二、前夜の梟

文字数 2,410文字

 群青色と茜色が混ざり合い、幻想的な模様が空に描かれている。仕事を終え、ぽつぽつと帰途につく人々の影が長く伸び、残飯目当てに戻ってきた烏が屋根の上で鳴いている。 
 その少し前・・・。
 老湾で私物を売り、馬商人の屋敷を訪れた巴慧とカイリは次に大通りへ向かった。華やかな品物が並ぶ商店街を横目で眺めながら通り過ぎ、外れにある小さな露店で着物と草履を買った。そして、カイリに教えてもらいながら数種類の薬草と包帯も手に入れた。水筒と手拭いを買うのも忘れなかった。
「暗くなる前に連れて帰んないと叱られるから、そろそろ行こうぜ」
そう言って家まで送り届けてくれたカイリは、ちょっと野暮用があるからと言って何処かへ行ってしまった。
(また老湾へ行くのかしら)
そう思いながら戸を開けると、隅っこで蹲っていた一新がパッと顔を上げた。
「ただいま」
日の光が入らなくなった室内は薄暗い。
「あれ、ミトさんは?」
荷物を卓の上に置いてから裏庭を探してみるが、姿が見当たらない。一新に視線を送ると、問いかけには答えずに、子猫のような目でじっと見つめ返してきた。
「出かけたのかな?」
こくりと頷く。
「そっか」
巴慧は一新の隣に腰を下ろした。
「お昼は食べた?」
またこくりと頷く。
「よかった」
自然と頬が緩んだ。一新は膝に顎を乗せて、安心したように目を閉じた。
 同じように目を閉じて外の音を聞いていると、じゃりじゃりという足音が近づいて来た。
「お、帰ってたのか。馬は買えたかい?」
戸の開け閉めに苦労しながらミトが尋ねた。
「うん。おかげさまで、巳玄一の馬が買えたわ」
「そりゃまた、すごい馬を買ったもんだね」
ふと見ると、背負った荷物から米粒が零れ落ちている。慌てて手で受け止めると、「ありゃま、また繕わなきゃならんねぇ」と言って、ミトは荷物を下ろした。
「カイリはどうした?」
「どっか行っちゃった」
「まったくあの子は、どこをほっつき歩いてるんだか」
ミトの言葉に思わず口元が緩んだ。今日はカイリの意外な一面を見てしまった。ミトはどこまで知っているんだろう。質屋に連れて行くよう指示したのはミトだから、ある程度は知っているはずだが・・・。老湾を我が物顔で歩く姿を思い出し、巴慧は笑いを堪えた。
(昔はあんなに可愛かったのに)
そう思うと、よけいに笑いがこみ上げてくる。危険なところへ出入りしているのなら問題だが、そう心配する必要もなさそうだ。
「必要な物は買えたのかい?」
「うん。大通りへ連れて行ってくれて、良いお店を教えてくれたの。カイリは何でも知ってるのね。びっくりしちゃった」
「毎晩遅くまで遊び歩いてるからね。どこで何をしてるか知らないけど、役に立ったんなら良かったよ」
巴慧はふふふと笑った。
「ところでミトさん。明日の朝、出発しようと思います」
そう伝えると、ミトは荷物を片付ける手を止めた。そして、ゆっくりと振り返り、じっと巴慧を見た。その目には哀しみの色が見え隠れしていたが、すぐににっこりと微笑むと、「そうか、分かった」と答えた。
 二人は茶をすすりながら取るに足りない話をしては笑い合った。一新は相変わらず隅っこで膝を抱えながら、じっと二人を見ていた。
 気が付けば、辺りは真っ暗になっている。
「そろそろ夕飯の支度をしようかね」
ろうそくに火を灯すと、室内は暖かい光に包まれた。
 水を汲んでくると、ミトは米をとぎ始めた。手伝おうとしたが断られたので、巴慧は荷造りを始めた。とは言え、先ほど買ってきた物しかないので、すぐに終わってしまった。文字通り、身ひとつで旅に出ようとしている己の無謀さに今更ながら手が震えてくるが、「大丈夫、なんとかなる」と言って、無理やりに口角を上げた。
 しばらくすると、両手に大きな荷物を抱えてカイリが帰ってきた。
「ただいま!見ろよ、ばあちゃん、巴慧ちゃん。果物を山ほどもらってきた!」
そう言って荷物をどさっと床に置くと、カイリは雑な手つきで風呂敷を広げた。
「すごい量じゃないか。ありがたいね。巴慧ちゃんも、いくつか持って行きな」
ミトに渡された果物を荷物に入れていると、「何してんの?」と、カイリが釈然としない顔で尋ねた。
「見りゃ分かんだろ。荷物をまとめてんのさ」
「荷物?なんのために?」
「出発するからに決まってんだろ。なんのために馬を買ったと思ってんだい?」
「え!もう出て行くのか?なんでだよ!」
大きな声が小屋から漏れて、人気のいなくなった通りに響いた。
「これ、でっかい声を出すんじゃないよ!」
ミトが顔をしかめる。
「だってさ、来たばっかじゃねえか!昨日の朝、比永に着いたんだろ?もう少しいたっていいじゃんか」
近い内に巴慧が出て行くことは分かっていた。むろん、そのために馬や着物を購入したことも承知している。だが、もう少し先のことだと思っていた。
「いったいどこへ行くのさ?」
「新原に行こうと思ってるの」
「新原?新原って、鷹月の首都だろ?なんでそんな遠いところまで行くんだよ!どんだけ距離あるか分かってんのか?」
素直に苛立ちをぶつけるカイリとは対照的に、巴慧は優しい口調で答えた。
「出来るだけ遠いところへ行きたいし、新原は前から行きたいと思ってたの」
会いたい人がいるから・・・。そう言いかけたが、巴慧は口をつぐんだ。
「なんでだよ?そんなすぐに出て行かなくてもいいじゃんか!」
まるで駄々っ子だ。荷物の重さを確認する巴慧をカイリは恨めしそうに見つめた。
「なぁ、巴慧ちゃん。もうちょっとここにいなよ。せっかく来たんだからさ。俺、なんでも力になってやるから。そうだ!八朔先生んとこで一緒に助手やろうぜ!医学を学びたいって言ってただろ?なっ?」
「ありがとう。でも、本当にそろそろ発たなきゃいけないの」
「なんでだよ!ここにいちゃ都合が悪いのか?大丈夫だよ、隠れるところもいっぱいあるし。ほら、見ろよ、ここ!なんかあったら、ここに隠れれば、絶対に見つかりっこねぇから!」

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