第117話 神様に会うこと

文字数 1,802文字

 クラス担任の山野先生は、細くて眼鏡をかけた真面目そうな人で、すごく優しい先生だった。東京の教会から来ていた。
 授業では教義や歴史の話だけではなく、先生の生い立ちも聞いた。画家になりたかった先生は、若い頃から教会の息子という立場に抵抗したそうだ。
 折に触れ、何度も神様を試した。そのたびに不思議な出来事を経験し、今では画家の道を選ぶことなく、教会を継いでいる。先生が神様を試した話をいくつか聞いたのに、すっかり忘れたような、ぼんやりと覚えているような変な感じだ。軽いしっぺ返しで、少し痛い目に遭いつつ、神様の存在を実感して、感動で涙を流す経験をされたような話だった。先生の経験した痛い目を、クラスみんなで笑った。

 雅楽会の会長さんから言われた一言、「神さんに会えるで」は常に私の心にあり、ここへ来た経緯として、山野先生にも打ち明けた。
 先生からは、「神様に会える」はそれぞれの体験で、それぞれに感じ方が違うという説明を受けた。ガラスに反射した光を見て、神様に会ったと表現した人もいたそうだ。その感じ方を誰も否定できない。その人だけの心に深く刻まれた強く明らかな感覚なのだという。
 この宗教の信者でありながら神様を信じず、周囲と協調せず、神殿掃除もせず、祈ることもなく、周りに迷惑をかけながら、お参りの場に参加し続けた人がいた。二か月を過ぎた頃、突然、朝のお参りで泣き出し、何度も何度も神様への謝罪の言葉を口にした。それからは、人が変わったようにお参りし、掃除も積極的に加わったという。
 山野先生が直接見た出来事だったが、泣き出した彼が何を見たのかは分からないままだ。山野先生は嘘をつくような人ではない。実際に起きたことなのだろう。彼が何を見たのか、すごく気になった。
 また、ある女性は、お参りの時に、複数の人の足が動く映像を見た。山野先生が世話係をした女性の話だ。
 それが何かは分からないままだったが、数年後に会う機会があった。
 地元の病院へ嫁ぎ、受付の小さな窓から見る光景が、お参りの時に見た映像そのままだと、山野先生に報告されたそうだ。
 私と同じクラスの男性は、私と同じ仏教の宗派であり、会社の定年後にここへ参加していた。まったく信じておらず、常に神様を試すような懐疑的な気持ちで、ここへ参加していた。教室のスピーチでの報告である。
 それが、ある日の神殿でのお参りの時に、赤い服を着た女性を見たという。
 先生の話では、海外から来たキリスト教の宣教師が「あの赤い服を着た人は誰ですか」と尋ねた。この宗教の開祖の象徴的な衣服だ。もう、この世にはいない。
 男性も同じ女性を見たらしい。それがものすごく印象的で、信者でもない彼が目にしたことを本人も不思議がっていた。「それでも、この宗教を信じてはいない」というスピーチの結論が、クラス全員を大いに笑わせた。

 さて、私はと言うと。
 ここへ来る前に、龍笛が見つかったことは、先生に報告した。
 もちろん、雅楽会の会長さんの「奥さんの気持ちを神さんが少し変えてくれたらいいのに」の一言で、自分の気持ちが変わったという話も伝えた。

 宿泊所での私と娘への扱いはエスカレートするばかりで、居場所を失い、最終的には二か月で学校も中退することになる。
 私は、神さんに会えたのだろうか。
 最終的に娘を手放した今でも、両親と三人で、娘は不在のまま、機会があれば、たまにあの町のあの神殿を訪れる。神殿の南門から、娘が妖怪ウォッチのガチャをしたおもちゃ屋を遠くから眺める。娘がよくアイスやお菓子をもらった思い出の店だ。
 早朝や夕方、神殿で娘と二人で掃除をしたことを思い出す。娘が駄々をこねて、神殿の廊下で泣き出したことを覚えている。独身の山野先生が上手に、寝転がって号泣する娘の話を聞き、慰めていた様子は、まるで昨日のことのようだ。

 相変わらず、私は信者ではない。先祖代々の宗派で、いつかは大好きだった祖母と同じ墓に入るだろう。
 娘とあの町で過ごした二か月余りの思い出は、私の記憶から失われることはない。
 あれだけ泣かされ、大人たちから嫌な思いをさせられたはずの娘は、二人で歌った祈りの言葉を、この町の名前として使い、当時の話を思い出している。
 二人で過ごした、大事な大事な時間だった。
 不思議で、貴重な、忘れがたい思い出だ。
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