第51話 ダメを知らない可哀そうな人

文字数 984文字

 十二月十九日、家庭裁判所より審判期日通知書が届く。

 十二月二十日、心理臨床センターにて。
「妻はカウンセリングに来ているのですか」
「なぜですか」
 この臨床心理士は、人の質問に質問で返してくる。聞いているのはこちらなのに、人の疑問に答えず質問で返すことが多かった。
「今度、子供の引き渡し申立の審判があるので、これを決心して、カウンセリングはもうやめたのかと思って」
「たぶん来ていると思います。『たぶん』というお返事しかできないのは、相手のカウンセラーとこちらが通じ合っていると思われると、今後の奥さんのカウンセリングに影響するので、こんな言い方しかできないんですが、来られていると思います」
 もっともらしい答えだけど、実は、この時点で中断していたのを、このカウンセラーが知らなかっただけだった。審判が始まって、調査官から聞くことになる。
「申立書の内容が嘘まみれで、ここまで嘘を書いて審判するというのは、夏に家に戻りたいと言ったことも嘘だったのかと思うと、ショックでした。『両親と親しくなれるようにしたい』という妻の言葉を信じて、娘に会いに実家に来てくれるのを待っていたのですが…」
「奥さんの気持ちの中で、何か実家に来られない事情があるんでしょうね。
 嘘に対しては、ひとつひとつ反論してあげてください。奥さんが自分の思いを一方的に伝えるだけじゃなく、相手もそれは違うと言ってくることを知ると、奥さんは自分の発言に対して考えるようになります。私はこの審判は奥さんが変わっていくための通過点だと考えています」
 残念だが、通過点にはならなかった。この時は、ほんのちょっと期待したが、すぐに絶望に変わる。
 残念ながら、家庭裁判所は、正しいことを判断する場所ではなかった。真偽を判断して、間違った者を正す場所でもない。
 そんなことは、自分の中に正義や信念がないとできないだろう。唯々諾々と判例に従い思考停止した人間、いやロボットには、正義や信念を持つことなどできない。
 家事審判を通じて、「家庭裁判所の裁判官が自分の嘘を信じた」と確信した元妻は、自分の嘘に自信を持って今後の人生を生きて行くだろう。
 間違ったことをしても、結局、「ダメ!」と愛情をもって叱ってくれる人が誰もいない可哀そうな人だった。これだけは、カウンセラーが言ったことが当たっていた。
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