6-7.幽閉

文字数 3,986文字

「いいかしら?」
 貨物室、仮設シートに腰を据えたジャックへ、マリィが声をかけた。
「……ああ」
 ジャックが左隣を指し示す。マリィが腰を下ろした。
「まず、お礼を言わなきゃね――ありがとう」
「他の連中に言ってやってくれ」ジャックが小さく笑んだ。「巻き込まれてくれたヤツらだ」
「言ってきたとこよ」マリィも笑みを返す。「シンシアと――彼女と話すのは久しぶりだったわ」
「……そうか」
「彼女も気にしてたわ。私も――訊いていい?」
「内容によるな」
「あなたは、誰?」マリィがジャックの瞳に眼を据える。
「……言ったろう」ジャックは肩をすくめた。「ジャック・マーフィだ。それ以外の何者でもない」
「なぜ、隠すの?」静かに、しかし譲る気配を見せずにマリィが迫る。
「後に遺してきたものがあるからな」
 ジャックは腕を組んだ。マリィが首を傾げた。
「家族?」
「まあ、そんなもんだ。そっちに累が及んじゃまずい――理由にならないか?」
 ジャックは問うように首を傾げた。
「ならないね」サヴァンナの陰から、シンシアが首を出した。「この期に及んでそいつァないだろう」
「そうだな」スカーフェイスが続く。「俺がエリックじゃないなら、お前じゃないのか」
「分が悪いな」ロジャーがとどめを刺す。
「お前ら……」
 ジャックが片手を額に当てる。その隣で、マリィがまっすぐな眼差しをジャックに向けていた。
 ジャックは溜め息一つ、両の手を上げた。マリィの眼に向き直る。
「少なくともエリック・ヘイワードは死んだ。これは例えでも何でもなく、事実だ。俺がこの眼で確かめた」
 マリィが息を呑む――次いで声を絞り出す。
「……でも、私はメッセージをもらったわ。それで飛んできたのよ。あなたじゃないっていうの?」
「――何だって?」
 心底から驚いた顔でジャックは呟くと、携帯端末からケーブルを伸ばした。マリィに端末を出させて繋ぎ、保存されたエリックのメッセージを再生する。
『マリィ、済まない』語りかけてくるのはやや細めの顔立ち、鋭さを帯びた眼、焦茶色の髪――エリック・ヘイワード。『もしこのメッセージが君に届いたら、その時は手の施しようがなくなってると思う。俺のことは忘れてくれ……達者でな』
「……あり得ない……」眼を見張ったジャックは声を絞り出した。「あり得ないんだ。あいつが生きてるはずがない」
 焦茶色の瞳をスカーフェイスに向ける。
「やるとしたら、あいつを映すぐらいしか――そう、それしかない」
「どうして?」
「2年前、〝クラヴィッツ〟のレア・メタル鉱脈跡で何が起こったか――〝ハミルトン・シティ〟と同じだ」ジャックがシンシアに視線を飛ばした。「連邦軍の内部に潜んでたゲリラが、作戦中に正体を現した」
 シンシアが頷く。ジャックが続けた。
「結局、目標は自爆して埋まっちまった。エリックは俺と脱出したが、あいつは弾丸を受けてた」ジャックは自らの腹部を指差す。「ここに」
「――思い出した」ロジャーが顎に指をやった。「〝自由と独立〟ってェゲリラが廃坑に立てこもったっていう、アレか」
 ジャックが頷きをロジャーに返す。
「そいつだ。俺達は生き埋めになった――そういうことになってる」
「が、違った」スカーフェイスが言を継いだ。
「そう、俺達は逃げおおせた。が……」ジャックが眼をマリィに戻した。「エリックは人里まで保たなかった。この手で埋めたよ」
 マリィが唇を噛んだ。うつむき、両の手を堅く握りしめる。
 沈黙が下りた――。
「……じゃ、その顔は?」
 しばしの後、マリィがジャックに濡れた瞳を上げた。すがるような色が滲んでいた。
「……借りた」見つめ返すジャックの瞳に翳が差す。「……いずれ敵に見付かるのは判ってた。混乱させるつもりだったんだ……」
「……そんな……」現実の重みに耐えかねたように、マリィがうなだれた。たぐり寄せるように両腕を自らかき抱く。「……そんな、ことって……」
 細い肩が震える。かける言葉がなかった。
「ちょっと待て、」シンシアが敢えて沈黙を破った。「それじゃ手前は何様のつもりだよ?」
「誰でもない」
「手前!」
 シンシアが歩み寄り、ジャックの胸ぐらに掴みかかる。ジャックは棒立ちのまま受け止めた。
「この期に及んで何のつもりだ!」
「俺は俺だ。ジャック・マーフィ、ただの亡霊だ」
「この!」
 肉がぶつかる音。殴り飛ばされるままにジャックが壁面へ背を打ち付けた。
「おいやめろ!」咄嗟にロジャーが割って入った。「こんなとこで揉めてる場合か!」
「じゃあこの亡霊様とやらに正体吐かせろってんだ!」
 激昂するシンシアの語尾にかぶって涙声。それが間違いなく全員の耳に突き立った。
「……お願い、一人にして……」
 その声に疑問はなかった。ただジャックの言葉を受け入れた末の、悲嘆だけがそこにあった。
 そしてその願いを無下にできる者は、その場にいなかった。



「時間だ」
 手首のアーミィ・ウォッチ、ファーレンハイトHART7015に時刻を確かめて、スカーフェイスがバルブを回した。
 輸送機の翼端、投棄された燃料が白い尾を曳き始める。
 赤道直下の洋上――第1大陸〝コウ〟を間近に控え、行程の8割を消化した地点で一行は試みを実行に移した。
 計器盤、30%ほどを指していた燃料計の表示が、眼に見えて減り始める。
「さあ来い、来い、来い……」
 燃料の残りは25%。全員が航法画面を凝視する。
「来い、来い、来い……」
 残り20%。航法画面はまだ変わらない。
「これだけ凝った真似しといて、こういう時の芸がないなんて言うなよな……」
 シンシアが呟いて唇を噛む。
「さあ来い! ……」
 残り10%――。
 予定航路が描き直された。
「来た!」
 マリィが快哉を上げる。
「まだだ」
 ジャックが手を上げた。予定航路は南へ逸れ、〝クライトン・シティ〟直前の〝ヴィアン・シティ〟に変わった。
「まだだ――まだ〝クライトン〟に近い」
 〝クライトン・シティ〟に近ければ、〝テセウス解放戦線〟の勢力範囲に近いということでもある。
 さらに燃料を投棄し続ける。残り5%。
 警告灯が点いた。航路が再び設定し直される。
 さらに投棄。警告が続く――。
 行き先がなくなった。航法画面に新たな警告――燃料急減、不時着準備。
「よし!」
 今度はロジャーが拳を振り上げた。
 警告が続く――対ショック姿勢。
 輸送機の高度が下がる。
「こいつ、不時着まで自動でやりやがる」ロジャーが声を上げた。「乗り心地は保証なしかよ」
 シンシアが機長席に就いた。ジャックはマリィを副操縦士席に座らせる。
 4点ベルトを締め、頭を下げさせる。さらに頭を抱えさせて、ジャックは貨物室へ。
 ロジャーとスカーフェイスは、貨物室後部とサヴァンナへ向かった。
「機重を減らせ! 捨てられるもんは全部捨てちまえ!」
 ロジャーが、後部ハッチを爆発ボルトで吹き飛ばす。
 スカーフェイスがサヴァンナのエンジンをかけた。レヴァーを〝後進〟へ叩き込む。
 使いものにならないパラシュート・ザックをアクセル・ペダルに突っ込む。サヴァンナはハッチに向けて急後退、スカーフェイスが飛び降りる。勢い余りかけたその手を、ハッチ間際でロジャーが捕まえた。
 サヴァンナが機体から飛び出した。
「捕まれ!」
 シンシアが叫ぶ。3人は捕虜を連れて、貨物室とコクピットを隔てる隔壁へ――その補助シートに背を預けた。ベルトで身体を固定して、頭を下げ、両腕で抱える。
「不時着するぞ! 高度30、20、10――!」
 衝き上げるような、衝撃――。
 全員をシートから振り落とさんばかりの振動。全身を揺さぶる轟音。それが続く。
 悲鳴を上げるどころではない。衝撃でむしろ顎が噛み合わない。
 後部ハッチ周辺が、ごっそり消えた。側面がへこみ、主翼の付け根から空が覗いた。床の一部が跳ね上がる。風防が樹の枝に貫かれ、それどころか操縦室の上面がえぐれて丸ごと失せる。
 ひときわ大きな衝撃が襲った。
 ――一転。振動が、止まった。音が止む。しばし疑うような静寂。
 ――ジャックの口から、溜め息が洩れた。
 伝染――ジャックからスカーフェイスへ、スカーフェイスからシンシアへ、次いでロジャーへ、マリィへ――。
「停まっ、た……?」
 力の抜けた呟きを、ジャックが発した。
「ああ……」
 ロジャーが応じる。
 しばらく、誰も動かなかった。
『一難去ったとこで何だけど』〝キャス〟がジャックの懐から声を上げた。『さっさと動いたほうがいいと思うわよ。連邦とゲリラが押し寄せてくるんじゃない?』
「……だな」
 ジャックが、ベルトを外しにかかった。

「墜ちた!?」オオシマ中尉が、思わず声を上げた。「輸送機が?」
『はい、反応が消えました』
 〝ハミルトン・シティ〟軌道エレヴェータ管制室。ゲリラの仮設司令部を兼ねたここに、空港から管制官が報告を上げていた。
「位置は?」
 訊くオオシマ中尉に、管制官が航路データを送る。オオシマ中尉の視界半分に、第1大陸〝コウ〟の赤道直下、東海岸付近の地図が映った。輸送機の航路が重ねて描かれる。
『〝ドイル〟湾沿岸――このあたりです』
 地図上に輝点が現れた――輸送機の反応が失われた地点。
「追跡隊を派遣」聞いていたハドソン少佐が中尉に指示を下す。その片頬が苦味を帯びた。「我々も甘かったな」
「では、連中が自ら?」
 オオシマ中尉としては、そうあってほしいところではある。何にせよ、予測を外れる行動なのは確かだった。
「そう想定すべきだろう」とハドソン少佐。「連邦も勘づいたはずだ」
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み