第84話 想定外/(1)悪天 候

文字数 1,522文字

慧子から作戦進行中との連絡を受け、アオイは工場建屋を出た。建屋の中でも、ドラムをたたき続けるような雨音が聞こえていたが、外に出たとたん、頭からバケツの水をぶちまけられたように、雨に濡れた。全身がズブズブになった。下着はもちろん、上着までびったり肌に吸い付いてくる。
クソっ、これじゃ、服を着てたって雨除けにならないのはもちろん、体温の低下も防いでくれやしない。裸の方が動きやすいだけマシなんじゃないか?
アオイは足を止めた。綿ポリ混紡のパーカーを脱ぐ。その下で身体にへばりついた綿のTシャツを苦労して脱いだ。ブラジャーだけになってから、その上にパーカーを羽織る。さすがにブラジャー一丁になるのは低体温症が怖いので、止めた。
こういう大雨の時は、登山用の撥水性下着がいいんだよ。あたしが大雨の下で闘おうって言いだしといて、なんで、コータローに撥水性下着を買ってきてもらわなかったんだ。


うん、待てよ、コータローがあたしの着替えを取りに行ったのは真夜中だ。夜中に開いてる登山用品店はない。あの時気づいていても、実際に手に入れるのは不可能だった。

グラウンドの西側の斜面を下って蛸壺に直行しようとした。しかし、斜面を覆っている下草が雨に濡れツルツル滑るので止めた。工場建屋の南端とグラウンドの南端をつなぐ階段に向かった。雨脚はますます強まり、さらに、風まで吹き付け始めた。
雨が目に飛び込んできて、目が傷つきそうだ。前が見えない。
強風がころころ方向を変え、その都度、滝のような雨が流れ落ちる方向も右に左に変わる。雨脚はほとんど真っ黒に見え、視界は5メートルほどしか得られない状態になっていた。
大雨を味方につけて闘おうって提案したけど、こんな猛烈な雨風は、完全に想定外だった。
アオイの手の中でポケベルが鳴った。手で雨滴をぬぐうと、ドローンの発信を示すサインが現れていた。
なんだって? こんな悪天候の中を飛んでくるのか。さすが軍用品はタフだな。だけど、雨と風の音がひどいし、視界は悪いし、ドローンなんか、どうやって見つけるんだ。
ところが、ドローンは簡単に見つかった。視界の悪い中、地上を撮影するため、10メートルほどの低空を飛んで来たのだ。ドローンは、突然、アオイの視界に飛び込んできたのだ。迷っている暇はなかった。即、放電して撃墜する。
くそ、階段をつかったせいで、蛸壺からえらく離れちまった。
アオイは、視界の利かない中、ともかくグラウンドの中央と思う方向へと走った。雨風に打たれて身体が揺らぎ、まっすぐ走っているのかどうか、わからなくなる。
脚が土と違ってすべすべしたものに載ったと思ったら、次の瞬間、足先から、真下に落下していた。
いってぇ~、足を挫いちまったみたいだ。

あれ、ケツの下にあるのは、これ、ブルーシートじゃねぇか。くそっ、ブルーシートの上に載っちまって、ブルーシートごと蛸壺に落ちたのか。

蛸壺の壁を雨が川のように流れ落ち、小柄なアオイが蛸壺から出るのは大変な苦労だった。
またブルーシートごと蛸壺に落ちたら、たまんない。他の蛸壺は、這って探すぞ。
雨水をたっぷり含んで泥濘と化したグラウンドをはい回ったアオイは、5つの蛸壺のうち、アオイが落ちたものを含め、3つは雨除けのはずのブルーシートが蛸壺の中に落ち、蛸壺内に雨が容赦なく降り注いでいることを知った。蛸壺に落ちたブルーシートが蛸壺の底をすっぽり覆い、蛸壺の半分くらいまで水に浸かっているものもあった。
あぁ、悪天候を利用しようとしたけど、これじゃ、悪天候で計画がメタメタだ。
その時、激しい雨音を縫ってクルマのクラクションのような音が聞こえてきた。音の方に目を向けると、黒い雨脚の間にかすれがちな光が見えた。
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登場人物紹介

山科 アオイ  17歳


アメリカ国防総省が日本に設置した秘密研究所で放電能力を持つ生体兵器に改造された少女。

秘密研究所を脱出した後、国家や企業から命を狙われる個人を保護するグループ「シェルター」に拾われ、「シェルター」が保護している人々のボディガードとなる。

山科アオイは、国防総省から逃れた後に名乗っている偽名。本名は、道明寺サクラ。


《放電能力》


※非接触放電  有効射程 20メートル

・単独のターゲットに致死的な電流を浴びせる設計だったが、アオイを暗殺兵器にしたくなかったレノックス慧子が故意に改造手術をミスしたため、致死量の放電はできない。

・設計にはなかった複数のターゲットを同時に攻撃する能力が発現している。


※接触放電  対象と身体を接して放電し対象を金縛りにする事ができる。


レノックス 慧子/アオイの相棒  37歳


元は、アメリカ国防総省で特殊兵器を開発する技術者だった。

日本人の両親の間に生まれたが、両親が離婚し母がアメリカ人と結婚したため、レノックス姓を名乗っている。


慧子を含む5人を「放電型生体兵器」に改造した。そのうち4名は職業軍人で改造されることを志願した者たちだったので、設計どおり致死能力を持たせた。

しかし、国防総省に拉致された民間人であるアオイに対しては、設計上求められていた致死能力を与えなかった。このため、アオイは一度も暗殺兵器として利用されていない。

アオイが秘密研究所を脱出するのを助け、後に自らも国防総省を離脱してアオイに合流して、2人で「シェルター」のボディガード役を務めている。

M 年齢不明


「シェルター」内でのアオイと慧子の「世話役」。アオイ達と「シェルター」の関係を調整する。

「シェルター」は組織に追われる個人をかくまうが反撃はしない非抵抗主義を貫いていたが、強力な戦闘力を持つアオイが加わっったため、一定限度の自衛力を持つ方向に転換した。

しかし、アオイ達の活動と「シェルター」本来の非抵抗・非暴力主義との関係は微妙で、Mは、常に難しい舵取りを求められる。

元はロボット工学の権威で、現在でも、アオイと慧子に様々な偵察・攻撃用の超小型ロボットを提供している。

宝生 世津奈(ホウショウ セツナ) 35歳


産業スパイ狩りを専門の調査会社「京橋テクノサービス」の調査員。

以前は、警視庁生活案全部生活経済課で営業秘密侵害事案を扱っていた。


ITとクルマに弱く、この方面では相棒のコータローに頼りっきり。


ホワっと穏やかだが、腹が据わっていて、必要とあれば銃を取って闘うこともためらわない。

コータロー(本名:菊村幸太郎) 27歳


調査員。宝生世津奈の相棒。

一流大学の博士課程(専攻は数理経済学)で学んでいたが、アカデミック・ハラスメントにあって退学。2年間の引きこもりを経て、親戚の手で「京橋テクノサービス」に押し込まれる。

頭脳明晰で、IT全般に強い。空手の達人で運転の腕も一流。


アカハラの後遺症で「ヘタレ」の傾向がある一方、自分が納得しさえすれば身の危険をいとわない勇敢さも持ち合わせている。

和倉 良一  35歳


日本有数の製薬会社、創生ファーマの研究員。

創成メディカルは、公には人工的に合成した臓器を新薬開発に用いているとしているが、実は、実は手術患者から摘出した臓器を用いていた事を知り、会社を内部告発する決意をする。その直後に、何者かかに命を狙われ、「シェルター」に助けを求めてくる。

アオイと慧子の警護対象者。

近江 正一 50歳


産業スパイ専門の調査会社「京橋テクノサービス」の付属救急センターで働く外科医。NGO「国境を越えた医師団」の一員として紛争地の野戦病院経験が長く、腕は確か。ただ、スピードを重んじるあまり、仕上げが荒い傾向がある。

頭に傷を負ったアオイを会社に秘密で応急処置した後、知人の外科医、川辺憲一にゆだねる。

川辺 憲一 28歳


若き天才外科医。大学病院の医局で起こったある事件が原因で病院を追われた上に医師免許も剥奪された。しかし、本人は、「運転免許のような更新制度のない医師免許は、終身免許だ」とうそぶき、闇で医師稼業を続けている。近江医師とは、長年の知り合い。

イケメンかつ女性大好き男で、彼の自宅兼マンションには女性の出入りが絶えない。一方で、公私を厳しく分ける潔癖さも示す。

佐伯 達彦 47歳


警察庁生活案全部の特命係長。階級は警視正。

総理大臣のイスを狙う野心家で、警察庁警備部に強いライバル意識を持っている。

人間を組織内の位置づけでしか評価できない男。警察を辞めた世津奈を警察時代の階級で呼び続けて、世津奈を鼻白ませる。

ただし、世津奈の粘りと度胸は評価している。

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