四、追う影、近づく

文字数 2,377文字

「おい、見ろよ、あいつら」
男の声に、左隣にいた男が僅かに視線を上げた。
「ほら、あそこ、ずいぶんと品の良い嬢ちゃんがいるだろ」
右隣にいる男も顔を動かさぬまま目だけを動かす。まだあどけなさが残る少年がひとりと、それについて行く少女がひとり、卓と卓の間をすり抜けながら奥へ進んでゆく。
「ずいぶんと場違いじゃねぇか」
「ガキの方は見たことある顔だ」
右隣の男がぼそっと呟いた。
「あぁ、よくこの辺をうろちょろしてるガキだ。もうひとりはどうだ、見たことあるか?」
三人の男が少女を頭の先からつま先まで嘗め回すように見た。
「いや、見たことない」
男のようななりをしているが、どう見ても少女だ。歳は、十六か十七と言ったところか。大抵、歩き方を見れば育ちが知れるものだ。酔っ払いどもを避けながら歩く少女の所作は洗練されており、育ちが良いことが一目で分かる。煙まみれの店では今日も懲りない男たちが賭け事に没頭していて、誰もこの場違いな少女に目を留めるものはいない。
「やっぱり、見たことねぇな」
真ん中の男は頬杖をついたまま、興味深そうに少女の動向を見守った。すると、驚いたことに、二人は店主である男の席まで行くではないか。獅子に戦いを挑む兎のような光景に、男はますます目が離せなくなった。右隣と左隣の男も無関心を装いながら、店主と少女のやり取りに耳を傾けている。
(何か売りに来たのか?)
男は少女が店主に渡した包みの中身を盗み見た。
(おぉっと!値の張りそうなもんばっかじゃねぇか)
男は目を丸くした。男がいる席から店主の席まではかなりの距離があるが、鷹のような視力を持つ男は、包みから出てきた品物をはっきりと見ることができた。各地を転々と旅してきたが、あそこにあるのは滅多にお目にかかれないような代物ばかりだ。目が節穴であれば少女を盗人と決め付けたかもしれないが、男の目にはそれらが少女自身のものであることは明らかだった。
(思った通りだ。あの嬢ちゃん、ただもんじゃねぇな)
男はにやりと笑った。店主から小袋を受け取った少女が丁寧にお辞儀をするのを見て、
(やっぱりな。あの作法は厳しい躾を受けてきたに違いねぇ。そんじょそこらの娘には真似できねぇ芸当だぜ)
と確信し、少年に背中を押されて店を出て行く娘を目で追った。
「仁、行け」
左隣にいた男が何も言わずに立ち上がった。黒い着物で覆われた肉体は鋼のように硬く、その左目は黒い眼帯で覆われている。
「おい、あの宝玉を見たか」
仁と呼ばれた男が一切の音をたてずに店を出ていくと、男は右隣の男に問うた。
「見た」
顔を見合わせた二人の目が鋭く光る。
「久しぶりに楽しませてくれそうな奴を見つけたな」
「どうするつもりだ」
「さあな。だが、ここに入り浸るのにも飽きた。潮時ってやつだ」
男は懐から金を出すと、無造作に卓の上に置いた。
「行くぞ、善」
善と呼ばれた男は残りの酒を飲み干してから立ち上がった。こちらも黒い着物に身を包み、長い黒髪を一括りに束ねている。眼帯の男は細く長い漆黒の目が印象的なのに対し、この男はすべてを見透かすような、縦にも横にも幅のある灰色の目をしている。そして、両者とも眼光が刃物のように鋭い。
 先に立ち上がった真ん中の男もやはり黒い装いをしているが、その上に派手な藍色の上着を羽織っている。肩で風を切りながら店内を歩く男は、獲物を狙う狼のように目を光らせた。

 老湾を後にした二人は老街の一画にある古い掘立小屋に入って行った。比永にいる間はここを仮住まいとして使っている。ほどなくして仁が戻って来た。
「どうだった?」
間髪を容れずに男が訊く。水で乾いた喉を潤すと、「馬を買った」と仁が答えた。
「馬?夜逃げでもする気か?」
「知らない」
「どんな馬だ」
「知らない。銀貨三十枚を渡してた」
仁も恐ろしく目が良い。少女が銀貨三十枚に相当する馬を買ったことは間違いなさそうだ。
「羽振りがいいねぇ」
娘は品物と引き換えに金貨三十枚と銀貨二百枚を手にしている。それに加えて、土壇場で売るのをやめた宝玉の首飾り。あれは値のつけようのない逸品だ。
「あれだけの代物を売ったんだ。そらぁ大金になるさ」
あの毛むくじゃらの店主は見るからに悪人面だが、決して汚い商売はしない。それを見込んで、あの小僧も娘を連れて行ったのだろう。それにしても、あの首飾りと言い、最高級の馬を即断で買う度胸と言い、やはり只の娘ではない。
「銀貨三十枚の馬か。可愛い女の子が持つ馬じゃねぇな。どこまで行く気だ?」
善が笑って言った。仁は黙ったまま腕を組んでいる。元々、口数が極端に少ない男である。寡黙と言えば聞こえはいいが、何を考えているか分からん奴だというのが、概ね仁に対する周りの評価だ。自ら発言するのは稀で、問われた時だけ重い口を開く。
「どんな馬か見なかったのか?」
「見てない」
もう少し詳しい説明をしてくれと思わないでもないが、こういう男だと二人はとうの昔に諦めている。
「いつ馬を渡すって言ってた?」
「夜に小僧の家へ連れて行くらしい」
「場所は分かってるんだろ?」
善の言葉に仁が頷く。
「私物を金に換えて馬を買う。となると、次は夜逃げだな」
男は意味深な笑みを浮かべながら天井に視線を滑らせた。良家の娘が男に成りすまして老湾をうろつく。それだけでも十分に興味深い光景だが、馬を買ったとなれば、いよいよ怪しい。
「あの嬢ちゃん、どっかの姫さんかもしんねぇぜ。鳥籠から逃げて、どこへ行く気かな?」
近場へ行くのに銀貨三十枚の馬は不要だ。あらゆる困難に耐えうる強い馬を手に入れたのには、並々ならぬ事情があると見た。
「出発は早朝、日が昇り始める頃か」
慣れない馬での旅路は苦労がつきまとう。闇夜は避けたいはずだ。
「そうだな」
にやりと男が笑い、鋭い視線が交差した。
 三人はそれぞれが好きなように時間を過ごし、日が沈むのを待った。

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