第98話 我が子の誘拐で、ついに夫を刑事告訴!

文字数 1,539文字

 平成二十五年九月、妻は私を誘拐犯として刑事告訴するため、地元の警察署へ行ったようだ。妻の実家から自宅へ連れ戻したことを、誘拐事件として被害届を出したのだ。もちろん被害届は受理はされず、十月にも被害届を出し、コヤブの協力によって、十一月に警察署はやむなく受理することになる。
 取り調べを受けたのは、十二月五日木曜日の夕方六時だった。
 弁護士に支払ったのは、四十万(税別)。「刑事事件はもちろん経験しています」と胸を張るが、その後の対応は頼りないものだった。
 打合せでは、記者会見の提案があった。
「裁判になったら、記者会見しましょう。
 裁判官は、これまで家裁の命令に背き続けたあなたを誘拐犯とするかもしれません。記者会見をしてマスコミを通じて、世間に訴えるのです。
『父親が我が子を自宅へ連れ戻したことが未成年者略取誘拐になるのですか』と。
 世間の目があれば、裁判所は自分たちだけの考えで易々と父親を誘拐犯と判断しづらくなるはずです。もちろん、女性の権利を擁護する団体からは、あなたは批判される可能性はあります。
 それでも、裁判所ではなく、世の中に問いかける価値はあります。」
 本当に、この作戦で良いのだろうか。刑事事件の経験が少ない六十歳の弁護士が、正しい戦略を思い描けていたのか疑わしい。
 無手勝流で、常に行き当たりばったりに右往左往しながら対処していただけではないか。意見書の誤字脱字の多さを見るたびに、信頼を失っていく。
 以前、相手方弁護士のことを尋ねたら、関東から東北を回った流れ者だという説明を受けた。相手の申立書のひどさは、誰か上司や先輩に習ったわけではない彼オリジナルの文章だからだとも聞いた。
 もしかして、この弁護士も同類ではないのか。
 やっと司法試験に合格して弁護士になったのは、三十五歳の年。どこかに雇われて経験を積んだわけではないだろう。しかも、刑事事件の少ない田舎である。事件が起きても、不起訴になるだけの微罪なものばかりだ。せいぜい破産管財人などの代書屋さんレベルの仕事を受けてきただけではないか。
 口ぶりだけは自信たっぷりだが、これまでの刑事事件の経験を引き合いに出して、確かな法的根拠を示しつつ話すという姿を一度も見たことはない。必死で左右の手を振り、落ち着きのない様子で大げさに語るのが、逆に未経験の不安を打ち消そうとする必死な態度のように見えた。
 打合せ以降、何の連絡もない。心配になって、こちらから電話した。
「警察署には行ってきました。安心してください。担当刑事は知り合いで、今回、ひとまず神代さんの逮捕はないそうです」
 その一報だけで、あとはまた音沙汰無し。取り調べも、私一人で警察署へ出向き、これまでの妻の異常行動を洗いざらい話し、家庭の恥を晒して同情を買っただけで、その後の展開は皆目見当がつかなかった。
 たぶん、この弁護士さんも初めての誘拐事件の弁護で、勝手が分からなかったのだろう。田舎の弁護士は、仕事も経験も少ないから、こんなものだと思う。
 初めて入る警察署では、二階の取調室に上がるまでに、警察官に「どちらに行かれるのですか」と声をかけられ、担当者の名を告げた。
 刑事課で呼び出した担当刑事は、眼鏡をかけた無精髭の生えた男性で、同じぐらいの年齢だった。「凶悪な誘拐犯って顔してるんですかね」と聞いてみたら、「全然」との答えで、少し安心する。
 妻との家庭生活から裁判の経緯について、二時間近く話しただろうか。話を聞きながら、刑事さんはパソコンに入力する。最後に印刷した調書の内容が発言通りか確認して、拇印を押した。
「次は奥さんに来てもらって、話を聞きます」
 刑事さんからはそう言われただけで、その後半年は警察から何の連絡もなかった。
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