三、予期せぬ来訪者(4)

文字数 2,544文字

「おい、見ろよ。珍しい客人だぜ」
目の前までやってきた佳水を三白眼で睨めながら男が嘲笑った。
「お楽しみのところ恐縮ですが、お尋ねしたいことがあります」
佳水は動じることなく、淡々と言った。
「まぁ、座れや」
男が目で合図すると、数人が立ち上がり席を空けた。嫌がらせだろうか。男は二人をすぐ隣の席に座らせた。まじまじと二人の顔を見ながら、
「おめぇら見ろよ、この坊ちゃんたちを。育ちの良さってのが顔に滲み出てやがる。この辺の連中とは、流れる血の色が違うんだろうよ」
と、敵意を隠さずに言った。
「まあ、飲めや」
男は二人の前に杯を置き、なみなみと酒を注いだ。
「ありがたく、頂戴いたします」
佳水は一口で飲み干すと、杯を卓上に置いた。荒人もそれに続く。
「ほぉ、良い飲みっぷりじゃねぇか。こりゃ楽しめそうだ。飲め飲め、たんと飲め」
男は次から次へと酒を注いだ。佳水は注がれれば注がれるだけ飲み干していく。飲み比べの勝負を挑んでいるつもりかもしれないが、佳水が相手では少々分が悪い。今のうちにやめておいた方が賢明だと教えてあげようか。そう思いながら、荒人は店内を観察した。この店が質屋だと言うのか?とてもそうは見えないが・・・。
(こいつ、思った以上にやりやがる。女みてぇな顔して、とんでもねぇな)
男は杯をバンッと卓上に置くと、歯ぎしりした。このままでは分が悪い。同じ配分で飲んでいたら先にこっちが潰れてしまう。
「兄ちゃん、役人さんか?こんな店でいったい何を企んでやがんだ。言っておくが、ここは叩いても埃しか出ねぇぜ。埃まみれになりたくなければ、叩かねぇこった」
新たに注がれた酒をくいっと飲み干すと、もっとくれと言わんばかりに杯を男の前に置いてから佳水は答えた。
「そんな大それたことは露ほども考えておりません。ここへは、ある人を探しに来た次第でございます」
人を探してるだと?男は興味をそそられた。
「どんなやつだ」
「歳は十七の女子でございます。美しい娘で、背丈はちょうどこれくらいです」
そう言うと、佳水は荒人を指した。むっとした顔で佳水を睨む荒人に一瞥をくれると、
「うら若き乙女ってか。その娘はなんだ、どこぞの姫さんか」
と、酒臭い息を吐きながら男が尋ねた。
「そのようなものです」
全く動じる様子がない佳水を、今や男たちは好奇の目で眺めている。
「そりゃあ一大事じゃねぇか。姫さんがいなくなったんじゃ、王はさぞかしご心労だろうな」
「その通りでございます。ですから、一刻も早く見つけてさしあげねばならないのです。そこで単刀直入に申し上げますが、その娘がいつここへやってきたか、教えて頂けますか」
佳水の一言で空気が一変した。
「なんだそら。その娘がここへ来たって言うのか?」
「まず、間違いなく」
男は薄ら笑いを浮かべた。そして、視線を一周させると、
「おい、聞いたか?十七の可愛らしいお姫様だそうだ。見た奴はいるか?」
と、声を張り上げた。
「いいや、見てねぇな」
俺もだ、俺もだと、あちこちで声が上がる。
「美しい姫様なら、ぜひとも顔を拝んでみたいがな」
誰かが言うと、男たちはけらけらと笑った。
「あいにく、そんな高貴なお方とは、とんと縁のない人生でよぉ」
「間違いねぇ。おまえにゃドブネズミがお似合いだ」
「俺がドブネズミなら、てめぇには化粧したゴキブリが似合うぜ」
男たちは罵り合いながら、酒を次々と呷った。
「いいか、身なりの良い兄ちゃん。そんな娘が来ようもんなら、あっという間に俺らが食っちまうぜ」
と、際立ってガラの悪い男が黄色い歯を覗かせながら、薄気味悪い笑みを浮かべて言った。
「来ただけでなく、高価な品も売ったはずです。滅多にお目にかかれないような高級品ばかりを」
一斉に笑い声が起きた。
「物を売りに来た?兄ちゃん、その綺麗な目はお飾りか?ここは酒を飲んで楽しむ店だぜ」
そうだそうだと、男たちが口を揃えた。
「よく見えねぇなら、これで拭いてやろうか?」
見るからに酔っぱらった男が、酒と汗の匂いが染みついた雑巾をつまんで言った。
「こんな場末の、世の終わりみてぇな店でいったい何を売るってんだ」
誰かがそう言うと、別の男が「こいつ、顔は白いまんまだけど、相当酒にやられてるぜ」と、妙に甲高い声で言った。
 しばらくの間、椅子の上でふんぞり返って飛び交う声を聞いていた男が、突然に佳水の方へ体を寄せた。
「何を勘違いしてるか知らねぇが、見ろよ、こいつらを。垢まみれの汚ねぇ奴らばっかだ。そんな品の良い娘が、こんなドブ臭ぇ店に来ると思うか?」
ここで一旦言葉を切ると、男は佳水の襟元を掴んだ。
「ここには来てねぇ。ほかを当たんな」
 話はすんだと、男はまた浴びるように酒を飲み始めた。
「ほら、飲めよ。夜は長いぜ。それとも、もう終わりか?」
あちこちから手が伸び、次々と酒が注がれた。二人は酒だけでなく、札遊びにもさんざん付き合わされた。次第に男たちは酔いつぶれ、獣の唸り声のようないびきをかき始めた。
 荒人に目配せすると、佳水は席を立ち、静かに店を出て行った。机に突っ伏していた男は薄く目を開けると、隣にいる男と視線を交えた。その男は頷くと、何も言わずに立ち上がった。

 つけられている。
 老湾の裏路地を歩いていた佳水はすぐに気が付いた。だが、どうってことはない。用はすんだ。巴慧がここへ来たことは疑いの余地がないほど確実なものとなった。問題は今どこにいるか。すでに出発してしまっている可能性は高い。長く留まれば留まるほど不利になることは百も承知だろう。だとすれば、次はどこへ向かうか。
 佳水の頭はあらゆる可能性を想定し、目まぐるしく動いていた。無言で隣を歩く荒人は、相変わらず硬い表情で押し黙っている。少々、冷静さを欠いてはいるが、荒人も次の展開を考えているに違いない。
「佳水、まくぞ」
唐突に口を開いた荒人に、佳水はやわらかく笑った。
「承知いたしました」
 
 突如、違う道へばらばらに入って行った二人に男は成す術なく取り残された。左右どちらへ行くか悩んだ末に慌てて荒人の後を追ったが、すでに姿はない。走って追跡を試みたが、迷路のように入り組んだ狭い路地の中では困難を極めた。
「くそ!どこへ行きやがった!」
悔しそうな声が乾風に吹かれて、巻き上げられた土埃にかき消された。

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