第37話  司法取引

文字数 3,088文字

その日は、佐伯が再び現れることはなかった。佐伯に脅されるまでもなく、池辺の部屋から出るつもりがなかったアオイたちはデリバリーのピッツァを夕食にした。

翌日、アオイたちが今度はカレ―ライスのデリバリーを頼もうとしているところに、佐伯がやって来た。

ここで大人しくしていたようだな。(カバンからタブレットを取り出しながら)お前たちに仕事を持ってきてやった。
佐伯が世津奈にタブレットを渡す。
和倉は、三浦半島の沖合10キロに停泊している大型クルーザーに軟禁されている。奴を連れ去った連中の正体は分かっていない。
(タブレット画面の航空写真をみながら)海上では360度完全に見渡しがきくので、和倉さんを奪還しに行っても簡単に見つかってしまいます。敵は和倉さんの頭に銃をつきつけて、接近を妨げるはずです。
だとしても、ただの脅しだ。連中は和倉が欲しいから私の部下を襲って和倉を拉致したのだ。和倉を殺すはずがない。
(世津奈の横に来てタブレットをのぞきこみながら)こいつらが和倉さんを殺さないというのは、楽観的すぎませんか? すでに用が済んでしまっているかもしれない。
(タブレットをのぞいて)敵が和倉さんを人間の盾にしなくても、重武装していたら、やはり近づけません。ロケットランチャーや重機関銃で撃ってこられたら、こっちはひとたまりもありません。

これは難攻不落の海の砦です。

あたし達みたいな丸腰の人間に頼んでも、どうにもならないぞ。
貴様らは、丸腰なんかじゃない。「京橋テクノサービス」は、ハンドガン、自動小銃、手榴弾などを隠匿している。宝生警部補とそこの若造がプラスチック弾を使用した痕跡も見つけてある。
仮にそんなことがあったとしても、軽武装じゃないか。警察にはSAT とかSITとか重武装した特殊部隊があるだろう。
SATは警視庁警備部に所属、SITは警視庁刑事部に所属してて、どっちも警察庁生活安全局の佐伯警視正には動かせないんす。
坊主、私を誰だと思っている。警察庁の警視正である私がその気になればSITくらい動かせる。SATは政治的色彩の濃い事案担当だから、さすがに難しいがな。

だが、この件を生活安全局以外の人間に知られたくないのだ。

生活安全局で手柄を独り占めにしたい。でも、生活安全局には武装した犯人に対応する組織がない。だから、私たちに振ってきた。そういうことですか?
まぁ、そんなところだ。
それで、報酬はいくらいただけるのですか?
報酬? なんの?
和倉さんを奪い返すことへの報酬です。
警察に協力するのは、市民の義務だ。
身体を張る事までは、求められません。

では、司法取引だ。

和倉を取り戻したら、貴様らの銃刀法違反を見逃してやる。
司法取引なら、最初からそうおっしゃればいいのに。
貴様の「忖度力」をテストした。相変わらず、ゼロだな。
忖度ができたら、警察を辞めていません。
忖度が出来ないでいると、そのうち日本人を辞めることになるぞ。
じゃ、ボク日本人廃業っす。
「ソンタク」って、なんだ?
知らなくていい言葉だわ。佐伯警視正、忖度なんてものが出来ようと出来まいと、日本国籍を持っている人間は日本人です。
貴様ら、みんな欠陥国民だな。
欠陥国民ですか? 非国民とおっしゃらなかっただけ、まだあなたには救いがあります。
司法取引なら、私のクライエントとその姪御さん(慧子とアオイのこと)を取り調べないことも条件です。
それは、できない!
では、この話はなかったことにしてください。
貴様、気でも違ったのか? この仕事を請けなかったら、お前の会社が銃刀法違反で検挙されるのだぞ。
どうぞ、ご自由に。私は、もう「京橋テクノサービス」の人間ではありません。あの会社のことを気遣う必要はない。
宝生さん、何を血迷ってるんすか。会社が検挙されたら、信用失墜して仕事を続けられなくなります。社員とその家族が路頭に迷うんですよ。
そうだ、その子憎の言うとおりだ。宝生警部補、貴様は仲間を危険にさらして平気でいられるような腐った警察官ではなかった。それとも民間人になって腐ったか?
私は、あの頃と変わっていません。私のクライエントとその姪御さんも、私が見捨てておけない大切な人だと言っているだけです。警視正がお二人の取り調べを撤回しない限り、私はこの仕事を引き受けません。
もし、あたしを取り調べたいなら、今すぐ、ここで始めな。
そんなことをしたら、お前に和倉の奪還を手伝わせることができなくなる。
私たちは、あなたの要望通りに働く。しかし、あなたは私たちの要望を聞き入れない。そんなアンフェアな取引をさせられるなら、私も、今すぐ取り調べを受けることを選ぶ。
おい、佐伯、俺も和倉の奪還を手伝う。俺はアーチェリーで高校総体の3位を取った。きっと役に立つはずだ。俺も手伝う代わりに、このクリニックも見逃せ。
貴様ら、性根の腐った奴ばかりだな!
佐伯が唇を噛みしめて、下を見た。そして、顔を上げた時、その目は怒りに燃えて見えた。
わかった。お前たちの望みどおりにしてやる。ただし、それは、「お前たちが和倉を無傷で取り戻したら」と言う条件付きだ。いいな。
結構です。私たちはプロです。取引の条件は必ず守ります。
では、これで取引成立だな。もし、人手が足りなかったり、特別な機材が必要だったりしたら、私に言え。そのスジを通して調達してやる。
では、佐伯警視正、クルーザーの連中を警戒させずに近づける漁船を手配できますか?
船だけなら、そのスジの連中を動かせば手配できるだろうが、操船をそこらの漁師に任せるわけにはいかない。お前ら、船を動かせるのか?
ボク、二級小型船舶の免許持ってます。
自律的に水中航行してクルーザーに接近し自爆する魚雷ロボットは手に入りますか?
なぜ、そんな物が必要なのだ?
クルーザーが沖合にいる間は、和倉さんを奪い返すのは無理です。魚雷で損傷を与え、修理のために港に戻ったところを襲って和倉さんを取り返します。
私の知っている奴で、その手のロボットを作っている男がいる。私から根回しする。話がついたら連絡するから、その男と会って話せ。

これからは、私を含めて、外部との連絡には、このスマホを使え。通信傍受を防止する機能のついた特別なスマホだ。

佐伯警視正が、世津奈にスマホを投げてよこした。コータローが横からそれを奪う。
へぇ~、通信の傍受妨害機能のついたスマホなんて気の利いたものを警察庁が開発してたんだ。大したもんすね。
佐伯警視正が部屋を出て行くと、世津奈がため息をもらした。
世津奈さん、私たちのために交渉してくれてありがとう。

慧子さんとアオイさんのお力を借りなければ、和倉さんを取り戻すことはできません。こちらこそ、お手伝いいただけて、感謝します。池辺先生にも御礼申し上げます。

いやいや、俺はあんた達に詫びなきゃいけない。「渡りに舟」と条件に加えさせてもらったが、条件が増えすぎてあいつがNOと言いだしゃしないかとヒヤヒヤものだった。悪くしたら、あんたたちの取引を台無しにするところだった。
いえ、私の方こそ、初めから池辺先生を条件に入れておくべきでした。申し訳ありません。
だけど、あの佐伯って野郎、本当に約束を守るのか?

あたしたちが和倉を取り戻してあいつに引き渡したら、「そんなことを言った覚えはない」とか言って、約束を破るんじゃないか?

少なくとも、「言った覚えがない」とは言わせない。奴とのやり取りを俺のスマホに全部録音しておいた。
それにしても、佐伯警視正にとって和倉さんはよほど重要なのね。そうでなかったら、これほど私たちに有利な条件で取引しなかったはずだわ。
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登場人物紹介

山科 アオイ  17歳


アメリカ国防総省が日本に設置した秘密研究所で放電能力を持つ生体兵器に改造された少女。

秘密研究所を脱出した後、国家や企業から命を狙われる個人を保護するグループ「シェルター」に拾われ、「シェルター」が保護している人々のボディガードとなる。

山科アオイは、国防総省から逃れた後に名乗っている偽名。本名は、道明寺サクラ。


《放電能力》


※非接触放電  有効射程 20メートル

・単独のターゲットに致死的な電流を浴びせる設計だったが、アオイを暗殺兵器にしたくなかったレノックス慧子が故意に改造手術をミスしたため、致死量の放電はできない。

・設計にはなかった複数のターゲットを同時に攻撃する能力が発現している。


※接触放電  対象と身体を接して放電し対象を金縛りにする事ができる。


レノックス 慧子/アオイの相棒  37歳


元は、アメリカ国防総省で特殊兵器を開発する技術者だった。

日本人の両親の間に生まれたが、両親が離婚し母がアメリカ人と結婚したため、レノックス姓を名乗っている。


慧子を含む5人を「放電型生体兵器」に改造した。そのうち4名は職業軍人で改造されることを志願した者たちだったので、設計どおり致死能力を持たせた。

しかし、国防総省に拉致された民間人であるアオイに対しては、設計上求められていた致死能力を与えなかった。このため、アオイは一度も暗殺兵器として利用されていない。

アオイが秘密研究所を脱出するのを助け、後に自らも国防総省を離脱してアオイに合流して、2人で「シェルター」のボディガード役を務めている。

M 年齢不明


「シェルター」内でのアオイと慧子の「世話役」。アオイ達と「シェルター」の関係を調整する。

「シェルター」は組織に追われる個人をかくまうが反撃はしない非抵抗主義を貫いていたが、強力な戦闘力を持つアオイが加わっったため、一定限度の自衛力を持つ方向に転換した。

しかし、アオイ達の活動と「シェルター」本来の非抵抗・非暴力主義との関係は微妙で、Mは、常に難しい舵取りを求められる。

元はロボット工学の権威で、現在でも、アオイと慧子に様々な偵察・攻撃用の超小型ロボットを提供している。

宝生 世津奈(ホウショウ セツナ) 35歳


産業スパイ狩りを専門の調査会社「京橋テクノサービス」の調査員。

以前は、警視庁生活案全部生活経済課で営業秘密侵害事案を扱っていた。


ITとクルマに弱く、この方面では相棒のコータローに頼りっきり。


ホワっと穏やかだが、腹が据わっていて、必要とあれば銃を取って闘うこともためらわない。

コータロー(本名:菊村幸太郎) 27歳


調査員。宝生世津奈の相棒。

一流大学の博士課程(専攻は数理経済学)で学んでいたが、アカデミック・ハラスメントにあって退学。2年間の引きこもりを経て、親戚の手で「京橋テクノサービス」に押し込まれる。

頭脳明晰で、IT全般に強い。空手の達人で運転の腕も一流。


アカハラの後遺症で「ヘタレ」の傾向がある一方、自分が納得しさえすれば身の危険をいとわない勇敢さも持ち合わせている。

和倉 良一  35歳


日本有数の製薬会社、創生ファーマの研究員。

創成メディカルは、公には人工的に合成した臓器を新薬開発に用いているとしているが、実は、実は手術患者から摘出した臓器を用いていた事を知り、会社を内部告発する決意をする。その直後に、何者かかに命を狙われ、「シェルター」に助けを求めてくる。

アオイと慧子の警護対象者。

近江 正一 50歳


産業スパイ専門の調査会社「京橋テクノサービス」の付属救急センターで働く外科医。NGO「国境を越えた医師団」の一員として紛争地の野戦病院経験が長く、腕は確か。ただ、スピードを重んじるあまり、仕上げが荒い傾向がある。

頭に傷を負ったアオイを会社に秘密で応急処置した後、知人の外科医、川辺憲一にゆだねる。

川辺 憲一 28歳


若き天才外科医。大学病院の医局で起こったある事件が原因で病院を追われた上に医師免許も剥奪された。しかし、本人は、「運転免許のような更新制度のない医師免許は、終身免許だ」とうそぶき、闇で医師稼業を続けている。近江医師とは、長年の知り合い。

イケメンかつ女性大好き男で、彼の自宅兼マンションには女性の出入りが絶えない。一方で、公私を厳しく分ける潔癖さも示す。

佐伯 達彦 47歳


警察庁生活案全部の特命係長。階級は警視正。

総理大臣のイスを狙う野心家で、警察庁警備部に強いライバル意識を持っている。

人間を組織内の位置づけでしか評価できない男。警察を辞めた世津奈を警察時代の階級で呼び続けて、世津奈を鼻白ませる。

ただし、世津奈の粘りと度胸は評価している。

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