私たちは、和倉さんを引き渡さずに片瀬さんを取り戻したい。
私も、NGOのメンバーを誘拐するような悪党の手に渡るのは嫌だ。あんた達と一緒にいた方が、まだマシだ。
「まだ、マシ……」ひっかかる言い方をしてくれるねぇ~。
だけど、向こうの指定場所は廃倉庫っすよ。先に中に入って準備万端整えてますって。あちこちに狙撃手とか配置しているかもしれないし、出入り口に仕掛けをしてあるかもしれない。
こっちが圧倒的に不利ね。せめて、事前に偵察しておきたいのだけど……
だけど、相手が先に倉庫に入って待ち構えてたら、見つからずに偵察するのは難しいぞ。
……って、あたし、完全に行く気になってる。だけど、そこまでやると、「シェルター」――あ、いけね、クライエント――から頼まれた仕事の範囲を超えちゃわないか?
アオイさん、さっきから「シェルター」、「シェルター」って連呼してます。アオイさんたちのクライエントが「シェルター」さんだってことは、もうバレバレです。「シェルター」の正体を知りたがったりしませんかあ、用語を「シェルター」で統一してもらった方がわかりやすいっす。
コータローさんの言うとおりね。私たちのクライエントは「シェルター」というグループです。しかし、私たちは「シェルター」から直接仕事を請けたのではなく、「シェルター」の代理人の「M」という人物から請けています。
「M」に相談せずに人質交換なんかに加わっていいのかなぁ? あたしは世津奈さんたちを助けたい気持ちでいっぱいだけど、「M」にも迷惑をかけたくない。
世津奈さんたちが差し支えなければ、「M」から許可をもらっては、どうかしら?
「M」も、私たちを和倉さん警護から解くかどうかを独断では決められない。情報を「シェルター」に上げて決めてもらわないといけない。そこで「シェルター」が意思決定にもたついて、和倉さんの警護継続と決めた時には、和倉さんは、もう謎の敵の手に渡っていた……なんてなったら、「シェルター」も「M」も困る。私が「M]だったら、「シェルター」が最終決定するまでは、和倉さんを私たちの手元に置いておきたいと考える。
なるほど。あたしたちは、まだ和倉さんのボディガードから解放されてないと考えればいいんだ。
私たちが人質交換に加わるのを「M」に認めてもらえると、超小型の偵察ロボットを貸してもらえます。それを使えば、敵に気づかれずに人質交換場所の偵察ができるはずです。
その「M」って人に助けてもらうんだったら、ボクらもあらかじめ社長の了解を取っといた方がよくないすか? 後で社長に怒られるのはいやっすよ。
でしょ。ここは、私の独断で進めさせてもらう。後で社長に怒られたら、コー君は反対したけど私に押し切られたと言えばいい。
そんな水臭いこと言わないでください。どうせ怒られるなら、一人より二人ですよ。
そうとなったら、善は急げだわ。コータローさん、私に運転させてください。それと、申し訳ないけど、お二人と和倉さんはアイマスクをつけてください。
約30分後、アオイ、慧子、世津奈、コータローの4人は、「M」のバーのカウンターに並んで「M」と向き合っていた。
事情はよくわかった。私はこの話を「シェルター」に伝える。でも「シェルター」の意思決定には時間がかかるかもしれない。その間、和倉さんには、あなた達と一緒にいてほしい。和倉さんを相手に渡さずに済まむよう、ベストを尽くしてください。世津奈さん、コータローさん、慧子とアオイを助けてやってください。よろしくお願いします。
いえいえ、私たちも、クライエントとの契約上、まだ和倉さんを手放すわけにはいきません。私たちこそ、慧子さんとアオイさんに助けていただくのです。本当によろしくお願いします。
世津奈が深々と頭を下げ、コータローが慌ててペコリとお辞儀した。
だけど、みなさんわかっていると思うけど、片瀬さんの安全が最優先です。そのためにどうしても必要なら、ためらわずに和倉さんを引き渡してください。「『顧みられない熱帯病』と闘う会」は、新しい抗マラリア薬の成分情報は手に入れたのでしょう?
はい。和倉さんには量産技術を確立するのを指導してほしいというのが、「闘う会」の意向です。
だったら、最悪の場合、和倉さんなしでも何とかなるのではないかしら?
時間はかかるかもしれませんが、「闘う会」の製造委託先企業でも大量生産技術を確立することは可能だと聞いています。
だったら、最悪、和倉さんを引き渡してしまっても、クスリの方は何とかなるわね。
(心の中で)おおっ、「M」も結構クール。なんだか、和倉さんが可哀そうになってきた。
「シェルター」も、最終的には和倉さんを手放すしかないと判断するのではないですか? 和倉さんは「シェルター」にウソをついていましたから。
慧子さん、憶測でそういうことを言っては、いけません。決めるのは「シェルター」で、あなたと私は「シェルター」の指示に従うのが筋です。ただ、「シェルター」との長年の付き合いから考えると、「シェルター」も、和倉さんよりも片瀬さんの安全を優先することは間違いないでしょう。
これで話はついたわね。では、ロボットをお見せするから、どれでも好きなものを持って行って。
「M」はアオイたちをバーの地下のロボット保管庫に導いた。
ここにあるロボットは、リモコン操作しなくても、プログラムを組みこめば自律的に偵察活動するものばかりです。ですから、同時に多数を稼働させることができます。偵察用に一番よく使うのが「スズメバチ型ドローン」ね。地上15センチ、上空20メートルの間で使えるから、とても重宝。ただし、対象が人間の場合、5メートル以内に接近すると、飛翔音を聞き取られてしまいます。
音を立てずに地上の様子を探るのなら、このゴキブリ型ロボットがオススメ。
うわっ、気持ち悪い。ゴキブリそのものじゃないですか。
だから廃倉庫の偵察に向いている――と言いたいところだけど、デメリットもある。見つかると踏みつぶされやすいのね。すると、ロボットだってことがバレちゃう。
ボクみたいにホントにゴキブリが苦手な人間は踏みつぶすこともできないから、大丈夫っすよ。それに、かなり速く動けるんでしょ?
本物のゴキブリより速く動けるから、そうそう簡単には踏みつぶされない。広角レンズつきマイクロカメラを仕組んであるから、前方160度の映像を送ってくる。地上偵察用にはまあまあじゃないかしら。
スズメバチ型ドローンで地上の概観をつかんだ上で、的を絞ってゴキブリ型を投入すれば、かなり細かく偵察できそうですね。
上からだと見落としもでる。ゴキブリ型を大量に投入してくまなく探らせた方がいい。
空っぽの倉庫にゴキブリがたくさんいたら怪しまれるわ。だって、エサになるものがないのだから。
そうね。地上を細かく偵察するなら、これが向いているかもしれない。
「M」が手の平に何かを載せて差し出すが、アオイの目には何も見えない。
コータローが「M」の手のひらに手を伸ばし、何かをつかみ上げた。
あは、これはすごい。周りの景色が映りこむ光学迷彩を施したボール型のロボットですね。自力で転がってくんですか?
ええ、私たちの最新鋭のロボット。広角レンズ付きカメラ2つを備えていて、周囲を広くとらえることができる。ただ、ひとつだけ残念なことがある。作動試験は良好だったけど、まだ、実際の偵察に使ったことはないのよ。
では、今回をデビュー戦にしましょう。ドローンは一番発見されやすいから、このボール型ロボットとゴキブリ君たちで地上から偵察しましょう。
それが良さそうですね。でも、プログラミングはどうすればいいのですか?
基本的なやり方を慧子さんに教えてあげるから、二人で手分けして全部のロボットにプログラムを組み込みましょう。
数学の修士です。本当は数理経済学の博士号を取る予定だったんすけど……
コータローが急に暗い表情になり、世津奈が案ずるような視線を向けた。
おお、強力な理系脳の持ち主が2人もいれば、安心だ。世津奈さんとあたしは左団扇だよ。
では、「M」さん、コータロー君、よろしくお願いします。1時間くらいで終わらせないと、事前の偵察に間に合いません。
「M」、慧子、コータローの3人は、さっそくロボットのプログラミングに取り組み始めた。
使えるぞ。秘密研究所に閉じ込められていたころ、ストレス発散のために、慧子と一緒に射撃訓練をした。拳銃と自動小銃なら、バッチリだ。
それは良かった。じゃ、私たちは、クルマに積んできた小火器の中から、アオイさん向きのを選ぶことにしましょう。
「M」さん、アオイさんと一緒に、このお店の外に出て、クルマのところに行きたいのですが、いいですか?
ええ、どうぞ。あなたは、ここがどの辺だか気が付いたとしてもペラペラしゃべるような人ではない。それは信用しています。
アオイと世津奈は、店の前に停めてあるクルマに向かった。