第1話  気づくより速く  

文字数 2,124文字

都心のビジネスホテル。客室が並ぶ廊下に黒いスーツの男性が3人転がっている。3人とも石のように動かない。

男たちの前に少女が呆然と立っている。スパイスの効いたエスニックフード的な風貌。ティーシャツの上にパーカーを羽織り、太めのカーゴパンツにトレッキングシューズ。やや茶色がかった髪の毛が鳥の巣のようにバサついている。

少女の後ろで客室のドアが開き、30代後半から40歳くらいの女性が姿を現す。
アオイ、急に物音がしたけど、大丈夫?
あ、慧子。廊下に出たら男の人達が駆け寄ってきて……で、意識が飛んで……
慧子と呼ばれた女性が、少女の前に出る。
アオイ、あなた、この人達に非接触放電したのね。
ええっ、そぉなのか? いや、そうとしか考えられないか。慧子、あたし、この人たちを殺してないよな。
安心しなさい。あなたには、人は殺せない。私が、あなたを人殺しはできないように改造したのだから。
でも、慧子が予想してなかった力が現れたじゃないか。いつ人殺しになってしまわないかと、あたしは心配だ。
今、私が確かめてあげる。

慧子が男たちに近づき、かがみこむ。ラフな服装のアオイと対照的に、紺のパンツルックのビジネススーツで身を固めている。公立小学校の母親参観で浮きまくっているバリキャリウーマン的な雰囲気。ただ、パンプスでなくビジネス兼用のウォーキング・シューズを履いている所が、ちょっとアンバランスではある

大丈夫、みんな息がある。気を失っているだけ。

(独り言)あら、手のひらの中にあるこれは何かしら?

慧子が一人の男の手から棒状の物を取り出して立ち上がる。

均整の取れた長身。真っ直ぐ通った鼻筋を中心に見事に左右対称な細面は造形的に実に美しい。しかし、華やかさがまったくない上に全身から知的でタフな感じを漂わせていて、美人としてもてはやされるタイプとは程遠い。

生きててくれて、良かった。

だけど、この人たち武器を持ってるように見えない。やり過ぎちまったか?

これを持っていたわ。
慧子が男の手から取り出した物をアオイに見せようとすると、すぐ後ろのドアが少し開き、40代くらいの男性が顔をのぞかせた。
和倉さん、部屋に戻って。ロックして、私がいいと言うまで開けないでください。
和倉と呼ばれた男が部屋に戻り、ドアを閉めた。

慧子が、男から取り上げた棒状の物をアオイに見せる。

ただのボールペンじゃん。

違うわ。
慧子が、ボールペンをノックして、現れた先端を注意深く見る。
ボールペンの先端が太くて長い注射針になっている。この針なら衣服をつきやぶって身体に届くわ。
えっ、じゃ、あたしを眠らせようとしたのか?

あなたが非接触放電したという事は、この男達は、あなたを殺そうとしていた事を意味する。注射器の中身は致死性の毒薬に違いない。
あたしを殺そうとした……だから、あたしは気づくより速く非接触放電した……

人間が何かの動作を行う時は、これから動作を始めると意識する0.5秒前に、脳内で動作を起こす準備電位が発生している。

あたしは、敵があたしを殺そうとする動作の準備電位を検知するんだよな。と言っても、実はピンと来てない。

無理もないわ。現代の科学では理論的に説明しきれない奇跡のような現象なのだから。私も、あなたにこんな能力が現れるとは思ってもみなかった。でも、あなたには、それが出来る。それが事実。

突然意識が飛んで、気づいたらあたしの放電を浴びた人間が転がってる。気味が悪い。何度経験しても慣れない。
あなたには放電したという意識が全くないのだから、気持ち悪いわね。

だけど、なんで、あたしが狙われたんだ?

本当の狙いは和倉さんだったと思う。でも、あなたに和倉さん殺害を目撃されたくないから、あなたを殺そうとした。凶悪な連中ね。


あたし達は、医薬品会社を内部告発しようとして会社の雇ったヤクザに命を狙われてる和倉修一を警護しに来たんだよな。

それが、「M」から依頼された仕事。
だけど、こいつら、ボールペンに見せかけた注射針を持ってた。そこらのヤクザがこんな気の利いた物を持ってるとは、思えない。
私たちが知らされていない情報がありそうね。
これは「M」から請けた仕事だぞ。「M」は、あたし達に隠し事なんか、しない。
私も、「M」が隠し事をしたとは思わない。彼女も知らない何かがあるのよ。「シェルター」が「M」に知らせなかったか? 和倉さんが「シェルター」に隠しているのか? 私は、後の可能性が高いと思う。
クソッ、警護対象者を信用できないってことか。


ともかく、今は、和倉さんをここから連れ出すしかない。最大限警戒しながら行くわよ。他にも殺し屋が潜んでいるかもしれない。

そうだな。こんな所からは、さっさとオサラバしよう。

慧子が、先ほど開きかけた客室のドアをノックした。
和倉さん、私です。出てきてください。ここから移動します。
廊下に出てきた和倉が、倒れている3人組を見て驚く。
えっ、これは!
おっしゃるとおり、あなたを排除したがっている連中がいるのですね。でも、ご安心ください。

そういう連中からあなたを守るのが、私たちの仕事ですから。

あ、はぁ……よろしくお願いします。
三人は、アオイ、和倉、慧子の順に並んでエレベーターホールに向かった。
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登場人物紹介

山科 アオイ  17歳


アメリカ国防総省が日本に設置した秘密研究所で放電能力を持つ生体兵器に改造された少女。

秘密研究所を脱出した後、国家や企業から命を狙われる個人を保護するグループ「シェルター」に拾われ、「シェルター」が保護している人々のボディガードとなる。

山科アオイは、国防総省から逃れた後に名乗っている偽名。本名は、道明寺サクラ。


《放電能力》


※非接触放電  有効射程 20メートル

・単独のターゲットに致死的な電流を浴びせる設計だったが、アオイを暗殺兵器にしたくなかったレノックス慧子が故意に改造手術をミスしたため、致死量の放電はできない。

・設計にはなかった複数のターゲットを同時に攻撃する能力が発現している。


※接触放電  対象と身体を接して放電し対象を金縛りにする事ができる。


レノックス 慧子/アオイの相棒  37歳


元は、アメリカ国防総省で特殊兵器を開発する技術者だった。

日本人の両親の間に生まれたが、両親が離婚し母がアメリカ人と結婚したため、レノックス姓を名乗っている。


慧子を含む5人を「放電型生体兵器」に改造した。そのうち4名は職業軍人で改造されることを志願した者たちだったので、設計どおり致死能力を持たせた。

しかし、国防総省に拉致された民間人であるアオイに対しては、設計上求められていた致死能力を与えなかった。このため、アオイは一度も暗殺兵器として利用されていない。

アオイが秘密研究所を脱出するのを助け、後に自らも国防総省を離脱してアオイに合流して、2人で「シェルター」のボディガード役を務めている。

M 年齢不明


「シェルター」内でのアオイと慧子の「世話役」。アオイ達と「シェルター」の関係を調整する。

「シェルター」は組織に追われる個人をかくまうが反撃はしない非抵抗主義を貫いていたが、強力な戦闘力を持つアオイが加わっったため、一定限度の自衛力を持つ方向に転換した。

しかし、アオイ達の活動と「シェルター」本来の非抵抗・非暴力主義との関係は微妙で、Mは、常に難しい舵取りを求められる。

元はロボット工学の権威で、現在でも、アオイと慧子に様々な偵察・攻撃用の超小型ロボットを提供している。

宝生 世津奈(ホウショウ セツナ) 35歳


産業スパイ狩りを専門の調査会社「京橋テクノサービス」の調査員。

以前は、警視庁生活案全部生活経済課で営業秘密侵害事案を扱っていた。


ITとクルマに弱く、この方面では相棒のコータローに頼りっきり。


ホワっと穏やかだが、腹が据わっていて、必要とあれば銃を取って闘うこともためらわない。

コータロー(本名:菊村幸太郎) 27歳


調査員。宝生世津奈の相棒。

一流大学の博士課程(専攻は数理経済学)で学んでいたが、アカデミック・ハラスメントにあって退学。2年間の引きこもりを経て、親戚の手で「京橋テクノサービス」に押し込まれる。

頭脳明晰で、IT全般に強い。空手の達人で運転の腕も一流。


アカハラの後遺症で「ヘタレ」の傾向がある一方、自分が納得しさえすれば身の危険をいとわない勇敢さも持ち合わせている。

和倉 良一  35歳


日本有数の製薬会社、創生ファーマの研究員。

創成メディカルは、公には人工的に合成した臓器を新薬開発に用いているとしているが、実は、実は手術患者から摘出した臓器を用いていた事を知り、会社を内部告発する決意をする。その直後に、何者かかに命を狙われ、「シェルター」に助けを求めてくる。

アオイと慧子の警護対象者。

近江 正一 50歳


産業スパイ専門の調査会社「京橋テクノサービス」の付属救急センターで働く外科医。NGO「国境を越えた医師団」の一員として紛争地の野戦病院経験が長く、腕は確か。ただ、スピードを重んじるあまり、仕上げが荒い傾向がある。

頭に傷を負ったアオイを会社に秘密で応急処置した後、知人の外科医、川辺憲一にゆだねる。

川辺 憲一 28歳


若き天才外科医。大学病院の医局で起こったある事件が原因で病院を追われた上に医師免許も剥奪された。しかし、本人は、「運転免許のような更新制度のない医師免許は、終身免許だ」とうそぶき、闇で医師稼業を続けている。近江医師とは、長年の知り合い。

イケメンかつ女性大好き男で、彼の自宅兼マンションには女性の出入りが絶えない。一方で、公私を厳しく分ける潔癖さも示す。

佐伯 達彦 47歳


警察庁生活案全部の特命係長。階級は警視正。

総理大臣のイスを狙う野心家で、警察庁警備部に強いライバル意識を持っている。

人間を組織内の位置づけでしか評価できない男。警察を辞めた世津奈を警察時代の階級で呼び続けて、世津奈を鼻白ませる。

ただし、世津奈の粘りと度胸は評価している。

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