7-2.急迫

文字数 3,956文字

 ロジャーの足に感触。
 やや離れた所で負傷兵の1人――左肩に包帯を巻いたペイトン軍曹が見張っている。眼を動かさず、視界の端に注意だけ向ける。スカーフェイスのブーツの爪先が、軽く動いていた。モールス信号――〝Take Him Out(ヤツヲ連レ出セ)〟
「トイレ」
 ペイトン軍曹の眉が疑問符を引っかけた。「は?」
「トイレだよ」後ろ手に縛られたまま、ロジャーが腰を上げる。「まさか垂れ流しってわけじゃねェだろ?」
「ああ、」ペイトン軍曹は、思い当たったという風に頷いた。「ちょっと待ってろ。クレメンス!」
 呼ばれたクレメンス1等兵が、左脚を曳きながらやって来る。
「御用ですか、軍曹殿?」
「ちょっと見張ってろ」と肩越し、ジャックら2人へ親指を向ける。「1人トイレだと」
「は」
「ほれ、来い」
 ペイトン軍曹はロジャーを指で招いた。後ろ手のまま、ロジャーはペイトンの前へ。
 樹を何本か隔てたところで、背後からペイトンが指図する。「そこを右だ――ああ、この辺でいいだろう」
 ロジャーは振り返った――可能な限り、間の抜けた面を作りながら。
「――で?」
「〝で?〟じゃなかろう」
「いや、縛られたまんまじゃ用が足せねェ」
「ああそうかい、」ペイトンは見るからに気の進まない風で、「前を開けて欲しいってか」
「大だ。済まねェな」
 ペイトン軍曹の顔が一段と暗くなった。

 地面に座っていたジャックが、身体を折った。
 低く、小さく呻きを上げる。横へ転がり、息を荒げて、更に上を向く。
「おい、どうした?」
 クレメンス1等兵が声をかけた。
「……あんたらの……」ジャックは転がりながら、「……ボスに……」
 ジャックが下を向く。舌を出し、さらに喘ぎ。
「おいおい、」クレメンスが左脚を引きながらジャックへ近付いた。「大丈夫か?」
「……いや……」
「ったく、下手なこと言って中尉を怒らせたんだろ」ヒル中尉の怒りようは、クレメンスには容易に想像できたと見えて、「自業自得ってヤツだ」
 ジャックからは言葉が返らない。ただ喘ぎ。
 その傍らで、スカーフェイスがブーツの踵へ手を伸ばした。クレメンス1等兵の眼はジャックへ向いている。
 ジャックが嘔吐――するものもなくなって胃液を吐く。
「あーあーもう、しようがねェな」
 クレメンス1等兵が頭を掻く。その姿を見ながら、スカーフェイスは踵、仕込んだカミソリを取り出した。
「……は……」
「え、何だって?」仕方なしといった体で、クレメンスがジャックの背に手を伸ばす。
 スカーフェイスが後ろ手、手首のプラスティック・ワイアに切れ目を入れた。
「……げ……」
「おいおい」
 ワイアが切れた。スカーフェイスは立ち上がりざま、クレメンス1等兵の後頭部に突きを入れる。
 クレメンス1等兵が昏倒した。ジャックにカミソリを渡し、スカーフェイスはクレメンス1等兵の装備を物色する。
 ジャックがワイアを切る頃には、頷き一つ残して、スカーフェイスは飛び出していた。

「なァあんた、」しゃがんだロジャーが、間の抜けた声で問いを投げる。「男のトイレ見てて楽しいか?」
「誰が」ペイトン軍曹はげんなりした顔で、「お前らが邪魔してくれなきゃ、今頃こんなことしてるもんかよ」
「あー、そりゃ済まなかった」ロジャーは後ろ手のまま肩をすくめる。振り返って、「で、」
「――今度は何だ?」
「紙」
「――、」口を開きかけたペイトン軍曹は、そのまま崩れ落ちた。背後からスカーフェイスが抱きとめる。
 ロジャーは大きく溜め息一つ、「助かったぜ。いい加減自分が情けなくなってきたとこだ」

〈いやがった!〉
 斥候に出たニーソン兵長が、同行するホーカー上等兵の肩を叩いた。拡大スコープ越し、暗視処理された粗い拡大映像に軍服が映る。警戒しつつ移動しているものと察して、視線を動かす。
〈こっちも見えました。方位015……007にも1人、いや2人〉
〈目標は……あれか〉
 隙なく銃を構えた一団に混じって、丸腰の女が隊列の中央部に2人。うち1人は足取りからして素人臭い。
 観察することしばし、相手の規模に見当をつけて、ニーソン兵長は振り返った。
〈1個分隊ってとこだな――お前は本隊へ走れ〉ニーソン兵長は南側へ親指を向ける。〈俺はこいつらに張り付く〉
〈は〉
 ホーカー上等兵を見送って、ニーソン兵長が追跡を始めた――直後。
 樹の枝に仕掛けられていたセンサがニーソン兵長の体温と体型に反応した。
 敵を発見したセンサが警報信号を放つ。

 センサの発した信号は、ヒル中尉らの位置にも届いた。
〈電波を検知!〉〝アマンダ〟がヒル中尉に告げる。〈おそらくセンサの警報信号です。方位007!〉
〈見付かったか!〉
 ヒル中尉は舌を打つ。ただ、銃声はまだ耳に届かない。
〈ニーソンにホーカーめ、まだ無事でいやがれよ……〉

〈無線信号! 進路前方、方位このまま!〉
 〝キャス〟の声が聴覚に入った。ジャックら3人は装備を奪い返し、さらにペイトン軍曹らの野戦装備も手に入れて、一路北を目指して進む。
〈くそ、間に合うか……?〉

 ホーカー上等兵が、ヒル中尉率いる分隊に合流した。隊列の中央、ヒル中尉の元へ出頭して敬礼する。
〈目標を発見。敵は方位007、戦力1個分隊と推定。方位005へ向かって進行中! 距離約1キロ、速度毎時1キロと推定します〉
 中尉がペーパ・ディスプレイを拡げた。付近の地形図を映し出す。
 ホーカー上等兵が発見した目標の位置と進行方向を描く――その先に、小高い丘。
〈連中、高飛びする気だな〉
 ヒル中尉は顔を上げた。VTOL機と合流して逃げる――相手の意図はそう見えた。
〈小細工仕掛ける時間はないか。追い上げるぞ!〉

 再びセンサからの警報信号。
〈反応9! 敵の本隊と推定します!〉
 聴覚にナヴィゲータからの警告。〝テセウス解放戦線〟、分隊を率いるケルヒャー曹長は、思わず背後へ眼を投げた。
〈なりふり構わず追ってくるか〉
 斜め後ろ、回収した〝ジャーナリスト〟――マリィ――へ言葉を向ける。
「少々急いでいただくことになります」
 〝ジャーナリスト〟は疲労を滲ませ始めている。

 ニーソン兵長は背後に気配を感じた。まっすぐ近付いてくる、その相手へ振り向きざま銃口を擬す。
 背を屈めたシャベス伍長が左の掌をかざしていた。見て、ニーソン兵長は銃を下ろす。分隊が追い付いてきたものと知れた。
〈どうだ?〉
 シャベス伍長が簡潔に問う。
〈進行方向変わらず〉ニーソン兵長は小声で返した。〈速度はいくらか上がってますが、大したことありません〉
〈中尉に報告してこい〉シャベス伍長が前方、敵の後尾を見透かしつつ、〈先鋒は俺が引き受ける〉

〈センサ弾、撃て!〉
 ヒル中尉から号令。地面に伏せながら、シャベス伍長は引き鉄を絞った。
 GL11グレネード・ランチャがセンサ弾GR13Rを撃ち出す。
〈センサ情報来ました!〉
〈無線封鎖解除、データ・リンク解放!〉
 センサ弾がよこしたデータと合わせ、分隊員各自のセンサ情報をリンクさせる。各分隊員の視覚に敵の位置が投影された。
〈反応14! 目標、恐らく隊列中央です!〉〝アマンダ〟がヒル中尉へ告げる。目標――〝ジャーナリスト〟らしき人物の位置をひときわ明るく示した後、〈アクティヴ・サーチ検知、数9! 敵もセンサ弾を打ち上げました!〉
 間をおかず、最初の一撃。視野のほぼ中央、手前の敵にヒット・マーカが重なった。
 応射。双方の弾幕が頭上を覆う。頭もろくに上げられないような銃撃の応酬。
 その最中、ブラヴォ班の位置で爆発。音から榴弾が着弾したものと知れた。
『ホーカー上等兵:生体反応なし』
 ヒル中尉の視覚に情報が重なる。中尉は歯噛みした。敵中に〝ジャーナリスト〟がいる以上、大威力の武器を使うわけにはいかない。
 敵が後退する――その気配。後方、丘へ。
〈逃がすな! ブラヴォ班前進!〉
 ヒル中尉以下の5人――アルファ班が掩護の弾幕を張る。右斜め側方に展開した5人――ブラヴォ班が頭を下げて前進。途中で1人が敵弾に倒れた。
〈ブラヴォ班掩護! アルファ班前進!〉
 シャベス伍長を先頭に、アルファ班の5人が動く――と、その途端。
 爆発――。
 正面、2箇所。血煙が上がる。シャベス伍長とマッケンジィ上等兵の上半身が吹き飛んだ。
 対人地雷EXM322マンドラゴラ――その名がヒル中尉の頭に上る。

 銃声、その連なり――もうさほど遠くはない。
〈始まったか!〉
 荒い息をつきながら、ジャックは遠く前方へ眼を投げた。
 盛んに無線通信が届いてくる。暗号変換の施されたそれは、読み取らずとも集団戦闘の始まった証と取れた。
〈回り込むぞ!〉先頭を行くスカーフェイスが振り返る。〈戦場に飛び込んでっても仕方がない〉
 目指すべきはその先、小高い丘。――ゲリラが友軍と合流するには格好の場所。

〈くそッ!〉
 舌打ちしつつ、血の飛び散る地表へ飛び込む。罠か――ヒル中尉は苦い思いで考えた。
 対人トラップを張る余裕が、相手にあったはずはない。恐らくは遠隔操作で爆発させたものと、理性はそう計算していた。
 とはいえ、二の轍を踏むわけにもいかない。
 正面きって攻め込めないなら、後ろを取りに回り込むまで。
〈ブラヴォ班、右から丘側へ回り込め!〉ヒル中尉は指示を通信に乗せた。〈アルファ班、掩護! 撃て!〉
 アルファ班、残った3人が一斉射撃。その銃声に、音が混じった――VTOL機UV-88アルバトロスのロータ音。

〈来やがった!〉
 ロジャーが舌を打つ。丘を回り込む、まだ半ば。
 眼を上げてみても、低空で進入してくるアルバトロスの姿はまだ見えない。が、ロータ音は低く耳に届く。
〈畜生、しんどい勝負だぜ!〉傍らのジャックへロジャーが呼びかける。〈急がにゃ出番がなくなっちまうってよ!〉
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