18-5.乱入

文字数 3,713文字

『大動脈弓、補強――完了』〝カロン〟が告げる。
 救難艇〝フィッシャー〟医務室、視覚に心臓の立体模式図が浮かぶ。ヒューイの心臓から上方へ抜ける上行大動脈、その最初の曲がり角に当たる大動脈弓に緑の強調表示。
「これで大動脈は処置できたか」ドクタが一つ息をつく。
『主力を気管の補強へ移行させるわ』
 〝カロン〟の一言で心臓の模式図がわずかにズーム・アウト、心臓を挟むように位置する肺の間――気管支よりやや上、大動脈弓と気管が並ぶ位置へ再ズーム。
 ヒューイの胸を貫いた銃弾は肺と気管、そして大動脈が寄り添う間隙を抜けていた。いずれも無傷とはいかないものの、破裂にまで及ばなかったのはひとえに強運と呼ぶしかない。
「この補強が終われば、」何気なくドクタが背後へ声。「彼の血圧を抑える必要がなくなる。つまり――」
「『つまり』――?」シンシアが固く詰めて息。
「つまり――」ドクタが声をほぐした。「――意識も戻りやすくなる」
 シンシアが詰めていた息を――解く。
 ドクタから手、軽くシンシアの肩へ握力。「よく希望を繋いだな」
 小さく頷きながら、シンシアが顔を伏せていく。何度も――何度も。

〈逃げて!〉データ・リンクに〝キャス〟の悲鳴。〈来るわ!〉
 第3艦隊旗艦〝オーベルト〟、総合戦闘指揮所。
〈ハイ、〉そこへ涼しく高速言語。〈また会えて嬉しいわ〉
 艦長席、ハルトマン中佐に苦い声。〈〝キャサリン〟……!〉
〈あら、〉〝キャサリン〟の声に色が乗る。〈歓迎してくれるの?〉
 と、一角――航宙管制長席で操作卓がブラック・アウト。
〈でも、〉〝キャサリン〟に含み笑い。〈ちょっと物足りないかしらね〉
 そこで――、
 警告の赤にその場が染まる。空気を震わす警告音。モニタに冷たく『データ・リンク切断』。
〈甘いわね〉歌うように〝キャサリン〟。〈誰がこれ仕込んだと思ってるの?〉
 反応。視界が警告の赤から通常へ復す。
〈さて、それじゃ〉〝キャサリン〟に余裕の声。
〈それじゃ?〉冷ややかに訊く気配。
〈あら、〉〝キャサリン〟に喜色。〈いたの?〉
〈懲りてないみたいね〉声の主――〝ミーサ〟。〈私に勝てなかったの、お忘れ?〉
〈負けたつもりもないけど?〉むしろ楽しげに〝キャサリン〟。〈それより、どうして私がこうしているか――判る?〉
〈ああ、そういうこと〉悟った声で〝ミーサ〟。〈今度は何の時間稼ぎ?〉
〈簡単すぎた?〉悪童めいた笑みを含んで〝キャサリン〟。
〈見え透いてるのよ〉〝ミーサ〟が衝く。〈狙いはこの〝オーベルト〟ってわけね。思い通りにはさせないけど〉
〈なら、〉涼やかに〝キャサリン〟。〈やってみたら?〉
 刹那――。
 スウィーパ。異種パターンを喰らい尽くす防衛プログラムが艦内のネットワークを駆け抜ける。
 が。
 穴が複数――に留まらない。ネットワークを制御する中継プロセッサの過半がスウィープそのものを受け付けない。
 ――甘い。
 反転。敵意。探査の手。無数のスウィーパがネットワーク各所から放たれる。
 ――ふン、
 暴き出したのは第3艦隊旗艦の内部データ・リンク、その大半。各機能中枢はともかくとしても、機能を繋ぐデータ・リンクが陥ちてしまえば機能不全は免れない。そして――。
 ――何よ、隠れんぼ?
 〝キャサリン〟が暴き出した視界に、〝ミーサ〟の姿はない。
 ――全く、時間稼ぎはどっちなんだか。
 眼を付ける。演算能力の集積する箇所――管制中枢。
 アクティヴ・ステルスを維持するためには、ゴースト編隊と艦隊を高度に制御する大規模演算が欠かせない。艦隊規模の航宙機群を統括する宇宙空母、わけても艦隊旗艦の管制中枢ともなれば、電子戦艦が担うその役割を負うことも不可能ではない。
 ――ま、消去法よね。
 逆を言えば――管制中枢の機能さえ妨害してしまえば、アクティヴ・ステルスは破綻する。
 ――いいの?
 〝キャサリン〟から挑発。何も管制中枢本体を襲わずとも、周辺のネットワークを押さえてしまえば用は足りる。しかもそれは、ほんの短時間で構わない。
 ――じゃ、勝手にやるわね。
 〝キャサリン〟から指示一つ、ネットワーク各所からプローブ・プログラム――管制中枢、その周辺へ。展開したプローブは探査情報を〝キャサリン〟の元へ送り出し――、
 そこへクラッシャ――プローブからの探査情報に見せかけて。情報経路を手繰り返したその一撃――、
 ――かかったわね。
 突撃。〝キャサリン〟。管制中枢。〝ミーサ〟はつまり自ら居場所を明かしたことになる。
 と、そこへ――。
 寸前。クラッシャ。〝キャサリン〟の足が止まる。接続を灼き切らんばかりの高負荷で回線が飽和する。
 ――そこ!
 〝ミーサ〟の思念が勝ち誇る。
 が、〝キャサリン〟はむしろほくそ笑む。
 ――こっちの科白よ。
 即応。速い。プロセッサ上、襲いかかるクラッシャを招き寄せ――作動の前に無効化していく。
 ――まだ!
 現す。〝ミーサ〟、その姿。〝キャサリン〟の居座るプロセッサ。眼前に突き付けてクラッシャ実行――その速度。
 クラッシャが喰らう。プロセッサの領域、その半分をカオスと帰す。そのまま暴走、〝ミーサ〟が退避するや否やプロセッサは活動を止めた。
 ――いくら何でもこの速度には……!
 〝ミーサ〟が独語を洩らす。
 と。
 ――甘いわね。
 響く声。〝キャサリン〟。
 ――確かにクラッシャは速いけど、食らわなきゃ同じよ。
 ――逃げた!?
 〝ミーサ〟に驚愕。〝キャサリン〟の声が続ける。
 ――あの速さは中継プロセッサじゃ出せないわ。外部の演算を借りたわね……そう、
 〝キャサリン〟が勝ち誇る。
 ――管制中枢とか。
 ――……。
 〝ミーサ〟に沈黙。
 ――はい図星。てことは、
 〝キャサリン〟が喜色を滲ませた。
 ――管制中枢を、止めたわね?

〈〝オーベルト〟管制中枢、演算停止!〉〝ネイ〟がアクティヴ・ステルスの状況ウィンドウをポップ・アップ。
 〝ネクロマンサ000〟操縦室、視覚に展開されたウィンドウ、アクティヴ・ステルスを表す模式図の中心に据わるのは〝オーベルト〟――から今しも〝ネクロマンサ000〟へ移ったところ。
〈早すぎねェか、おい〉ロジャーが声を低めたところへ、
〈逃げて!〉降って湧いたように〝キャス〟の声。〈ママってばいつの間にあんなバケモノになってんのよ!?
〈データ・リンク切断!〉〝ネイ〟が模式図上から〝オーベルト〟を消す。
〈『バケモノ』?〉電子戦担当士官席、キースに怪訝声。
〈速すぎるのよ!〉悲鳴じみて〝キャス〟の声。〈手数が馬鹿みたいに増えてるの! どうやったらあの図体であんなスピードが出せるわけ!?
〈『スピード』?〉操縦席のガードナー少佐から疑問。
〈ナヴィゲータが同じプロセッサの上でやり合えば、〉応じてキース。〈クロック当たりの手数が多ければ多いほど有利になる〉
〈そこは解る〉ガードナー少佐が頷き一つ、〈チェスで喩える話だな? 向こうが一手打つ間に二手三手打ってしまえば、ルールそのものが引っくり返る〉
〈本来、図体がでかく複雑になるほど手数は減る〉キースが言を継ぐ。〈多少単純でもコンパクトな方が有利なわけだ〉
〈なんかバカにしてない?〉〝キャス〟の声に棘。
〈小難しく考えてる暇はないってわけだ〉電子線担当曹士席のロジャーから助け舟。〈ま、離れてぶちかます分にゃマシン・パワーのが効くけどな〉
〈それが違った?〉ガードナー少佐が怪訝を投げる。
〈〝キャサリン〟はマシン・パワーと経験データの塊だ〉端的にキース。〈つまり、殴り込むには向いてない〉
〈〝キャス〟みたいな〝壊し屋〟が負けたとなりゃ、〉ロジャーが言い添える。〈〝キャサリン〟のヤツァよっぽどの手を打ってきたことになるわな〉
〈ちょっと待て、〉ガードナー少佐が衝く。〈ってことは〝オーベルト〟は……!〉

〈ステルス制御、移譲どうした!?〉ハルトマン中佐から問い。
〈ネクロマンサ通信切断!〉伝えるナヴィゲータの声は、むしろ安堵を滲ませる。〈移譲作業――完了!〉
 視覚、アクティヴ・ステルスの監視ウィンドウがポップ・アップ。模式図の中心に据わるのは〝オーベルト〟――から〝ネクロマンサ000〟へ。そこへ緑で『制御移譲完了』のロゴが立つ。
〈間に合ったか……〉溜め息一つ、ハルトマン中佐は眉間へ指。
〈あら、〉そこへ涼しげな声で〝キャサリン〟。〈先を越されたかしら?〉
〈残念だったな〉ハルトマン中佐がせめてもの皮肉を引っかける。
〈道理で、〉〝キャサリン〟も皮肉交じりに、〈〝キャス〟の姿が見えないわけね〉
〈そういうことだ、〝キャサリン〟〉ラズロ少将が静かに衝いた。〈何もかも思いのままとは思わんことだな〉
〈余裕たっぷりね〉〝キャサリン〟は憤りを出しもせず、〈腹いせが怖くないの?〉
〈無駄な手間は、〉ラズロ少将は平然と、〈むしろ嫌いではなかったかな?〉
〈そうやって強がるの、嫌いじゃないわよ〉むしろ余裕を見せて〝キャサリン〟。〈同じ手間を取るなら、建設的に行かなきゃね〉
〈建設的?〉ハルトマン中佐が眉をひそめた。〈何を始めるつもりだ?〉
〈あら、〉〝キャサリン〟の声がほころぶ。〈仕掛けを訊くのは無粋だわよ?〉
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