第20話 「Gマター」申請

文字数 2,297文字

20分後、アオイたちのバンは、運河に面して建つ5階建ての古びたビルの前に停まった。

和倉と片瀬洋子も同乗している。

これが病院? 普通のオフィスビルじゃん。看板は「有限会社 川端商会」だぞ。
アオイさん。安心してください。外観と看板は偽装です。
事件がらみの「訳アリ」治療をするから、オフィスビルを装っているのね。
はい。医療スタッフも、普通の会社員姿です。驚かないでくださいね。


玄関ホールには受付があり、今時珍しく人が配置されてる。中年の男性で、にこやかな笑顔と裏腹に鋭い目をしている。
近江先生にケガの治療をお願いしてあります。
先生からうかがっています。CT検査室でお待ちです。
片瀬さんと和倉さんは、この施設の入院病棟でお預かりします。
とりあえず、病院に身を隠すのか。スキャンダルを暴露された政治家か芸能人みたいだな。
私は、「闘う会」の日本支部に戻ります。支部が心配しているし、私しかできない仕事もあります。
「闘う会」の中に片瀬さんを誘拐した連中と内通している人間がいるかもしれません。今「闘う会」に戻るのは危険です。
世津奈が丁重ながら有無を言わせぬ口調で言い、片瀬洋子が折れる。
…………
片瀬洋子と和倉を残して、アオイ、慧子、世津奈、コータローの4人は、地下に向かうエレベーターに乗り込んだ。エレベーターが動き出したとたんに、アオイが世津奈に食ってかかる。

あたしは何度も言ったよな? CTはダメだ!
アオイ、気にしなくていい。この人たちは、あなたの正体をご存じだわ。そうですよね、世津奈さん。
レノックス博士と山科アオイさん……ですよね。改めて、よろしくお願いします。
お世話になります。
えっ、やっぱそうだったんだ! 宝生さん、なんで、早く言ってくれなかったんすか?
コー君、ごめん。だけど、慧子さんたちが正体を言いたがらなかったのに、私から持ち出す事ではないでしょ。でも、ここで治療を受けてもらうとなると、話が違ってくる。
エレベーターが地下につき、ドアが開くと、ワイシャツにスラックス姿の初老の男性がアオイたちを出迎えた。街の商店会の会長や町内会長によく見かける、気さくで人あしらいの上手そうな雰囲気の人物だ。
外科医の近江です。よろしゅう、お願いします。CT検査をしますが、治療が終わったら記録は消去しますさかい、ご安心ください。
近江先生、私は今から社長に「Gマター」を申請します。先制にはご迷惑おかけしますが、治療に関する記録はすべて抹消してください。
宝生ちゃん、それでほんまにエエのん? 宝生ちゃんが「Gマター」申請すると、このお嬢さんは、ここに入院でけへんようになるで。
手術が終わったら、川辺クリニックで受け入れてもらいます。川辺先生の了解はとってあります。
それなら、安心やな。それでだ……そちらの先生に、手術に立ち会ぅてもろぅた方がええかな?
近江医師が慧子を見た。
ご存じかと思いますが、破片以外にも色々なものが体内に埋まっています。損傷状況を確認したいので、CT検査から立ち会わせてください。
ほな、そぉしてもらいます。その方が、こちらも安心です。
世津奈さん、差し支えなかったら、「Gマター」とは何のことか、教えていただけるかしら?
GはガバメントのGです。私たちの活動がどこかの政府とぶつかりそうになったら、社長に「Gマター」申請をします。すると、私たちが社長に預けてある退職願が日付をさかのぼって受理され、私たちは「京橋テクノサービス」の社員でなくなります。
クビになるってこと?
自己都合で退職するのです。「Gマター」をうまく切り抜けることができたら、再雇用される可能性はあります。
会社を政府がらみのトラブルに巻き込まないために、会社と縁切りするわけね。とんでもないことになってしまった。ごめんなさい。
慧子さんが謝る必要はありません。私が真相を知りたくて、ご一緒させていただいているのです。

それに、私は「Gマター」で会社を辞めるリスクに見合った高給をもらってきました。5~6年は仕事がなくても食べていけるだけの貯金があります。

慰謝料先払い済みの「トカゲの尻尾切り」ってわけです。


コー君は、「Gマター申請」はしないで、ここで、この調査から降りて。
今さら何を言ってるんすか? ボクが、社長の甥っ子だから気を遣ってるつもりすか?

そんなの、宝生さんらしくないっす。

ええ~っ、あんた、社長の身内なんだ。
ボクは、数理経済学の博士課程でアカハラにあって引きこもりになった。父も母もお手上げだったところに叔母が来て、ボクを部屋から引きずり出して、無理やり叔母の会社の調査員にした。それ以来、ずっと宝生さんと組んできた。
なんだ、世津奈さんは、コータローのお守り役だったのか。
私は、そんなことは一度も思ったことはありません。コー君は、頼りになる相棒です。
そう思ってくれてるんなら、なんで、ここで降りろなんて言うんすか!

ボクは、最初は、嫌々、泣く泣く、調査員になりました。

だけど、宝生さんと一緒に働くうちに、調査員が楽しくなってきた。へこみ切ってたボクを建て直すことができたんです。ボクは、何があっても宝生さんについてきます。

世津奈さん、私が言うのは変かもしれないけど、こうなったら、私たち4人「一連托生」で、毒を皿ごと食べちゃいましょうよ。
そうっすよ。慧子さんの言う通りです。今さらボクだけ蚊帳の外だなんて、ひどすぎます。
わかった。コー君も、「Gマター」申請をして。
話はついたかな?

はよう検査したくて、うずうずしとるんやけど。

近江先生、お待たせして申し訳ありませんでした。
では、ご一緒させてください。よろしくお願いします。
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登場人物紹介

山科 アオイ  17歳


アメリカ国防総省が日本に設置した秘密研究所で放電能力を持つ生体兵器に改造された少女。

秘密研究所を脱出した後、国家や企業から命を狙われる個人を保護するグループ「シェルター」に拾われ、「シェルター」が保護している人々のボディガードとなる。

山科アオイは、国防総省から逃れた後に名乗っている偽名。本名は、道明寺サクラ。


《放電能力》


※非接触放電  有効射程 20メートル

・単独のターゲットに致死的な電流を浴びせる設計だったが、アオイを暗殺兵器にしたくなかったレノックス慧子が故意に改造手術をミスしたため、致死量の放電はできない。

・設計にはなかった複数のターゲットを同時に攻撃する能力が発現している。


※接触放電  対象と身体を接して放電し対象を金縛りにする事ができる。


レノックス 慧子/アオイの相棒  37歳


元は、アメリカ国防総省で特殊兵器を開発する技術者だった。

日本人の両親の間に生まれたが、両親が離婚し母がアメリカ人と結婚したため、レノックス姓を名乗っている。


慧子を含む5人を「放電型生体兵器」に改造した。そのうち4名は職業軍人で改造されることを志願した者たちだったので、設計どおり致死能力を持たせた。

しかし、国防総省に拉致された民間人であるアオイに対しては、設計上求められていた致死能力を与えなかった。このため、アオイは一度も暗殺兵器として利用されていない。

アオイが秘密研究所を脱出するのを助け、後に自らも国防総省を離脱してアオイに合流して、2人で「シェルター」のボディガード役を務めている。

M 年齢不明


「シェルター」内でのアオイと慧子の「世話役」。アオイ達と「シェルター」の関係を調整する。

「シェルター」は組織に追われる個人をかくまうが反撃はしない非抵抗主義を貫いていたが、強力な戦闘力を持つアオイが加わっったため、一定限度の自衛力を持つ方向に転換した。

しかし、アオイ達の活動と「シェルター」本来の非抵抗・非暴力主義との関係は微妙で、Mは、常に難しい舵取りを求められる。

元はロボット工学の権威で、現在でも、アオイと慧子に様々な偵察・攻撃用の超小型ロボットを提供している。

宝生 世津奈(ホウショウ セツナ) 35歳


産業スパイ狩りを専門の調査会社「京橋テクノサービス」の調査員。

以前は、警視庁生活案全部生活経済課で営業秘密侵害事案を扱っていた。


ITとクルマに弱く、この方面では相棒のコータローに頼りっきり。


ホワっと穏やかだが、腹が据わっていて、必要とあれば銃を取って闘うこともためらわない。

コータロー(本名:菊村幸太郎) 27歳


調査員。宝生世津奈の相棒。

一流大学の博士課程(専攻は数理経済学)で学んでいたが、アカデミック・ハラスメントにあって退学。2年間の引きこもりを経て、親戚の手で「京橋テクノサービス」に押し込まれる。

頭脳明晰で、IT全般に強い。空手の達人で運転の腕も一流。


アカハラの後遺症で「ヘタレ」の傾向がある一方、自分が納得しさえすれば身の危険をいとわない勇敢さも持ち合わせている。

和倉 良一  35歳


日本有数の製薬会社、創生ファーマの研究員。

創成メディカルは、公には人工的に合成した臓器を新薬開発に用いているとしているが、実は、実は手術患者から摘出した臓器を用いていた事を知り、会社を内部告発する決意をする。その直後に、何者かかに命を狙われ、「シェルター」に助けを求めてくる。

アオイと慧子の警護対象者。

近江 正一 50歳


産業スパイ専門の調査会社「京橋テクノサービス」の付属救急センターで働く外科医。NGO「国境を越えた医師団」の一員として紛争地の野戦病院経験が長く、腕は確か。ただ、スピードを重んじるあまり、仕上げが荒い傾向がある。

頭に傷を負ったアオイを会社に秘密で応急処置した後、知人の外科医、川辺憲一にゆだねる。

川辺 憲一 28歳


若き天才外科医。大学病院の医局で起こったある事件が原因で病院を追われた上に医師免許も剥奪された。しかし、本人は、「運転免許のような更新制度のない医師免許は、終身免許だ」とうそぶき、闇で医師稼業を続けている。近江医師とは、長年の知り合い。

イケメンかつ女性大好き男で、彼の自宅兼マンションには女性の出入りが絶えない。一方で、公私を厳しく分ける潔癖さも示す。

佐伯 達彦 47歳


警察庁生活案全部の特命係長。階級は警視正。

総理大臣のイスを狙う野心家で、警察庁警備部に強いライバル意識を持っている。

人間を組織内の位置づけでしか評価できない男。警察を辞めた世津奈を警察時代の階級で呼び続けて、世津奈を鼻白ませる。

ただし、世津奈の粘りと度胸は評価している。

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