第120話 託児所を登校拒否

文字数 1,706文字

 平成二十六年七月十七日の手帳。
「午後登校拒否
 一緒にそうじ」
 午後は神殿の掃除があったから、託児所へ預けようとしたが、託児所がイヤになっていたみたいだ。
「あの先生が嫌い」と話す娘。
 実家が教会をしている保育士さんで、少し厳しいところがある。ベビーカーじゃなく歩いて来るように娘に言い、託児所では娘は自分でトイレに行けるみたいで、私にも手伝わないように忠告する。
 大食堂で娘と御飯を食べたあと、託児所に戻ろうとしたら、失敗。山野先生にお願いして、一緒に神殿掃除に参加した。
 食堂は子供連れ専用のテーブルがあって、他よりも席に余裕がある。靴を脱いで座っていたベビーカーから椅子へ移ると、また隣へ移動して醤油を取りに行き、自由に振る舞う。親子連れが少なく、ほぼ私と娘の専用席になっていた。
 一か月目は別の母子が同席で、自宅から用意されたおかずを分けてもらった。宿泊所は地獄だが、信者さんの多くは良い人だ。

 平成二十六年七月十八日。
「午後、登校拒否
 鳴り物欠席、夕神参加。」
 また登校拒否。お昼に学校が終わって宿泊所に戻るなら問題はないが、一緒に食事したあとで託児所に戻るのは無理だった。
 楽器の授業には一緒に行けないので欠席して、夕方の神殿掃除には二人で参加した。

 平成二十六年七月十九日。
「朝、娘歩く、八時五分発。
 五十分託児所着」
 託児所の先生に言われたことを気にしたのか、娘がベビーカーではなく歩いていくことを選んだ。ベビーカーなら二十から三十分くらい。いつもより余計に時間がかかることを見越して、早めに出発した。当然、他の人とは一緒に行かない。
 中尾にお漏らしをさせられたあと、宿泊所の人と一緒に通学するのを嫌がるようになっていた。
「もっと早く! ドンドン押して!」
 ベビーカーを押す私を急かす。一緒に出発した他の大人たちを引き離していく。
 みんなはご詠歌を歌いながら一緒に歩いていくが、信者ではない私は歌うことができない。歌声が後ろに小さく遠ざかっていく。
 出発前の朝御飯でさえ、一緒に食べるのを嫌がるようになった。もはや私も彼らと一緒に食べるのが嫌になっていた。娘がもし席を立って歩いたら、またお漏らしさせられるんじゃないかと恐怖を感じる。私たち親子にとって、幼児虐待所と化していた。

 朝食は、駅のコンビニでパンを買う。
「アナと雪の女王」のパンが新発売になって、娘が喜んだ。
 途中の公園の日陰で食べたり、学校の建物の陰で二人でパンをかじったり。遠く東の山から吹き下ろす風が気持ちよかった。
 時々、朝食を食べないこともある。そんな日は、託児所の厳しい先生から、朝食を取ってくるように注意される。少しは、生活環境を理解してくれたらいいのに。教会の人は、他の人の困った様子に気づかないようだ。
 でも、不思議なもんです。
 この父子に対して厳しく惨めとも感じられる環境だったからこそ、私も娘もあの町での生活を憶えている。普通の日常から見たら、幼児と父親の哀れな日常が、逆に忘れがたい記憶になっている。
 もうすぐ、家庭裁判所によって、私が手塩にかけて育てた娘が奪われていく。そんな困難な生活の中で、できる限り、二人の時間を楽しもうとした結果なのかもしれない。

 今も、両親とあの町を訪ねることがある。どこかのお寺や神社にお参りするついでに、ふらっと立ち寄ってみる。
 娘と掃除した神殿にお参りして、静かに手を合わせる。ここで寝転がって、怒って泣いていたなぁ。広い畳の上を、託児所の女の子と一緒に走り回っていた姿が、目に浮かぶ。
 神殿近くのおもちゃ屋さんを遠目に見ながら、ご夫婦の親切に感謝する。
 ここでの思い出は、一生忘れることはない。
 もう地元の教会に行くことはない。信者にもならなかった。
 それでも、ここは娘と私が最後に一緒に暮らした思い出の場所だ。

 今度、あの町を訪ねる時には、神殿に座り、心の中で神様に聞いてみたい。
「娘と私は、あの時、神様に会えたのだろうか」
「もしかしたら、いつか二人は、この町で神様に会えるのでしょうか?」
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