第35話 佐伯警視正

文字数 2,034文字

コータローが困り切った顔で世津奈を見る。
コー君、どうしたの?
インターフォンから野太い男の声が流れ出た。
宝生警部補、そこにいるのは分かっている。顔を出せ!
世津奈さんのことを警部補って呼んでるぞ。警察時代の仲間か?
元・上司です。あまり付き合いたくない相手です。
世津奈がインターフォンの前に立つ。
佐伯警視正、宝生です。今は民間人ですから、「警部補」と呼ぶのは止めていただけないでしょうか?
寝ぼけたことを言うな! 警察官は死んでも警察官だ。それより、早くここを開けろ。警部補が警視正を外に立たせて待たせるつもりか!
なんか、つまんない事にうるさい男だな。
アオイさん、そぉいうこと、口が裂けても佐伯警視正の前で言っちゃ、ダメっすよ。彼、激怒します。彼が出てきただけ、もうややこしくなってる話が、さらにややこしくなります。
世津奈が玄関のオートロックを解除して、慧子を見た。
申し訳ありません。佐伯警視正が、この部屋に上がってきます。
慧子の顔がくもった。
世津奈さん、あなたを責めるつもりではない。でも、どうして警察庁生活安全局の警視正がここに来るのかしら?
世津奈が首を振る。
わかりません。「京橋テクノサービス」から情報が漏れたとは考えたくないのですが……
おい、映像の編集が終わったぞ。これはネットに流していいのか?
佐伯警視正が上がってくる前に、急いで流してください。
インターフォンの呼び出し音がまた鳴って、世津奈が画面を見てから、ドアのロックを解除した。
宝生警部補、貴様、ハトが豆鉄砲食らったような顔してるぞ。どうして、俺にここがわかったか理解できない顔だ。

ハハ、心配するな。貴様のルートでここを突き止めたわけじゃない。

どうやって、つかんだのです?
気になるか?
気になります。
貴様は警察出身だから、自分から足がついたのではないかと心配しているのだろう?安心しろ。貴様を追っていたわけではない。ニセ医者の池辺を警視庁生活安全部が監視していたのだ。
なぜ、池辺先生を監視していたのですか?
なぜ? 忘れたのか? 警視庁生活安全部の生活環境課は、ニセ医者を取り締まる部署だ。
そうでした。私は所轄時代から生活経済畑だったので、つい失念していました。
俺はヤミ医者なんかじゃない。まっとうな医者だ。
貴様は医師免許を剥奪されている。
あれは、帝都大学病院にハメられただけだ。

自動車運転免許には更新があるが、医師免許に更新はない。

話を逸らすな。
逸らしてはいない。大事なことだ。医師免許に更新がないのをいいことに、医師免許を取ったのは何十年も前なのに、その後何の研鑽もせずノウノウと医者をやってる奴もいる。
中には、そういう事があるかもしれないな。
俺は知識をアップデートし、腕に磨きをかけ続けてきた。その実力が評価されて、大金を積んで俺に手術を頼んでくる患者がいるんだ。
だからと言って、法を犯すことは許されない。警察の交通課が無免許運転を見逃さないのと同様に、我々生活安全局は無免許医を見逃さない。
でも、なぜ、今なのですか? 池辺先生を監視していらしたなら、今までに検挙する機会があったなずです。
こいつは何者だ?
私のクライエント、「『顧みられざる熱帯病』と闘う会」の片瀬洋子さんです。
クライエントだと? 変だな。俺が「京橋テクノサービス」に確認したら、お前は三か月前に退職したと言っていたぞ。
会社を辞めて、個人でお仕事をいただくことにしたのです。
ははぁ、貴様は、またあの手を使っているな。「京橋テクノサービス」を辞めたのは3ヶ月前じゃない。その女を連れてここに転がり込んだ時だろう。その時会社に退職届を出し、それをあの古狸が日付をさかのぼって受理した。
(コータローの耳元で)古狸って、誰のことだ?
「京橋テクノサービス」の高山社長のことっす。食えない所があるんで、社員からも古狸って呼ばれてます。見た目もまるっとして、タヌキっぽいっす。
社長って、あんたの伯母さんだろ。そんなこと言って、いいのか?
実際、伯母は食えない人間です。
私も、池辺先生が監視されていたのに逮捕されなかったのを不思議に思います。もっと不思議なのは、所轄ではなく、わざわざ本庁が出張ってきていることです。
池辺の手術を受けた人間の中には、政財界の大物もいる。だから、本庁扱いにし、慎重にも慎重を重ねて捜査してきたのだ。
なるほど、VIP患者のおかげで、俺の首がつながっているわけだ。
安心してられるのも、少しの間だ。貴様に手錠をかける日は、そう遠くはない。


だが、今日は、池辺ではなく、レノックス博士と山科アオイに用があって来た。

アオイと慧子の身体に緊張が走った。
(心の中で)なんで、こいつが、あたしの正体を知ってるんだ?
(心の中で)私たちの情報が警察に漏れているとは。
元々は和倉修二を追っていたのだが、そっちは、もう確保した。そこで、せっかくの機会なので、レノックス博士と山科アオイも確保することにしたのだ。
世津奈とコータロが言葉にならない声を漏らした。
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登場人物紹介

山科 アオイ  17歳


アメリカ国防総省が日本に設置した秘密研究所で放電能力を持つ生体兵器に改造された少女。

秘密研究所を脱出した後、国家や企業から命を狙われる個人を保護するグループ「シェルター」に拾われ、「シェルター」が保護している人々のボディガードとなる。

山科アオイは、国防総省から逃れた後に名乗っている偽名。本名は、道明寺サクラ。


《放電能力》


※非接触放電  有効射程 20メートル

・単独のターゲットに致死的な電流を浴びせる設計だったが、アオイを暗殺兵器にしたくなかったレノックス慧子が故意に改造手術をミスしたため、致死量の放電はできない。

・設計にはなかった複数のターゲットを同時に攻撃する能力が発現している。


※接触放電  対象と身体を接して放電し対象を金縛りにする事ができる。


レノックス 慧子/アオイの相棒  37歳


元は、アメリカ国防総省で特殊兵器を開発する技術者だった。

日本人の両親の間に生まれたが、両親が離婚し母がアメリカ人と結婚したため、レノックス姓を名乗っている。


慧子を含む5人を「放電型生体兵器」に改造した。そのうち4名は職業軍人で改造されることを志願した者たちだったので、設計どおり致死能力を持たせた。

しかし、国防総省に拉致された民間人であるアオイに対しては、設計上求められていた致死能力を与えなかった。このため、アオイは一度も暗殺兵器として利用されていない。

アオイが秘密研究所を脱出するのを助け、後に自らも国防総省を離脱してアオイに合流して、2人で「シェルター」のボディガード役を務めている。

M 年齢不明


「シェルター」内でのアオイと慧子の「世話役」。アオイ達と「シェルター」の関係を調整する。

「シェルター」は組織に追われる個人をかくまうが反撃はしない非抵抗主義を貫いていたが、強力な戦闘力を持つアオイが加わっったため、一定限度の自衛力を持つ方向に転換した。

しかし、アオイ達の活動と「シェルター」本来の非抵抗・非暴力主義との関係は微妙で、Mは、常に難しい舵取りを求められる。

元はロボット工学の権威で、現在でも、アオイと慧子に様々な偵察・攻撃用の超小型ロボットを提供している。

宝生 世津奈(ホウショウ セツナ) 35歳


産業スパイ狩りを専門の調査会社「京橋テクノサービス」の調査員。

以前は、警視庁生活案全部生活経済課で営業秘密侵害事案を扱っていた。


ITとクルマに弱く、この方面では相棒のコータローに頼りっきり。


ホワっと穏やかだが、腹が据わっていて、必要とあれば銃を取って闘うこともためらわない。

コータロー(本名:菊村幸太郎) 27歳


調査員。宝生世津奈の相棒。

一流大学の博士課程(専攻は数理経済学)で学んでいたが、アカデミック・ハラスメントにあって退学。2年間の引きこもりを経て、親戚の手で「京橋テクノサービス」に押し込まれる。

頭脳明晰で、IT全般に強い。空手の達人で運転の腕も一流。


アカハラの後遺症で「ヘタレ」の傾向がある一方、自分が納得しさえすれば身の危険をいとわない勇敢さも持ち合わせている。

和倉 良一  35歳


日本有数の製薬会社、創生ファーマの研究員。

創成メディカルは、公には人工的に合成した臓器を新薬開発に用いているとしているが、実は、実は手術患者から摘出した臓器を用いていた事を知り、会社を内部告発する決意をする。その直後に、何者かかに命を狙われ、「シェルター」に助けを求めてくる。

アオイと慧子の警護対象者。

近江 正一 50歳


産業スパイ専門の調査会社「京橋テクノサービス」の付属救急センターで働く外科医。NGO「国境を越えた医師団」の一員として紛争地の野戦病院経験が長く、腕は確か。ただ、スピードを重んじるあまり、仕上げが荒い傾向がある。

頭に傷を負ったアオイを会社に秘密で応急処置した後、知人の外科医、川辺憲一にゆだねる。

川辺 憲一 28歳


若き天才外科医。大学病院の医局で起こったある事件が原因で病院を追われた上に医師免許も剥奪された。しかし、本人は、「運転免許のような更新制度のない医師免許は、終身免許だ」とうそぶき、闇で医師稼業を続けている。近江医師とは、長年の知り合い。

イケメンかつ女性大好き男で、彼の自宅兼マンションには女性の出入りが絶えない。一方で、公私を厳しく分ける潔癖さも示す。

佐伯 達彦 47歳


警察庁生活案全部の特命係長。階級は警視正。

総理大臣のイスを狙う野心家で、警察庁警備部に強いライバル意識を持っている。

人間を組織内の位置づけでしか評価できない男。警察を辞めた世津奈を警察時代の階級で呼び続けて、世津奈を鼻白ませる。

ただし、世津奈の粘りと度胸は評価している。

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