8-7.侵入

文字数 4,264文字

 疾走――。
 エア・スピーダ・ハイウェイ・パトロールがその全力を傾けて猛然と追い上げる。その先には目標、〝605移動〟――正確にはそれにすり替わった〝602移動〟、そのテイル・ライトが視界に滲む。
 後方で車線を封鎖したからには、邪魔はといえばはるか前方に一般車輌が残るのみ。目標との間を隔てる邪魔者は一切ない。
「馬鹿にしやがって!」ハンドルを握る巡査部長はスロットルを開けた。「たかがテッラで逃げ切れると思うなよ!」
 警察用にチューンを施したとはいえ、テッラの心臓はエア・スピーダ、それもハイウェイ・パトロール仕様にまでは遠く及ぶべくもない。それが遮るものとてないハイウェイに躍り出たが最後、勝負の帰結は見えている。
 エア・スピーダが全力を叩き出して加速、その力は最大で2.0Gにも及ぶ。それをも解放、エア・スピーダがテッラとの間を見る間に詰める。
 横へ並ぶ。追い越し車線を疾走するテッラの運転席、人影さえも窺える距離へと車体を寄せる。
『そこのテッラ!』助手席から巡査が拡声器に警告を乗せる。『もう逃げ場はない! おとなしく……』
 そこで衝撃。テッラが横ざまに車体をぶつけてきた。
「元気があるじゃねェか!」巡査部長が怒りを声に滲ませた。車体をテッラへ寄せ返す。「こっちのボディを甘く見てんじゃねェぞ!」
『アクティヴ・サーチ!』ナヴィゲータから警告。『上空です! ――援軍が!』
『こちら〝ホーク1〟!』暗号無線に待望の声。『そこのエア・スピーダ、目標の頭を押さえろ! こちらから狙撃する!』

〈無茶しやがる!〉UV-88アルバトロスの腹の中、開け放ったサイド・ハッチ越しに狙撃兵の伍長がSR215イーグル・アイの照準器をテッラへ向けつつ、苦く呟きを噛み潰した。
 その向こう、遮るものとてない148号線ではエア・スピーダがテッラの前を今しも遮ろうというところ。アルバトロスはそれに進路を並べつつ機体を軽く左ロール、伏せ撃ちの伍長に射界を与えている。
 流れ弾をエア・スピーダへ飛ばすわけにはいかない。ましてや一般車を巻き込むなど論の外。それを見越しての狙撃兵だったが、時速はすでに200キロ――彼にしてみれば、それはそのまま横風となる――での狙撃となると、その難度は通常のそれにはるかな輪をかける。救いは目標の大きさだが、それにしても楽な仕事ではない。
〈エンジンを狙え!〉
 言わずもがなの注文が機長席から飛んでくる――それも右に左に蛇行しながらの目標が相手。
〈照準補正、かけます!〉ナヴィゲータが気流データを照準器へ送り込む。補正、右に1.5度――、
 ――撃発。7.5ミリのライフル弾が撃ち抜いたのはテッラの屋根、その前縁。
〈照準修正!〉着弾を見たナヴィゲータの声。〈右500ミリ! 下300ミリ!〉
 ボルト・アクションで次弾を薬室へ送り込み、覗いて再び照準器。ナヴィゲータの示す方向へ向かって補正、蛇行するテッラ、そのボンネットに据えて照準――、
 ――撃発。今度は狙い通りに火花が散った。テッラがいきなり制御を乱して速度を落とし、照準器の視界から外れる。
〈降下!〉
 機長が宣するなり、アルバトロスが高度を下げる。眼下ではエア・スピーダがテッラの横腹へ体当たりをくれていた。ガード・レールにテッラが盛大な火花を散らす。
 両翼端のターボ・シャフト・エンジンを上方へ向けて、アルバトロスはテッラの上空へ。両側面のスライド・ハッチを開放したアルバトロスが、停止したテッラの真上で静止する。
 アルバトロスが載せてきている歩兵1個分隊がワイアを下ろした――と見るや一斉に懸垂降下。テッラの目前に展開して突撃銃AR113ストライカの銃口を向ける。
 警告抜きで発砲――フロート・エンジンを蜂の巣に。
「おとなしく出てこい!」言いつつAR113を構えた分隊長がテッラに迫る――抵抗の一つもあろうものなら即座に銃弾の雨を見舞う、その威圧を携えて。
 反応はない。あっけないまでに何もない。訝しむ念を抑えつつも、分隊長は照星越しの視線を運転席に据えた。なおも近付く――そして見る。
 そこにいたのは縛り上げられた警官が2人――それだけだった。



「また派手にやったな」
 バレージがデスクからペーパ・ディスプレイを投げてよこした。表示されているのは〝クライトン・シティ・エクスプレス〟、先頭チャプタの見出しには〝夜の大追跡作戦〟、〝首謀者は〝自由と独立〟の亡霊か〟――いずれも踊って派手な字体。応接セットの足元からそれを拾い上げたジャックが、澄ました顔で答えを返す。
「おとなしくやれとは頼まれなかったからな」
 記事によれば――問題の首謀者は市警を挙げたカー・チェイスの末、遂には陸軍航空隊までをも巻き込んで海沿いに〝クライトン・シティ〟方面へ向かった挙げ句、最後は姿をくらましたとある。事実、一連の騒動は正しく当局の眼を引き付けた。
「世間の耳目を、」バレージはこめかみを軽く押さえた。「これ以上集めてどうする? 後始末を押し付けられる身にもなれ」
「脅されて余裕もなかったんでね」対するジャックの声はあくまで涼しい。
「とにかく俺達はあんたの眼の前までやってきた。ポリスの眼もごまかした」ロジャーが後を引き継ぐ。「お眼鏡にゃこれで適ったかい?」
 鼻息一つ、バレージは昂然と2人を睨めつけた。返ってくるのはやはり鋭い2対の眼。
「……よかろう」バレージが重い声で宣した。「取り引きはこれで成立だ」



『こちら〝惑星連邦〟陸軍第3軍広報部です。ただいま回線が混雑しております。しばらく待ちください――』
 コールに応じたのは自動応答メッセージ。
「ま、予想はしてたがね」
 ロジャーの指がデスクを叩く。
 〝ヴィアン・シティ〟西部、〝パラディ商会〟が構える事務所の一つ。地下の一室を与えられたジャックらは、情報戦の幕を開けた。
 手始めに仕掛けた相手は〝クライトン〟陸軍駐屯地に本部を置く駐屯陸軍広報部。現在では〝テセウス解放戦線〟の制圧下にあるはずのそこに、通話回線を通じて〝キャス〟と〝ネイ〟が侵入を図る。足がかりは自動応答端末、トラップ・プログラムとエラー信号を仕込んで、まず第1段階とする。端末のエラー信号を検知して、メンテナンスが行われれば、トラップが密かに作動する細工を施す――これを繰り返すこと256回。
 次いで、個人へのダイレクト・コールを試みる。手がかりにしたのは〝サラディン・ファイル〟、そこに記された広報部所属員のリスト。呼び出し音に応えないのは先刻承知――基地局と端末がデータを交換する、その流れに乗って〝キャス〟と〝ネイ〟がセキュリティの穴をあぶり出す。
 広報部に所属する、ある大尉の端末に見出して隙――ジャズ音楽配信の新譜通知サーヴィス。〝ネイ〟がそこへ付け入った。本来のメッセージを待ち受け、改変し、スパイ・プログラムを紛れ込ませて送り出す。あるいは広告データ、あるいはヴァーチャル・リアリティ・ポルノ・ソフトと品を変え、同様の経路で仕込みができたのは48人。
 反応は時間を置いて現れた。
 最初の改変メッセージがダウンロードされたのは約1時間後。メッセージが確認され、削除されるまでの間に、スパイ・プログラムはライブラリィへ潜り込み、端末内での位置を確保する。セキュリティに〝裏口〟を設け、基地局との位置情報交換に紛れて〝ネイ〟に〝侵入成功〟の報を送り出すまで約1分――この報と同時に、〝サラディン・ファイル〟の信憑性もある程度は確かめられたことになる。
 侵入成功の確認を待たず、並行してジャックたちは連邦軍への侵入にも取りかかった。
 まず試したのは、強奪したアルバトロスが使っていた衛星通信回線。〝キャス〟が持っていたアルバトロス〝ハウンド1〟の暗号でアクセス――失敗。さすがに盗まれた機体からのアクセスは遮断されていた。
 次に狙ったのは〝ラッセル〟陸軍駐屯地に駐屯する第4師団。基地に出入りする〝キタムラ・デリヴァリィ〟の営業用サーヴァにトラップを仕込み、基地宛の配送情報に紛れてサポート・プログラムを送り込む。
 〝パラディ商会〟の端末だけでは飽きたらず、〝キタムラ・デリヴァリィ〟やその他配信会社など、外部から掠め取ったマシン・パワーまで動員して、整備大隊、補給隊のサーヴァへ押し入った〝キャス〟と〝ネイ〟は、整備中の機動戦車を経由して戦車大隊の戦闘情報ネットワークへ。さらには師団司令部の端末へと踏み込む。
 この間、セキュリティが作動すること152回。そのたび〝キャス〟と〝ネイ〟はダミィ・ウィルスを生け贄に仕立てて駆除にマシン・パワーを消費させ、稼いだクロックの間に隙を洗い出して付け入った。足場として潜り込んだサーヴァにあえて逆侵入を許し、丸ごと切り捨てて煙に巻いたことも14回。
〈くゥ、手応えあるわァ〉
 洩らしつつ、〝キャス〟と〝ネイ〟は主要都市奪還作戦のデータ・リンクとの接触を確立した。
『あーらら、やっぱり仕掛ける気でいたわね、こりゃ』
 言いつつ、〝キャス〟がモニタの一つへ収穫の一つを示した。『ジャーナリスト解放に係る宇宙軍の対応手順』、その命令書。
 連邦軍のシナリオには、スペース・フリゲート〝シュタインベルク〟がジャーナリストを回収する予定とある。その直前、領事館スタッフを回収するのは別のフリゲート、艦名は〝ダルトン〟。
『〝シュタインベルク〟の方に仕掛けてあると見るべきね』〝ネイ〟の指摘も冷徹を帯びる。『まあ確証を取るには、監査局あたりに忍び込まなきゃなんないでしょうけど。そこまでやる?』
 裏のシナリオが透けて見える――ジャーナリストを載せた連絡艇が〝シュタインベルク〟へ回収された途端に、着艦デッキで爆発でも起こす、と。演出するのは宇宙軍か監査局か。
 ジャックは首を振った。
「いいや。それより、知りたいのはジャーナリストを移すタイミングだ」
『まあ猶予は半日ってとこね』〝キャス〟は軌道エレヴェータの運行予定表を別のモニタへ映し出す。『チャータが集中して入ってるのが今日の夕方。ジャーナリスト解放が今日の2359時ジャスト。まあ間違いないでしょ』
 4人の視線が合う。
「てことは、」ロジャーが空気を言葉に直す。「仕掛けるのは今夜、日没と同時ってとこか」
 ジャックとスカーフェイスが頷いた。
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