3―4.逃走

文字数 3,256文字

〈何だと?〉
 エミリィ・マクファーソンに思わず声。
 夜通し覚悟で〝大陸横断道〟を辿る車上、フロント・ウィンドウへ賞金情報が重なる。そこに名を連ねてジャック・マーフィ、賞金の主は――〝メルカート〟。
〈何であの野郎に賞金なんかがかかってんだ!?
〈つい20分ほど前だ〉〝ウィル〟の声が情報を補う。〈名目は〝捜査協力要請〟、ジャックを含めて10人が対象に上がってる〉
「あンの馬鹿、一体何やらかしやがった!?
 エミリィの脳裏に1つ、引っかかるところがないでもない。
〈確か、元〝ブレイド〟ン中に、麻薬に首突っ込んだバカがいたよな?〉
〈当の本人はもう死んでる。こっちからは情報を流してないがね〉
〈別件のとばっちりか? ジャックのヤツが、勝手に情報を仕入れてやがったか?〉
〈あり得るな――ああ、〝トロント〟からコールだ〉
『よォ、知ってたか?』情報屋〝トロント〟が呑気な顔で、エミリィの視覚へ現れた。『ジャックのヤツ、面倒なことになってるな』
「オレの知ったことかよ」
『おンや? ロジャーからはずいぶんご執心だって聞いたぜ』
「あの馬鹿の話、いちいち真に受けるんじゃねェよ!」
『ほおォ、こいつは面白ェ』〝トロント〟が映像の向こうで小さく噴いた。『確かにこりゃおちょくり甲斐があるなァ』
「用はそれだけか、この出歯亀!」
『面白ェもん聞けたからな、土産やるよ。あの野郎、〝カーク・シティ〟で見つかったみたいだ。助けてやんな』
 一方的に〝トロント〟が通話を切る。
「……余計な世話だっての」
 エミリィは眉間に皺を寄せた。

〈尾行が付いたわね〉〝キャス〟が告げた。〈左後方、10メートル。カーキ色のコートの男〉
 ジャックの視覚へ、〝キャス〟が映像を重ねる。肩を並べたカップルとほろ酔いの3人組がバーのイルミネーションに浮かび上がる、その後ろ――中背、小太りのコート姿。
「前を見てろ」ジャックはマリィに釘を刺してから、〈〝キャス〟、尾行が始まったのは?〉
〈3分前から。距離がずっと変わらないわ〉
「カーキのコートの男――引っかけるぞ」
「え……?」
「来い!」
 マリィの眼前で手招き一つ、ジャックは路地へと姿を消した。
「あ……!」
 半秒ほど遅れて状況を呑み込んだマリィが後を追う。その彼女を待ち受けたジャックが、マリィの身を壁へ押し付けて人差し指を口許にかざす。「じっとしてろ」
 壁を背にしたマリィと、そこへのしかかるように立つジャック。女が男に言い寄られている図、に見えなくもない――その前に、マリィの胸で悪い脈が跳ねた。
「……!」
「(喋るな。声でバレるぞ)」
 悲鳴を上げかけたマリィの耳元でジャックが囁く。声紋で人物を特定される――彼の言葉をそう理解するどころか、マリィは悲鳴そのものを呑み下すのに必死の思いを費やした。
 手を振りほどく間にも、カーキ色のコートが壁際から覗いた。マリィが息を呑む。
 コートの主は果たして、路地へ足を踏み入れた。その襟首を、ジャックは掴んで引き寄せる。
「……!」
 声を上げる暇も与えず、ジャックは男の口を押さえた。
「(動くな! 黙ってろ!)」
 声紋を検知できない囁き声で脅すと、ジャックは相手の懐へ左手を突っ込んだ。
「待っ……!!
 言いさした男の、今度は喉元を押さえ込む。潰れたカエルのような声一つ、男は息を塞がれてただ喘いだ。
 ジャックは男の懐から携帯端末を探り出した。片手で器用にケーブルを繋ぐ。
〈はいビンゴ〉〝キャス〟が相手の端末を乗っ取り、断定。〈こいつ、やっぱり私たちを追ってたわ〉
「(敵の展開は?)」
〈四方から仲間が来てる〉
 ジャックは舌打ちを一つ、男に当て身を食らわせた。悶絶した相手の端末を懐に、今度はマリィを手招きして路地を抜ける。
「〝キャス〟、地図を」
 敵の端末が〝キャス〟の支配下にあることを確かめ、ジャックが周囲の地理を問う。〝キャス〟は地図を彼の網膜へ。さらに〝敵〟の配置を探り、地図の上へと重ねて示す。
「地下鉄だ」
 ジャックは角を折れた。コミュータのテイル・ライトを背に、地下道へ降りる階段が見える。その向こうから歩み寄る人並みの中、一人に〝敵〟のタグが立つ。
 〝キャス〟が示す地図の中、奪った端末の位置は元のまま。至近の〝敵〟がその位置に到るまで、およそ1分というところ。
「敵だ。やり過ごす。ヤツを見るな。声を出すな」
 マリィに指示を投げると、ジャックは手を放した。そのままの速度で歩き続ける。
 マリィの網膜にも〝アレックス〟が同じ情報を描いていた。視界に〝敵〟の姿が浮かび上がる。黒い革ジャケットの、髪の短い、浅黒い肌の女。
 平静を装う、その難しさ――それを身に沁みて感じながら、マリィは歩調を保とうと努力した。
 女が地下道の入口を過ぎる。マリィの鼓動が耳に響く。
 残り数メートル。視線を〝敵〟へ向ける、その誘惑を必死の思いで撥ね退けながら、マリィはただ歩き続けた。
 女とすれ違う。
 相手が立ち止まった。マリィの心臓が跳ね上がる。

『……待て、……の信号が……しない』
 革ジャケットの女は、足を止めた。
「何だって?」
『接しょ……じゃな……』
「何だよ、先週新調したヤツだぞ」
 女はジャケットの懐、携帯端末へ手を伸ばす。

 マリィの背筋を、汗が伝う。
 唾を呑み、視線を正面へ縫い付けて――そのまま階段、地下道へ。
 思わず、深く息をつく。歩調が緩みかけたところで、ジャックが再び手首を掴んだ。
「(油断するな)」
 ジャックに手を引かれて歩き続ける。後ろを振り返る、その衝動を辛うじてマリィは呑み下した。

「この辺にしといてほしいぜ」〝メルカート〟の通信回線に手を出したエミリィは独りごちた。「……心臓に悪い野郎だ」

 革ジャケットの女が路地へ入った。
 路地の先、隣の通りへ抜けるところで、カーキ色のコートが眼に入る。女は歩を早めて歩み寄った。
 男は壁を背に伸びていた。女は舌打ち一つ、仲間への回線を開く。
「マルコがやられた! こっちの情報がヤツらにバレてる!」

 奪った端末からの情報が途絶えた。構わず、ジャックは地下鉄の自動改札を抜けた。そのままプラットフォームへ足を向ける。
〈いいの? 逃げ道がなくなるでしょ〉
〈警備システムも1系統だけになる。ハックして俺達の映像をループさせろ。着替えて次で降りる〉
 滑り込んできた列車へ乗り込み、〝キャス〟の合図を待つ。
〈さっきの男、仲間に見付かったみたい〉
〈だろうな〉ジャックは見越した風で、〈こっちの首尾は?〉
〈映像を記録中。発車してから10秒待って〉
 地下鉄が発車した。きっかり10秒、〝キャス〟から合図。
〈いいわ〉
 警備システム内、ジャックらの周辺に当たる情報だけが上書きされる。
 ジャックはコートと帽子を脱いでマリィへ渡した。
「帽子をこっちへ。コートだけ着ろ」
 マリィがジャケットをコートに着替えると次の駅、他の降客に紛れてホームへ降りる。奪った端末は車内に残し、脱いだジャケットを手にそのまま地上へ。
「このまま北へ街を抜ける。〝キャス〟、渋滞がなくなる辺りに〝ヒューイ〟を呼べ」

『2人を取り逃がしました』
 ストリートの元締めへ、革ジャケットの女から報告が入った。
「ドジめ!」元締めが吐き捨てる。「まだ近くにいるはずだ。頭数回してしらみ潰しにしろ」
「連中の外見の最新データは?」オブザーヴァ役の情報屋が、報告してきた女に求める。「そのマルコってヤツの記録があるはずだ」
『……端末を盗られました』マルコ本人の消え入りそうな声。『カタギくさい女連れでした。亜麻色の髪で、身長は……』
「名前は!?
 訊く元締めの横で、情報屋が〝雑貨屋〟に残ったメンデスらへ指示を飛ばす。
「ヤツの連れはカタギだって!? そういうことは早く言え! 名前は、特徴は!?
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