第78話 未成年者を引き渡せ

文字数 2,462文字

 最終的に気づくことだが、「法律には抜け道がある」というのは、弁護士のその場しのぎの嘘でしかなかった。六十歳、弁護士歴二十五年。田舎で仕事の少ない弁護士の浅はかな推測、希望的観測だったのかもしれない。度重なる強制執行に耐えながら、娘と二人、どんどんと追い込まれていく。
 それでも、娘を引き渡さずに戦いを続けるという案は、確かに理があると思った。うちの父とよく話したものだ。引き渡してしまったら、そこで裁判は完全に終わる。母性優先が勝って、現状維持という判断が消え失せる。即時抗告も意味がなくなる。
「まだ、本審判があります。そこで徹底的に戦えばいいんです。そこでは、相手の精神状態など弱い部分についてもギリギリと攻めていくことになります。」
 あの頃は、威勢のいいことを言っていたが、ギリギリと相手を攻める勇姿を目にする機会は、ついに訪れることはなかった。
 監護権の裁判翌年の人身保護請求では、地裁の法廷で「反論はしないでおきますね」と私の隣で小声でささやいた。その翌年、検察庁へ誘拐の取り調べで行った時には、事前の打ち合わせも同伴もなかった。困って事務所へ電話したら、普通に電話に出たことに驚いた。ただの代書屋さんだったと思う。

 保全処分の裁判で負けて、「仮に引き渡せ」という命令が下った後、娘を守り戦い続ける覚悟だったが、本審判で徹底的に戦うという機会には恵まれなかった。
 背の低い黒ポンチョの裁判官の顔は、間接強制の審尋で見納めだった。たった、二回会っただけだ。この小男は、娘の顔さえ知らない。娘の思いも、娘の声さえも聞いたことがない。
 いったい、何を根拠に判断しているのか。不思議に思う。
 きっと、裁判官は、全知全能の神だから、いちいち細かいことを調べる必要さえないのかもしれない。
 ある時、突然、「未成年者を引き渡せ」と裁判官の脳裏にひらめく。
 審判とは、ご神託なのだろう。

 平成二十五年七月三日。
 主文
 一 未成年者の監護者を申立人と定める。
 二 相手方は、申立人に対し、未成年者を引き渡せ。

 その「理由」が続く。
「当裁判所が認定した事実」に、以下の記述がある。
「申立人の実家には、平成二十四年七月十二日から同月二十四日までの間使用していた監護のための設備が残されており、直ちに未成年者を引き取ることになっても特段の支障はない状態である。」
 当時二歳で、それから一年が経過しているのに。裁判官は、自らの手で育児をしたことがないのだろう。それとも、自分が毎年同じサイズの黒ポンチョを着れるから、子供も同じと考えるのだろうか。幼児の一年は、早い。去年の服はもう着れないし、おもちゃも年齢に合わなくなる。
 しかも、同年同月十八日から二十三日は気管支炎で入院させられている。差し引き、たった一週間だけ使った設備が一年後も使えるという判断がどうかしている。子供の意思どころか、生育環境に何が必要かさえ理解できてない裁判官に、監護権を判断させること自体に無理がある。

「当裁判所の判断」の中「相手方による連れ去り行為の評価」は以下の記述で始まる。
「相手方は、申立人の実家から、申立人及びその父母に無断で、強制的に未成年者を奪取しており、未成年者を奪取しており、未成年者をその生活環境から不法に離脱させ、自らの事実的支配下に置く行為であり、違法なものである。」
 誰が実際に育児をしていたかも判断できていないのに…。

 同じく「当裁判所の判断」の「原状回復としての子の引き渡しの可否」。
「相手方は、申立人が未成年者を連れて実家に戻った行為を問題視し、これを含めた一連の事情を踏まえて相手方の連れ去り行為の違法性を評価すべきであると主張する。しかし、申立人が、相手方との婚姻関係の悪化に伴い、相手方との冷却期間を置くべく実家に戻るに際し、申立人の保護下にあった未成年者を連れて行ったというに過ぎず、申立人側の監護状態を排して強制的に連れ去るという相手方の行為は、質的に大きな差異があるといわざるを得ない。」
 …だそうです。
「実家に戻るに際し、申立人の保護下にあった未成年者を連れて行ったというに過ぎず」。これって、近年、問題なっている「母親による未成年者の連れ去り行為」を、家庭裁判所の裁判官が容認しているということだ。裁判官は、自宅への「連れ戻し」を「連れ去り」と呼ぶ。特殊な司法用語なのかもしれない。
 しかも、「申立人の保護下」って…。誰が育児をしていたかは、娘に聞けば、娘の態度を見れば一目瞭然なのに。
 家裁にとっては「幼児に口なし」で、未成年者の基本的人権は徹底無視。「子供は母親の腹から出た、感情や判断能力を持たない単なる物質」あるいは「母親に帰属する動産」、そんな極めて非人道的な判断だ。

 そして、最後。
「本件全証拠をもってしても、申立人に、未成年者を監護する上で問題になるような精神疾患等があるとは認められない」
「全証拠」って、調査官が調査報告書に虚偽あるいは事実誤認を記し、それに基づいて自信もって堂々と審判されていますが、大丈夫ですか。調査官の嘘に、裁判官も騙されてますが。
 この物語の最初に、元妻との結婚生活の実態を記してあります。
 皆さんは、どう思われますか。
 裁判官にとっては、正常だそうです。
 これで、もし娘に被害があったら、責任取ってくれるのだろうか。娘の将来に対して何ら責任を負わないのに、家庭環境について正しく判断する能力を伴わないまま裁判を行い、その決定を国民に従わせる権力を持つ。
 これが、今の日本の家庭裁判所です。

 こうして、娘の監護権という大事な裁判は、たった一度(間接強制の審尋は除く)、裁判官に会っただけで、たった七か月の即席審判で決まってしまいました。コストパフォーマンスを評価されたのか、家裁へ左遷されていた裁判官は、立つ鳥跡を濁して、高裁へ栄転していく。
 ここから、娘を守って徹底抗戦が始まります。
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