第27話 家に帰る

文字数 1,816文字

 家に戻ったあとも、やはり同じように、妻は些細なことで大声を出した。
「叱ってほしい」という義父の言葉通り、私も叱って妻が怒鳴り続けるのを必死で止めた。そのためか、いくらか回数は減ったような気がした。
 私に代わって、娘の入浴や食事、寝かしつけをすべて妻がやるようになったけれど、ただ、その様子にはどこか異常なところがあり、意地になっているように思えた。
 寝かしつけは妻には特に難しく、私なら三十分で寝つかせていたが、妻の寝かしつけの初日は、妻と娘が寝室へ入って二時間を過ぎても、娘の声が聞こえた。手伝おうと思って、ドアを開けると、豆球の薄暗い光の中、妻は怒りに歪んだ顔で私をにらみ、出て行けと大きく手を振る。それから一時間余り、計三時間以上、寝室から締め出された。少し異常だけど、必死に努力して、子供の世話をする母親の行動に見えなくもないかもしれない。
 生まれた時から人間関係につまづいた妻は、周りの言葉を歪んで受け取ってしまう。当時の私は、この事実を認識していなかった。
 楽しく明るい家庭を作りたい、そんな私の思いや両親の思いを、素直に受け取ってくれたと信じてしまったのは、健常者の感覚で相手を理解しようとしたからだ。
 妻は歪んだ感覚のまま、歪んだ行動をエスカレートさせていく。
 のんきに家庭の修復を夢見た私や両親を平然と裏切っていく。

 相手が自分と同じだけの愛情を持って、相手を理解し共感できるという発想は、健常者だけのものだ。歪んだまま社会に適応している人間は、自分を守るために嘘をつき、親しい人を平然と裏切ることができる。
 泥棒や詐欺師に、なぜ人の物や金銭を盗ってはいけないかを根本的に理解させることは、たぶん不可能だ。その人は、奪うのが当然の世界に生きているのだから。
 この感覚が、一般の道徳的な社会を生きている人には理解できない。車の窓からペットボトルを捨てるのが当たり前と思っている人に、その行為がおかしいことを理解させるのは難しい。世の中には、実際にそういう人が存在する。本当に改めさせようとするなら、教育や治療が必要なのだ。
 本質的に心に何か欠けている人がいると考えたほうが、適切な対処ができると思う。私は、根本的な部分で、妻への対応を間違えていた。第一ボタンから掛け違えていたのだ。
 当時は、妻のこういう性格というか行動が理解できなかった。自分の家庭を守れなかった私は今、同じような苦しみを持つ誰かの救いになれたらと心理学の勉強を続けている。
 普通の人だと思って接するから、当人の負担が大きくなり問題が大きくなっていくのだと思う。普通ならできることが彼らにはできないし、本人も自分の精神的な欠陥、感情の制御ができないなどの脳機能の欠損を認めるだけで、家庭を維持する方法が変わってくると思う。本人はもちろん、それぞれの親を含めた周囲の人が、その人の精神状態を認めることで対処の仕方が変わってくる。そのためには、心療内科などの専門機関での受診が大切だと思う。

 私との関わりが減ってから、娘はおしゃぶりで遊ぶようになった。
 食器棚から自分でおしゃぶりを出して口にくわえ、私のところへ来て
「赤ちゃんみたいに抱っこして」
 と言うので、横に寝かして抱っこして揺らして遊んだ。
 晴れた日は毎日、夕方、娘を三輪車に乗せて、公園まで出かけた。妻の世話がない時間は、少しでも私との遊びの時間を増やしたかった。
 私の母は、保育園の先生から
「二番目のお子さんができたのですか」
 と聞かれたそうだ。保育園でも、赤ちゃん返りが起こり、抱っこを求めていたようだ。
 もちろん、そんな変化には妻は気づかない。人の心の変化が理解できない。悪口ではない。そういう人だと理解してあげたほうが、救いの手が見つかる。「普通ならできるだろう、分かるだろう」は、破綻の第一歩だと思う。
 今になると、できるだけそういう人とは関わり合いにならないのがベストだけど、もし万が一関わってしまった時のための次善策だ。
 もし、娘が母親の遺伝子を受け継ぎ、将来嫁いだ先で似たような問題を起こすようなことがあったら、適切な対応ができるように今のうちに勉強し経験を積んでおこうと思う。
 それが父親の務めだと思うから。
 娘の言うがままになり、親の務めを放棄して、妻の問題行動を助長していった義父母のようには絶対になりたくない!
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