11-2.狡知

文字数 4,804文字

 経つことしばらく、衛星放送波のチャンネル105にメッセージが乗った。
『〝マンハッタン〟へ、こちら〝ストレンジ・ラヴ〟。〝ファット・マン〟、繰り返す、〝ファット・マン〟。〝ストレンジ・ラヴ〟が脱出に成功、回収を求む。繰り返す、回収を求む』
 軌道エレヴェータのリフタが上昇を開始する。リフタといっても最大直径は15メートル、高さは前後の円錐形風防を含めれば50メートルにも及ぶ。それが地上管制室からのサポートを断ち、操縦系だけで宇宙港へ向かって1G加速を開始した。
 そこで、衛星放送波に乗せてメッセージが続く。
『〝マンハッタン〟へ、こちら〝ストレンジ・ラヴ〟。こちら地上管制室を奪回。敵が軌道エレヴェータで脱出、上昇中。欺瞞情報にだまされるな』
『〝マンハッタン〟へ、こちら〝ストレンジ・ラヴ〟。回収を求む。繰り返す、回収を……』
 ここでメッセージは途絶した。
 その後、およそ3分に渡ってリフタは上昇を続け、そこで地上側からの送電が途絶した。宇宙港と地上、双方から動力の供給を絶たれたリフタは、そこまでで立ち往生。ただ地上管制室からもそれ以上の干渉はできかねたと見え、リフタは空中の密室と化した。

「地上からの脱出組というのは?」
 宇宙港側、無重力状態の管制室。警備中隊長バカラック大尉が、軌道エレヴェータ管制室のドアをくぐった。壁の映像には惑星〝テセウス〟、夜の面に〝クライトン・シティ〟を中心とする街の灯が拡がる。
「こいつです」
 空いた管制卓からドレイファス軍曹が声を上げた。ディスプレイには観測映像、宙吊りになったリフタの粗い赤外線映像がある。
「〝ストレンジ・ラヴ〟を名乗ったのは確かなんだな?」
 バカラック大尉が確かめる。宇宙港に常駐する警備中隊を預かる身――といえば聞こえはいいが、ここに配された唯一の戦力を預かるだけの身分、というのが実情というもの。それが地上側の異変を関知するに及び、何ができるわけでもなく傍観することになるかと思いきや、意外なところで意外な決断を迫られている。
「間違いありません――再生します」
 ドレイファス軍曹が管制卓上に指を走らせた。録音された交信――というより一方的な宣言――が耳に届く。
『〝マンハッタン〟へ、こちら〝ストレンジ・ラヴ〟。〝ファット・マン〟、繰り返す、〝ファット・マン〟。〝ストレンジ・ラヴ〟が脱出に成功、回収を求む。繰り返す、回収を求む』
『〝マンハッタン〟へ、こちら〝ストレンジ・ラヴ〟。こちら地上管制室を奪回。敵が軌道エレヴェータで脱出、上昇中。欺瞞情報にだまされるな』
『〝マンハッタン〟へ、こちら〝ストレンジ・ラヴ〟。回収を求む。繰り返す、回収を……』
「支離滅裂だな」
 バカラック大尉が眉をひそめた。
「全く」ドレイファス軍曹が頷く。「これ以上はうんともすんとも言ってきません。リフタが本物の〝ストレンジ・ラヴ〟だとしたら、こっち側から送電を再開すればこっちに辿り着けます。問題は偽者だった場合で」
「そもそも地上側と交信させるための罠かもしれん、というわけか」
「そういうことです」
「寝覚めの悪い罠だ」顎に手をやって、バカラック大尉はしばし黙考。「〝ストレンジ・ラヴ〟が脱出したならおあつらえ向きだ。宙吊りにしておけ。こっちも向こうもひとまず安全だ。地上側はじきに――どうした?」
 ドレイファス軍曹がモニタに見入っていた。つられてバカラック大尉もモニタに眼を流す。リフタの上端、点滅を見たような気がして――実際に点滅しているのを確かめる。
「モールス、信号――?」
 ドレイファス軍曹が傍ら、マグネット・クリップで張り付けていたメモを手許に寄せる。S・O・S・S・O・S……
「救難信号だ?」
 思わずバカラック大尉が口走る。その傍ら、同じモニタに広い額を寄せて、ドレイファス軍曹がメモにモールスの文字列を書き留める。
『I’m Strange love. There’re some Oxigen leakage. I’ve got injured at the escape battle. I can’t stop bleeding ……(我、〝ストレンジ・ラヴ〟。酸素洩レ発生。脱出時ノ戦闘デ負傷。出血止マラズ……)』
「始末の悪い……」バカラック大尉が苦いものを口中に噛み潰した。
「どうします?」問うドレイファス軍曹の声も苦い。
「どれぐらい保ちそうだ……?」苦し紛れの、それは問い返し。
「ここからじゃ何とも……」ドレイファス軍曹の声がさらに苦る。
「だろうな。いや、」バカラック大尉が頭を掻く。「独り言だ。聞き流してくれ」
 バカラック大尉がごく密やかな呟きを連ねる。天に向けた呪詛の言葉と、ドレイファス軍曹は見当をつけた。
「送電を再開したとしてだ、」唇を噛みつつバカラック大尉が問う。「敵からの侵入に耐え切れるか?」
「判りっこありません」
 そもそも、それが判っていれば地上との通信から送電までを絶ちはしない。
「送電はしてやる」考え考えバカラック大尉。「だがその前に電源回路から通信モジュールを切り離せ。物理的に」
「まあ、そりゃ」唇の端をなめつつドレイファス軍曹。「できないこたありませんが」
「時間はどれだけかかる?」
「小1時間てとこですかね」指を折りながらドレイファス軍曹。「ここの整備屋を呼んでください――返事はどうします?」
「するな」バカラック大尉に断言。「したら地上の連中にバレる」
「了解です」ドレイファス軍曹がインターコムを手に取った。施設整備班を呼び出す。「こちら軌道エレヴェータ管制室、ドレイファスだ。送電設備から通信モジュールを外してくれ。物理的にだ――そう、ケーブルを引っこ抜くんだ」
 ブーイングが、インターコムの向こうから聞こえてきた。

 応答もなく1時間強――突然に、宇宙港からの送電回路は開かれた。動力を得たリフタが上昇を再開、1G加速で真空を駆け上る。静止衛星軌道上の宇宙港まで1時間強――この間、宇宙港側は沈黙を保ち続けた。リフタ側も察したか、発光信号で『Thank you(感謝スル)』の一言を送ってよこしたきり沈黙を決め込んだ。
 宇宙港のエアロック、その寸前へリフタが到達する。宇宙港側は黙ってエアロックの外部ハッチを開いた。手動操作と思しいぎこちなさでリフタが中へ滑り入る。宇宙港側がエアロックを閉じて、内部に空気を充填し、宇宙港内部へ通じるハッチを開く。
 迎えに出たのは宇宙港警備中隊長、バカラック大尉ただ1人。その背後、宇宙港側の昇降ハッチがすぐさま口を閉ざす。わずかに遅れて、リフタ側にも動きが見えた――昇降ハッチが、内側へわずかに引き込まれてから外側へ開いた。わずかな気圧差が気流を生み、かすかに聴覚をそよがせる。
 中に、エルンスト・ノイマン中佐が立っていた――両手を掲げて。
 背後に軽装甲スーツの一団が、突撃銃を構えて控えていた。
「失礼。負傷者は?」
 銃口の群れを向こうに回してバカラック大尉から第一声。つい先刻写真で知ったノイマン中佐の顔が苦笑した。
「なかなかの肝っ玉だな」
 中佐の側を通り過ぎ、軽装甲スーツの群れがターミナル側へ溢れ出す。降参したとも見せず、バカラック大尉が片頬を歪めてみせた。
「あんなことがあった後じゃ、肝っ玉も太くなろうってもんです」
 言う間に突撃銃が突き付けられた。両の手を頭上に持ち上げたその横、身体を流して別の一群が出口へ向かう。
「じゃ、罠だってことで間違っちゃいませんな?」
 バカラック大尉が、むしろ落ち着いてノイマン中佐に確かめる。
「そういうことだ」
 ノイマン中佐の背後、拳銃――P45コマンドーを突き付けていたオオシマ中尉が眉をひそめた。この落ち着きの裏にあるものに思いを馳せ、結論――とっくの昔にバレていた、と。ただしこちらも落ち着いたもので、脅しの怒声一つ上げるでもない。
「失礼。私は〝ハンマ〟中隊のオオシマ中尉。〝テセウス解放戦線〟から離脱する。貴官の姓名、階級と立場を伺いたい」
「ユージーン・バカラック大尉、宇宙港〝クライトン〟警備中隊長だ。残念だが、貴官とは折り合えんよ」
 バカラック大尉の背後に分厚く与圧隔壁。宇宙港へのコンコースへ繋がる出口は固く閉ざされて空気の這い出る余地もない。
「残念です、大尉。ではこちらの要求を申し上げる。大人しく我々を通していただきたい」
 出口横、端末へケーブルを繋ぐキリシマ少尉。それを視界に入れながら、オオシマ中尉は淡々と言い放った。
「通って、どうするつもりだね?」銃口を突き付けられたままで、バカラック大尉が肩をそびやかした。「〝上〟へ来たって逃げ場がなくなるだけだろうに。第一、眼の前には第3艦隊がいるんだぞ?」
「承知ですよ」小揺るぎもせずにオオシマ中尉。「袂を分かったとはいえ、志が変わったわけでもありません。〝同士討ち〟は避けたいと考えています」
「そいつは理性的で結構だ」バカラック大尉が片頬を苦く歪める。「ただ協力はできんよ」
「では、」想定のうちとでも言わんばかりにオオシマ中尉。「実力で押し通るまで」
「その前に訊いておきたいな」あくまでも落ち着いてバカラック大尉が問いを投げる。「そもそも、何が狙いだね?」
 まだ隔壁は開かない――苦戦するキリシマ少尉へ視線を投げる間だけ置いて、オオシマ中尉は答えを返した。
「ヘンダーソン大佐を粛清します。彼は〝テセウス解放戦線〟を私物化しようとしている」
「その大佐の知恵で跳躍ゲートの封鎖も成った」小首を傾げてバカラック大尉。「〝テセウス〟の独立が成就しようというこの時に、大佐を粛清して混乱を招く必要がどこにある?」
「その独立の功労者達を、己が利益のために消そうとしているのは」オオシマ中尉の眼が細まる。「他ならぬヘンダーソン大佐自身です」
「まあ、ああいう癒着を暴露されてはな」肩の凝りをほぐすように、バカラック大尉が首を回した。「功労者とやらに偉そうな面を下げていてもらっても気分は良くないが。ではこう訊こうか。貴官の主張通りだったとして、〝惑星連邦〟に制圧されるか、大佐の独裁下に入るか――――二者択一、普通はどちらを選ぶと思うね?」
「あなたは話の分かる方とお見受けしたが、残念だ」
「常識家だよ――私はね」バカラック大尉の片頬に苦笑が乗った。「周りの出方を知っている。歳をとり過ぎたかな」

〈何やってんだ?〉
 耐え切れずに声をロジャーが高速言語の呟きを洩らした。網膜にはリフタの外周監視映像、その片隅――オオシマ中尉とバカラック大尉のやり取りが映る。
〈どうも相手のペースに引きずられてるみたいね〉
 〝ネイ〟がロジャーの聴覚に返す。
 無重力のリフタ下部、貨物ブロック。〝下〟側にロックされたコンテナの隙間から、開放された積載ハッチを見やる。普通なら搬送ロボット・キャリアが押し寄せてきてコンテナの積み下ろしを始めるはずが、一向にその気配を匂わせもしない。
〈立て籠もる気でいやがるな〉舌打ちをこらえてキースが呟く。〈〝キャス〟、侵入は?〉
〈ここって宇宙線防護バッキバキに効いてんでしょ?〉〝キャス〟の返事はにべもない。〈隔壁閉じられたら侵入経路なんてないってば〉
〈あのおっさん、〉ロジャーが視覚、投影されたバカラック大尉に焦点を合わせて〝ネイ〟に問う。〈あいつから手繰れるだろ。いくら何でもナヴィゲータ繋いでないとか言うなよな〉
〈悪いけどビンゴ〉ロジャーの視点を辿った〝ネイ〟に困り声。〈ありゃ狸よ。無線ネットワーク繋がないで来てる。だって感ないもの〉
〈じゃ有線で繋ぎに行くしかねェのか〉ロジャーが結論を口に出した。
〈どうやって行くつもりだ、〉シンシアが切って捨てる。〈向こうに見つからねェで?〉
〈向こうから来る気配はない、か〉キースが舌なめずり一つ、〈じゃ、こっちから出向くまでだ。後は任せた〉
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