第35話 メールでの説得

文字数 1,932文字

 八月初旬。
 実家に帰った妻の携帯電話にメールを送った。

 八月一日
 毎日暑いですが、メイちゃんは元気です。
 自宅に戻って三人一緒に暮らしましょう。
 笑顔で楽しく暮らすという約束だったはずです。

 八月二日
 ヤキソバパンマンとヤキソバカスちゃんが並ぶアンパンマンのポスターを見て「おとうさん、おかあさん」と言っていたメイちゃんの思いを裏切って傷つけないでください。
 よろしくお願いします。

 八月六日
 メイちゃんは元気です。
 どうぞ自宅に会いに来てください。家に戻って一緒に暮らしましょう。
 家族仲良く笑顔で暮らせるようにすると約束したのだから、メイちゃんのためにそうしてください。

 八月十日
 メイちゃんは元気です。
 うちに帰って一緒に暮らしてください。
 自分の勝手な都合や一時的な感情ではなく、メイちゃんの将来を考えてください。
 メイちゃんを片親にしないでください。
 ヤキソバパンマンとヤキソバカスちゃんを見て「おとうさん、おかあさん」と指さしていたメイちゃんの気持ちを踏みにじらないでください。
 二三歳なら忘れるから何をしてもいいなんて、メイちゃんを馬鹿にしないでください。
 メイちゃんは賢いし、二歳の子供にも人格があります。
 家族仲良く笑顔で楽しく暮らせるようにすると約束したのだから、ぜひそうしてください。
 よろしくお願いします。

 当時、私は必死だった。
 私自身は、父母と祖父母と妹と犬の大家族で何不自由なく育ったから、娘が片親になるなんて想像したくなかった。学校で友達やその家族に、娘が片親であることを理由に後ろ指さされるなんて、あまりにかわいそう過ぎる。
 とにかく、妻には自分自身で約束したことを守ってほしかった。

 それに対して返信が来た。

 八月十一日 妻からのメール
 前に言っていたカウンセリング受けたほうがいいなら受けますよ。
 予約入れるなら入れてください。

 八月十二日 妻からのメール
 私は感謝の気持ちを忘れていたんだと思う。義父さん義母さんのこと悪く言ってごめんなさい。
 本当にいろいろお世話をしてくれたり助けてくれたのに、感謝の言葉も言わず文句だけ言っていたなと思います。実家から保育園のお迎えに出てくるのも大変なのに、雨の日も雪の日も毎日出てきてくれたのに、「ありがとう」さえも言ってなかった。
 子育てのことにしても仕事のことにしても、神経質になってたというか気負い過ぎてて、まわりの人の気持ちを跳ね返していたんだなと。
 本当にメイちゃんが幸せでいるには、家族みんなが仲良く笑っていることなんだと、本当の意味でわかりました。
 崇司さんも追い詰めて追い詰めて困らせてばかりでした。感謝の言葉さえも言ってなかったです。本当にごめんなさい。

 気持ちが通じたんだと思った。
 自分の一時的な感情より、娘のことを思って考え直してくれたんだと素直に信じた。
 紆余曲折あったけど、これから元通りになれる。そう信じた。

 このあと、実際にカウンセリングも受けることになる。その間ずっと、私は悩んだ。彼女のことがわからなかった。ただ精神的に不安定な人なのだろうと思っていた。
 どんどん状況が悪化していく中で、妻は「悪人が普通の人のふりをしているのか」それとも「普通の人が精神的に不安定で一時的に悪人になるのか」、そのどちらなのか、ものすごく悩んだ。カウンセラーにも問うたことがある。答えてはくれなかった。たぶん、というか間違いなく、答えを知らない素人カウンセラーだったと思う。
 こんな滅茶苦茶なことをするなら、妻なんて要らないと思った。娘に母親なんて要らないと思った。「死んでくれたほうがましだ」、そう父に訴えて、涙を流したこともあった。
 今は、自信を持って言える。それからの経緯をすべて知っている。
 当時の私の疑問に正しく答えられる自信がある。
 今後、こういう人間に会っても、絶対に騙されない自信がある。
 今の私なら、確かに言える。
 元妻は、「悪人が普通の人のふり」をしていた。
 悪人が善人を演じていただけだった。当時の私は騙され、悩みぬいた。
 愛し、信じた。それが間違いだった。だからこそ、同じような境遇にある人に伝えたい。騙されないでほしい。そこで間違って信じてしまうから、容赦してしまうから、問題がややこしくなる。最初から、世の中には他人を騙しても心が痛まない人間がいることを理解していれば、問題解決も少しは容易になる。
 悪人が、いかにも悪人面をしているなら、何ら問題ない。悪魔は、それとは分からない姿で近づいてくる。肝に銘じておいてほしい。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み