一、追跡(3)

文字数 2,920文字

 立入禁止区域とされている荒地へ赴いた三人は、薄暗い洞穴の中へ入って行った。人がひとり通れるかどうかという狭い空洞を降りて行くと、さらなる侵入を阻むために板が張り付けられている。暗闇の中で確認すると、それは部分的に破壊されていて、周囲に木片が散らばっていた。
 板を取り外してから中へ入ると、奥に一間ほどの空間がある。光の線が漏れ入る個所を見上げると、地上へ通じる出口らしきものが見えた。壁をよじ登って行くと、その出口は僅かな隙間を残した状態で塞がれている。
「これでは、脱出は不可能だ」
穴を塞いでいる岩を押してみるが、ぴくりともしない。
「ちっとも動かないぞ」
岩をコツコツと叩きながら透が言った。
「まさか、この隙間から出たということか?」
佐門が隙間の幅を左手で測りながら言った。とても人が通れる幅ではない。
「考えにくいが、外へ通じる出口はここしかない」
そう言いながら透は考えた。子供であれば、通れるかもしれない。体が柔らかければ、身をよじって這い出ることは可能か・・・。
「ここにいたのは、子供ですか?」
そう尋ねたが、章桂はだんまりを決め込んでいる。
 しばらくの間、なんとかして岩を動かそうと試みたが、結局は諦めざるをえなかった。下へ降りて、辺りを見回した。隅の方に、かき集められた落葉とぼろきれが置いてある。あれで寒さを凌いでいたのだろうか。小さな桶もあり、岩の隙間から滴り落ちてきたであろう雨水が溜まっている。
 他に脱出できそうなところがないか調べたが、何も見つからなかった。洞穴の中を隈なく調べてから、三人は地上へ出た。早速、反対側へ回ると、不自然に大きな岩が穴を塞いでいる。
「やはり、人が置いたものだな」
二人は岩の周りを細かく見て回った。
「佐門、これを見てくれ」
透が指す方を見ると、地面に擦られたような跡がある。しゃがんで確認すると、一度動かされた岩が、また元の位置に戻されたように見えた。
「いったい誰が動かしたんだ?」
中から動かすのは不可能だ。となれば、何者かが外から動かしたことになる。
「これは、ひとりでは無理だぞ。数人がかりでなければ」
全力で岩を押しながら佐門が指摘した。
「馬がいれば可能ではないか?縄で巻いて、引かせれば」
馬がいても苦労しそうな重量だ。佐門は額の汗を手の甲で拭った。塞がれた穴の隙間を測り、これをすり抜けるのは不可能だと断言した。
「章桂殿、この隙間がどれぐらいの幅だったか、ご存じか?」
突然に質問された章桂は身体をびくっと震わせた。
「いいえ、私たちは板のところまでしか行きません。板より奥へ入ったのは、昨夜が初めてでございます」
どちらにせよ、人が通り抜けられるほどの幅だったとは考えにくい。やはり、何者かが岩を動かし、中の者が脱出したのを見届けてから岩を戻したと考える他ない。
「土が乾いている。足跡を追うのは諦めた方が良さそうだな」
この時期は風が強い。辺りを見回したが、足跡らしきものは何も残っていなかった。
 三人は馬に跨り、辺りを捜索した。しかし、なんの痕跡も見つけることはできなかった。
(それが何者であるかさっぱり分からぬ状況で、いったい何を探せと言うのだ)
口には出さないが、二人とも心の内に同じ思いを抱いていた。章桂は相変わらず、だんまりを決め込んでいる。馬で辺りを駆けながら、まるで雲をつかむような話に二人は閉口した。

「それで、昨日の昼から今までずっと、そのモノとやらを探していたというわけか」
報告を聞いた鳥次は腕を組み、不満げな表情を見せた。そのモノとは、いったい何なのだ。それが分からずして、何を探せと言うのか。まるで雲をつかむような話ではないか。
「章桂殿、其方の立場は理解しているつもりだ。だが、あまりに情報が少ない。ここはひとつ、逸早くそのモノとやらを見つけ出すためにも、其方が知っていることを話してはくれぬか」
脅しではなかったが、鳥次の威圧的な声は章桂を震わせた。
「実のところ、私もほとんど何も知らされていないのです」
生気のない顔がますます白くなった。まるで幽霊のようだと、そこにいる誰もが思った。
「それが人か獣か化け物か、それすら知らぬと申すか」
鳥次の声はますます凄みを帯びて、びりびりと空気が揺れた。
「化け物にございます!あれは、化け物にございます!人の子ではありません。あれは、忌み嫌われるべき、穢れの権現でございます!」
理性が崩れたか。章桂は涙声で一気にまくし立てた。
「化け物といっても、この世には実に様々な化け物がいる。違うか?」
もっと詳しく述べよと鳥次は詰め寄る。
「あのモノに比べれば、どんな化け物も、化け物ではございません。他の化け物なら、どれほど良かったでしょう!私はこれまで、どれほど己の運命を恨んだことか。食料を運ぶ相手が普通の化け物なら、これほど怯えることはありませんでした!」
そう言うと章桂は顔を覆い、その場で泣き崩れた。切実な男の吐露を前に、鳥次は追及をやめた。不可解な点ばかりではあるが、この哀れな男を追い詰めても得られるものは少ない。おそらくこの男も、そのモノの姿を見たことはないのだろう。姿形が分からなければ、意味はない。
「国司より、一刻も早く捕獲せよとの命が下りました。引き続き、捜索は我ら二隊が行います」
透の言葉を聞いた鳥次はふぅっと息を吐いた。これは、思っていた以上にやっかいな事態だ。これまで、ひた隠しにされてきた「モノ」と呼ばれる何か。いわくつきの人物か、重大な何かを知る人物か、はたまた呪われた妖魔か・・・。いずれにせよ、幽閉されていたものが行方知れずとなれば一大事である。巴慧の件と同様に、秘密裏に、そして迅速に遂行すべき案件であることは間違いない。
「では、そのモノの捜索は弓兵隊、武闘兵隊の両隊に任せる。他の隊は引き続き、巴慧様を捜索せよ」
「はっ!」
 二人の隊長は跪き最敬礼をすると、また馬に跨った。

「ちょっと待ってください!」
それまで口を挟まずに一部始終を見守っていた荒人が堰を切ったように話し始めた。
「そのモノとやらが洞穴を脱出したのは一昨日の夜ということですか?」
荒人の言わんとしていることを即座に理解した面々は目を伏せた。
「巴慧が出て行った夜に、その化け物も外へ出たと言うのですか?」
荒人の瞳孔は開き、紫色の唇は小刻みに震えている。
「落ち着いてください。そのモノと巴慧様が接触するとは限りません」
「接触しない保証もない!」
興奮する荒人を佳水は両手で抑えた。またもや飛び出して行きかねない。
「叔父上、比永へは明朝に出発するとおっしゃいましたが、とてもじゃないが待てません!私は先に出発いたします!」
やはりそう来たかと佳水はため息をついた。こうなると、誰も止められない。諦めたように佳水は肩をすくめた。
「仕方ありませんね。では、我々は先に比永へ向かいます」
この若者ふたりは、巴慧が比永へ向かったと確信しているようだ。力強く頷くと、鳥次はよく通る声で言った。
「承知した。後ほど合流するとしよう。三峰、この者たちに武器を」
三峰は武器庫へ行くと、短剣を手に戻って来た。二人はそれを受け取ると馬に跨り、激しい蹄の音を響かせながら闇の彼方へ消えて行った。

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