正面、環状線を抜けていく超重量トラックに眼を向けたままで命じる。「現状維持。それから感情をあまり口に出すな、混乱の元だ」
 そんなオオシマ中尉とハドソン少佐、〝ナイト・バード〟の2人の網膜に映るのは、〝グリーン・デルタ〟各員のナヴィゲータが発信したバースト暗号通信。内容は――
「……頭部を貫通、ですか」
 オオシマ中尉の声が、他人事よろしく空ろに響く。思考を回転させているものと、それを少佐は受けとめた。
 新たな敵の介入――それが意味するところに、少佐は思いを馳せてみる。ベン・サラディンに関わる生き残り〝ジャック・マーフィ〟と、作戦中に現れた〝侵入者〟、そして今度の〝介入者〟。その存在が示す、一つの可能性――。
「しぶといネズミ、か……」ハドソン少佐は指示を継ぐ。〈〝グリーン・デルタ〟のナヴィゲータ、こちら〝ナイト・バード〟。〝侵入者〟の身元を……〉
 そこへ通信が飛び込んだ。
〈〝ナイト・バード〟、こちら〝グリーン・ブラヴォ〟リーダ!〉
 2人の聴覚に割り込んだのは、新たな動揺。
〈やられた、2名負傷! 目標は煙幕を張って後退――中に1人取り残された!〉
 思わず、2人は顔を見合わせた。そこへ少佐のナヴィゲータ〝ドロシィ〟の声。
〈〝グリーン・デルタ〟からのデータを受領、モニタへ送ります〉
 ディスプレイに映る〝侵入者〟の顔――視界の隅にそれを捉えた少佐が、思わず声を口に乗せた。
「こいつは……!」

 煙幕に紛れ、気絶させた敵兵をやや離れた部屋へ担ぎ込む。敵の一味がすぐ突っ込んで来ないことだけ確かめて、ジャックはドアを閉じた。いかにも独り者の住まいという部屋の中、慣れた手際で敵兵の装備を解いていく。
 コンバット・ナイフに突撃銃、予備弾倉に閃光衝撃手榴弾、それから防弾装備。弾倉と閃光手榴弾をポケットに突っ込む傍らで、懐の携帯端末を探り当てると、ケーブルを通して〝キャス〟へ繋ぐ。
〈潜れるか?〉
〈もちろん――あ、ちょっとヤバいな、見える? ルーム・ナンバ512〉
 直後、ジャックの網膜に〝キャス〟の拾い出した映像が映った。ジャックの表情が凍る。
 眼に映ったのはエミリィの顔。
「くそ……〝キャス〟!」思わず通常言語が口を衝いた。「クラッシャだ、こいつらのデータ・リンクをぶち壊せ!」

「いかん……!」ハドソン少佐が舌を打つ。〝グリーン・デルタ〟からの映像に見入った数秒が痛い。〈〝ドロシィ〟、リンク隔離! リンクD003!〉
 〝ドロシィ〟が現状のデータ・リンクを隔離する。部隊のナヴィゲータは、〝グリーン・デルタ〟を切り離したまま新たなリンクの再構築にかかった。
 すんでのところで間に合った。〝キャス〟の放ったネット・クラッシャが、プロテクトをものともせずデータ・リンクを蹂躙する。
「間に合ったか……」少佐が思わす息をつく。「悪いが中尉、作戦変更だ」
「逃げる、と?」
「飾らんで言えばそうなるな」少佐の言葉に反感の気配はない。「目標は泳がせる」
 オオシマ中尉は片眉を跳ね上げた――少佐の癖がうつったらしい、と遅れて気付く。
「仕切り直しならともかく……」
「〝グリーン・デルタ〟の映像を見たろう?」ハドソン少佐が口を挟む。「ヤツの仲間だ」
 オオシマ中尉は口笛一つ、
「……てことは、まだ〝生き残り〟がいると?」
「あるいはな、そういうことだ。中尉ならどちらを残す?」
「女、と言いたいとこですが――目標の方ですな。ヤツの方が行動は読みやすい」
「おまけにあの〝介入者〟のこともある。絡まれると厄介だ」
「いいでしょう、」中尉は両手を挙げた。「何にしたって私の負けです。認めますよ――あの2人の介入を予測できなかった時点でね」
「そう、我々の負けだ」そこで回復した回線に、〈〝グリーン〟各員、こちら〝ナイト・バード〟! 作戦変更! 目標に捕まったノロマを回収して引き上げる。〝グリーン・エコー〟は〝グリーン・デルタ〟の死体を焼却、残りは合流して突入準備! リンクD003に詳細を乗せる、1分でやれ!〉

〈やられた、〝トカゲの尻尾〟よ!〉
 〝キャス〟の報告もロクに聞かず、ジャックは駆け出した。ケルベロスの弾倉を替えつつドアを蹴り開け、そのまま廊下へ躍り出る。
 もはや陽動の意味は失せた。エミリィが捕捉された以上は、合流――というより救出をためらう道理もない。
 飛び込んだ階段室では、予想通りの鉢合わせ。合流を待つ2人の敵が、殺意より驚愕をもってジャックを迎えた。
 出会い頭にケルベロスの一撃――10ミリ拳銃弾の連なりを叩き込みざま、踏み込んでもう一人の懐へ。怒号ともつかぬ気合もろとも、貫き手をみぞおちへ、次いで横っ面へと銃把を見舞う。
 上階からさらに2人。鉛弾の洗礼を受ける前に、ジャックは奪った閃光衝撃手榴弾を放り込む。視界を灼く閃光、続いて爆音と衝撃波――怯んだ敵へと銃口を向ける。
 そこへ、さらに輪をかけた――爆音。
 足元から伝わる、構造材の悲鳴。階段を駆け下る爆風。その源は――。
 戦慄が背に疾る。聴覚や触覚、あらゆる感覚が、さらには〝キャス〟の解析までもが、しかしその場を爆音の源として指し示す。
 ルーム・ナンバ512――エミリィがいるはずの、その一室を。
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