第76話 間接強制申立てに対する意見書

文字数 1,771文字

 平成二十五年四月十日に、こちらの弁護士が提出したもの。
 この意見書で出頭での審尋を求めたため、四月十九日に家庭裁判所に行くことになりましたが、裁判官は中立でも公平でもなく、聞く耳は持ちませんでした。
 四月二日、家裁から届いた審尋書。
「債権者から間接強制の申立てがあったので、意見があれば、この書面が到達してから十日以内に書面をもって意見を述べられたい」
 以下は、意見書の内容です。
「引き渡しの猶予期間がまったくない。申立人の理由によれば、子供を保育園に行かせるためには、必要ということである。まったくもって合理性がない。子供は、過去保育園に通園したときに、心の傷を負って、絶対に保育園に行きたくないと言っているのである。(この点、調査官はぜひとも調査すべきである。この点、仮処分審判への即時抗告理由書でも、強調しているのである。)子供の気持ちを最大限に慮った態度である。申立人は、何故に、保育所に入れることが最善と考えるのであろうか。もし、本当にそれが正しいと考えているなら、それは親のエゴである。」
 家庭裁判所にとって、子供は母親の腹から出てきた単なる物質なので、子供本人の思いは一切斟酌しません。もちろん、調査官は嘘を書いた一度きりの調査報告書だけで、二度と調査はない。
 子供の意見なんて一切考慮されません。
 幼児に口なし。ただの物です。法律的には、母親に帰属する動産なのでしょう。
「子供の引き渡しを明確に拒否したことから、翻意させるためには、高額でなければならないという主張は、理由として相当ではない。子供の引き渡しは、即時抗告申立てでもあるように、子供の福祉のために、申立人の監護では心配だからである。その親としての気持ちとして、拒否したものであって、金額が高額ならば翻意するという性格のものではないはずである。」
 最終的に、家裁の裁判官は高額の支払予告金を決定します。そんなことをしても、「高額だから娘を渡そう」なんてことになるはずもないのは、子の親なら簡単に分かることですが、申立書が出された以上、内容は一切関係なく、手続き上問題がなければ、裁判所は決定します。それで引き渡しが促される訳では絶対にありませんが、そういう浅はかな思考の組織なのです。
 意見書の末文。
「仮処分の審判において、子供の引き渡しを求めた審判が出た段階で、いまだ抗告審の判断も出ていない段階で、強制執行ができにとして、間接強制を求めることは、いかにも拙速で、子供の福祉という視点から、権利濫用であるといわざるを得ない。
原審判の判断は、母性優先の観点から、未成年者は、母親が監護すべきであるというドグマ(観念)以上のものをなんら提示していない。
 子の福祉という観点から、現在の監護状況に問題があるのか、否かについては、精密な判断を一切していない。相手方の監護状況については、調査官の判断では問題ないと評価し、それを受けて、原審での判断についても「現在の未成年者の健康状態、心身の発達の状況については、とくに問題がない」と述べている。しかるに、なにゆえ、仮に引き渡せということになるのか、相手方としてはどうしても納得いかないのである。
 現在の監護状況に問題があるとして、だからこそ子供の引き渡しが必要ということになるのが、本来の仮処分で求められる判断ではないかと思われる。残念ながら、原審はこの点の指摘がない。
 このことを十分審理した上で、判断されなければならないのである。本件間接強制の申立てでの審尋でも、この点の判断が軸にあり、形式的に判断されるべきではない。」
 家庭裁判所は、最後まで形式的でした。
「推定有罪」、それがこの国の司法の在り方なのでしょう。裁判官の一方的な思い込みによって、家事審判は結果ありきで進んで行きます。
 そこに、子の意思は含まれません。単なる男女の子の奪い合いと見なされ、幼児は物としての扱いを受けます。
 家裁にとって母性優先のドグマが最良の判断基準であることは、その後、この裁判官が高裁へ栄転されたことからも推察できます。
 いつになれば、家裁は子の福祉を真剣に考えるようになるのか。
 いつになれば、家裁は中立・公平・公正な組織になるのか。
 いつになれば、この疑問に答えが出るのだろう。
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