15-4.始動

文字数 4,505文字

〈どれだけ手間食うと思ってんだ!?〉〝キャス〟の逆鱗に触れた当のロジャーが訊き返す。
 電子戦艦〝レイモンド〟上限後部、第1格納庫。ロジャーの指先にはSMD-025ゴースト――有人コクピット・モジュール搭載機。
〈知ったこっちゃないわよ〉一蹴して〝キャス〟。〈どっちにしてもファームをイチから書き換えるよりよっぽどマシでしょ。それにチャンスは待ってくれないわよ――いま結果が来たわ、あと13分と32秒!〉
〈問答無用かよ〉ぼやきつつもロジャーがラッタルを這い上がる。〈ワクチン突っ込んでる暇もねェぞ〉
〈炉が落ちてても起動用電源は使えるはずだな?〉問いの形でキースが考えを割り込ませる。
〈そうね、〉〝キャス〟の首肯。〈生きててもいいはずだわ〉
 核融合炉の起動には、最初のきっかけとなる核融合反応を起こすだけの電力が要る。ましてや戦闘態勢下の戦闘艦なら、整備中で融合炉を止めることはあっても、再起動用の電力は蓄えてあって不思議はない。
〈なら炉を起ち上げる手間は省けるはずだな〉キースもロジャーの後を追う。〈〝キャス〟、身代わりのダミィとワクチンのコピィを作っておけ〉
〈おいおいおい、〉嫌な予感をみなぎらせてロジャーの問い。〈何の相談だ?〉
〈馬鹿正直に立ち上げたら、〉ロジャーの問いにキースが返す。〈〝キャサリン〟の思う壺に嵌まる〉
〈例のクラッシャが飛んでくるってのか?〉
〈外部とのデータ・リンクも切っておいた方がいいな〉言下にロジャーの疑問を肯定しておいて、〈機体内部のリンクだけ確立して、後は目視データで機位測定しながらタイミングを待つってところか〉
〈でしょうね〉〝キャス〟の声に浮わついた気配はない。〈どのみち予備電源じゃひと噴かしがいいことよ〉
〈炉を動かす余裕もないってか〉ロジャーがむしろ不穏な笑みを声に乗せる。〈一発勝負の大バクチかよ〉
〈私の計算に不満があるっての?〉〝キャス〟が声を尖らせる。
〈いやいやいや、〉ロジャーはむしろ声を浮き立たせて、〈なかなか大した肝っ玉だ。嫌いじゃないぜ、そういうの〉
〈どこまでおめでたく出来てるんだか〉呆れてみせた声の主は〝ネイ〟。
〈前向きだっつって欲しいね〉返すロジャーが口を尖らせる。〈沈んでたって埒が明くわきゃねェだろ〉
〈はいはい失礼、〉取り澄ました声で〝キャス〟が割って入る。〈仲がいいのは解ったから早くして。後がつっかえてんだからね〉
〈お前さんが言うかよ〉苦笑を声に乗せてロジャーが返す。〈よっぽど図星だったんだな〉
〈その手はもう食わないわよ〉言いつつ〝キャス〟の声が尖る。〈私にちょっかい出してるほど暇じゃないと思うけど?〉
〈へいへい、おっしゃる通りで〉形だけ恐縮したロジャーが整備区画に左腕の鏡を覗かせる。〈とりあえず動くやつァ見当たらねェ……っと〉
〈構うなと言ってる〉キースの口から苦言が洩れる。
〈文句はあの女たらしに言って〉打ち返して〝キャス〟の反駁。
〈急ぐぞロジャー、〉仕方なしといった体でキースが言葉をロジャーに向けた。〈こいつのことだから余計な時間は見込んでない〉
〈そうせっつきなさんなって〉ロジャーが軽口を残して飛び出した。〈人間、余裕なくしちゃおしまいよ〉

『余裕ないって顔してるぜ』〝ウィル〟がシンシアに向けた、最初の一声がそれだった。『どうやら死に損なったってとこかな、これは?』
「手前をサルヴェージすんのにどんだけ手間食ったと思ってんだ」憎まれ口を返すシンシアの口調に、しかし鋭さはない。「ヒューイのナヴィゲータがかかりっきりになってたぞ」
『そりゃ失礼』
「どこまで覚えてる?」シンシアの問いは、〝ウィル〟そのものの存在に向けられる――一時は実体すら半ば失った存在を、いままた同じ人格として扱うべきか、その可否を。
『どうもぼやけてるな』応じる〝ウィル〟の声には芯がない。『例えばキースに何か……執念めいたものを感じた覚えが残ってる。でもその理由となると説明できない――とでも言や伝わるかな』
「〝キャス〟に喰われたところは?」
『――ああ、』擬似人格にしては珍しく怖気をふるったような〝ウィル〟の声。『そこまでははっきり覚えてる。自我がなくなっていくってのかな、あれは。記憶だけ残ってて意志が消えてく感じとでも言うか』
『そこまででいいでしょ』横から入った声は〝ミア〟。『彼にも働いてもらわなきゃなんないんだから』
「そうだな」シンシアが頷く。
『何が起こってる?』〝ウィル〟が訊いた。『それから自己紹介くらいしてくれ。相方の呼び方も判らなきゃ仕事に張りも出やしない』
『〝ミア〟でいいわ。ヒューイのナヴィゲータといえば解るでしょ?』〝ミア〟の答えには色気の欠片たりとない。『あれからことが進んでね。今じゃこっちが第3艦隊を制圧にかかってる――のはいいけど、時間が一杯いっぱいってとこよ』
『それで、』自虐めいた色を〝ウィル〟の声が帯びる。『負けの込んでる俺にまで出番が回ってきたってか?』
「ヒネてる場合か」シンシアが〝ウィル〟の憂いを斬って捨てた。
『OK、』〝ウィル〟が感覚を解放する。場所は救難艇〝フィッシャー〟ブリッジ、航法中枢。そこに繋がる船務中枢を始めとした、ほぼ艇全てのマシン・パワーが直に感じ取れる。『こいつはまた思い切ったもんだな』
「どのみち艦隊ン中から動かなきゃ使いようがないからな」航法席の後ろから顔を覗かせたのはニモイ曹長。「〝キャス〟とお前さんをサルヴェージする方が先だった。感謝してくれよ、〝キャス〟の抜け殻とシンシアの持ってたバック・アップを繋ぎ合わせるのは結構ホネだったんだぜ」
「〝シュタインベルク〟の力まで借りたからな」シンシアが付け加える。「これで空振りだったら眼も当てられねェところだ」
『そこまでして俺に何をしろって?』
「決まってるだろ」シンシアの声が凄味を帯びる。「〝キャサリン〟のヤツが空けた穴を探して、そいつを埋めて回るのさ」
『俺が助かったってことは〝キャス〟も助かったってことだよな?』〝ウィル〟の声にはっきり怪訝。『あいつの方が適任じゃないのか?』
「あいつらはまだ電子戦艦の中で足止めだ」ニモイ曹長から助け舟。「這いずり出てきて旗艦に辿り着くまで、使えるマシン・パワーはこっちのが上だ」
『で、その間はあいつの作業を肩代わりするってか』〝ウィル〟に鼻を鳴らすような間。『けど〝キャス〟に喰われた俺に何ができるって?』
「むしろ喰われたからこそだ」シンシアが〝ウィル〟の自虐を叩き返す。「ヤツのやり口ァお前の骨身に沁みてるはずだ。鼻が利かねェわけがねェだろ」
『負け犬の骨までしゃぶり尽くそうってわけだ、』苦笑が〝ウィル〟の声に滲んだ。『涙が出るね』
「御託はいい」シンシアは苛立ちを隠さない。「やるのか、やらねェのか?」
『どっちかってェと、やれるかやれないかだな』
 言う間に〝ウィル〟は自らの中へダイヴした。オリジナルの自我にプラス・アルファされた部分があるにはある。
『アドヴァイザとしちゃ〝ミア〟がいるとして、』〝ミア〟を主役に据えない理由は推して知れた――経験の差。『とにかく今んとこのデータをくれ。こちとら自分がどういう有り様かも解っちゃいないんだ。とにかくやれるだけやってみよう』
『なら急ぐことね』〝ミア〟が事もなげに告げる。『キース達、じき通信管制に入るつもりよ』
〈他人事みてェに言ってんじゃねェよ〉文句を一つ投げて、シンシアは高速言語をデータリンクに疾らせた。〈キースへ、こちらシンシア。まだだんまりモードにゃ入っちゃいねェだろうな?〉
〈こちらキース、〉鋭い声が帰ってくる。〈今リンクを切ろうとしてたとこだ。どうした?〉
〈艦隊のファームな、穴埋めはまだ途中だったろ?〉畳みかけてシンシア。〈こっちで引き継ぐ。データをよこせ〉
〈やれるのか?〉
〈〝ウィル〟が息を吹き返した〉シンシアが打ち返す。〈〝ミア〟と共同で作業に当たらせる。どうせそっちァしばらく解析やってる暇なんざありゃしないだろ? この際猫の手も借りたいってとこだよな?〉
〈解った――ちょうどいい〉
〈……何がだよ?〉余計な一言にシンシアが食い付いた。
〈ちょうどバック・アップが欲しかったとこだ〉
〈何のだっつってんだよ!?
〈解析中のファームと作りかけのワクチンだ、決まってるだろう〉
〈手前、〉シンシアの声が険を帯びる。〈まさか保険でもかけてるつもりじゃあるまいな?〉
〈それほど暇だと思うか〉
〈馬鹿野郎!〉シンシアの一喝が飛ぶ。〈手前、それほどギリギリの橋渡ってるんなら相談ぐらいしやがれ!!
〈役に立つならとっくにやってる〉キースの答えは淡々として深刻の度は滲ませない。〈この際は解析優先だ。こっちで作業を継続するつもりだったが〉
〈遭難するかも知れねェって素直に言え!〉シンシアが突っ込む。
〈後は俺達の作業と〝キャス〟のタイミング取りにかかってるが〉言う間に手を動かしている様が音を通じて伝わってくる。〈どのみち一発勝負、例によって後はない〉
〈無茶考えやがる……〉シンシアが額に手を当てた。
〈そもそも相手が無茶なんだ〉キースが断じる。〈無茶もしないで生き残れるほど甘かない〉
 とどめの一言。これにはシンシアも返す言葉を持たなかった。〈無茶が身上かよ……イカれてやがる〉
〈気が済んだんなら転送するぞ〉追い打ってキース。〈お前の言ってる通り暇がない〉
〈勝手にしやがれ〉そう強がるのがシンシアには精一杯のところだった。〈宇宙のゴミになんざなるんじゃねぇぞ、こちろら人手が足んねェんだ〉
〈励ましのお言葉と受け取っとくぜ〉ロジャーの軽口が割って入る。〈〝オーベルト〟に辿り着いたらせいぜい熱烈に歓迎してくれ〉
〈そいつァ〝オーベルト〟の連中に伝えといてやる〉せいぜい皮肉に聞こえるようにシンシアが返す。〈野郎どもの暑苦しい歓迎を覚悟しときな〉
〈そりゃ涙が出るね〉懲りた風もなくロジャーが続ける。〈お前さんのねぎらい一つありゃ、地獄の入り口からだって帰ってきてみせるぜ〉
〈ねぎらいだ何だっつって、〉噛み付いてシンシア。〈どうせろくでもないもん期待してやがるだろうが!〉
 軽口が交わされている間にもデータの転送が進み――終わるなり〝キャス〟の声が割り込んだ。〈転送終了。漫才もそこまでよ〉
〈どこが漫才だ!〉切り返すシンシアの声が少なからず熱い。
〈付き合うだけ無駄ってこと〉言い捨てて〝キャス〟が声の向く先を変える。〈もう最終段階でしょ、キース。リンク切るわよ〉
〈ああ〉
 そうしてデータ・リンクは一方的に遮断された。
〈あん畜生、どこまでふざけりゃ気が済むってんだ!?
〈好みの女がこの世からいなくなるまででしょ〉〝ミア〟が素っ気なく応じる。〈だんだん解って来たけど、あなたも随分付き合いがいいわね〉
〈誰が!?〉返すシンシアの声に検が乗る。
〈そうやって付き合うから向こうも調子に乗るんでしょ?〉〝ミア〟の声に苦笑が乗る。〈解ってるくせに〉
〈――余計な世話だ〉一拍の間を感情の鎮静に費やしてシンシア。〈まあいい。〝ミア〟、送ってよこしたデータ展開しな。始めるぜ、〝ウィル〟!〉
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