第9話 特定理由離職

文字数 657文字

 八月、私が勤めていた会社の社長から県外への転勤を伝えられた。
 妻が娘とともに実家から戻った五月から、毎晩、娘を風呂に入れるのは私の日課であり、夜中も二、三時間ごとに起きて、オムツ交換やミルクなどの世話をし、精神的に不安定な妻を助け、育児に積極的に関わってきた。
 一か月余りのうちに何度か、社長と交渉した。妻と娘を連れていきたい旨を伝えたが、転勤先は営業所兼住居のアパートが一部屋借りてあるだけで、家族で住むスペースがないため、単身赴任以外の選択肢はなかった。
 近県のため、週末は帰って来られるという話だが、私が不在の五日間が心配だった。育児を任せきりにできる妻なら、ここまで私が育児に関わることもなく、ただ仕事だけに専念していたことだろう。
 転勤を来年以降に延ばしてもらえないか頼んだが、それも叶えられなかった。妻にも相談し、転勤を拒否して娘のそばにいたいという私の選択を妻も承諾した。
 会社を辞めるという選択だった。有給休暇をすべて使い、十一月の初めに退職することが決まった。自己都合ではなく、特定理由離職になるため、雇用保険もすぐにもらえることになった。
 退職後、しばらく落ち着いていた娘の夜泣きが再開した。夜中一睡もできない日もあった。
 妻は娘のことを「かわいく思えない」「かわいくなく見える」と繰り返すようになった。自分を鬱だと思うと度々訴える。都会のマンションで起きた実母による幼児遺棄事件について、たびたび妻は「容疑者が育児放棄したくなる気持ちが分かる」とまで言い出すようになっていた。
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