五、巳玄を統べる者(3)

文字数 3,591文字

 巳玄(みげん)の街には南北に渡り、一本の大きな道がある。その中央に広場があり、それぞれが千年通り、千年広場と呼ばれている。いつからそう呼ばれるようになったかを示す定かな記述は残っていないが、千年の繁栄を願う人々が自然にそう呼ぶようになったのだろう。この通りには巳玄の豊かさを象徴する立派な商店が建ち並び、常に多くの人で賑わっている。
 街の入り口である「南門」から出発し、千年通りを歩いていくと、右手に着物、履物、装飾品、筆や巻物、染料や顔料などを売る小さな店が見えてきた。そして左手には様々な楽器を取り揃える店や、漆器、陶器、土器などを売る店が並んでいる。この辺りは「芸能通り」と呼ばれ、各地から芸事に携わる者が質の良い品を求めにやってくるのだが、荒人は特にこの辺りの店を見て回るのが好きであった。父に懇願し買ってもらった「円胡(えんこ)」という弦楽器を今も奏でているし、巴慧と選んで買った筆も愛用している。
 次に見えてくるのは、煙草屋と酒屋、そして鍛冶屋が密集する「西町」である。やり手の商人や、その道三十年と言った生粋の職人が集まる最も活気に満ちた場所だ。
「兄ちゃん、良い品が入ったから、ちょっくら見て行けよ!」
「旦那、酒でも飲んでかねぇか?」
粋の良い男たちの声が飛び交う。ずいぶんと店が増えたなぁと、荒人は目を見張った。千年通りに入りきらなかった店が、裏筋の、さらに裏筋まで続いている。
「裏の路地に行ってはいけませんよ。お店を見たいなら、千年通りにあるお店になさってください」
与佐子が口酸っぱく言っていたのを思い出す。子供心に、裏には魔物がいるのではないかと想像を逞しくさせては巴慧と笑っていたが、これだけ店が増えれば魔物も逃げ出してしまったに違いない。だが、与佐子が裏路地への立ち入りを禁じたのは危険だからではなく、たんにその迷路のような作りから、迷子になってしまっては探しようがないと思ったからであった。実際にこの街の地図を見てみると、南北に跨る千年通りと、その中央に位置する千年広場は分かりやすいが、それ以外はどこもかしかも狭い路地が入り組んでおり、巨大な迷路のようである。
 西町を抜けると見えてくるのが、別名、「比永の台所」と呼ばれる千年広場である。広い敷地に商店がひしめき合い、旬の野菜や果物、取れたての川魚や新鮮な肉がずらりと並んでいる。幼い頃は頻繁に訪れていたが、いつ来ても色鮮やかな食材が幼子の目には宝石のようにきらきらと眩しかった。「わぁ、おいしそう!」と目を輝かせる二人に、「そうだろ?うまそうだろ?ほら、食べな。お母さんには内緒だぞ」と言って、気前の良い店主が果物やお菓子を分けてくれた。「おいしい、おいしい」と目を細めながら頬張る巴慧を眺める日々は幸せに満ちあふれていた。
 広場の北側には、国の最も重要な機関が本拠を構える「大国地区」がある。立派な建物が延々と続くこの地区には国府の中核を成す「官府」があり、その堂々たる門構えは巳玄の国力を見事に表している。当然ながら、この辺りには高官や貴族の邸宅も数多くあり、中には一国の城に匹敵する規模のものもあった。さらには、黎明や啓史が学問を収めた最高学府もあり、官人や役人を目指す若者が各地から集まってくる。他国からの来賓客が宿泊する高級宿もあり、佳水と千早が滞在している宿もこの地区にあった。
「さて、あの二人ならどこへ行くかな?」
千年通りを歩きながら荒人は考えた。佳水のことだ、この二日の間にこの辺りはくまなく散策したに違いない。なら、南の方へ行ったと考えるべきだろう。人々の暮らしを間近に見られる地区となると・・・、あの辺りだな。荒人は広場を突っ切り、最も庶民的かつ男臭い地区である西町へ向かった。
「そこの若旦那!うまい酒があるぜ。飲んでけよ!」
早速、恰幅の良い酒屋の店主に声をかけられた。
(この辺りはちっとも変わらないな)
昼間だと言うのに店先で酒を飲みかわす男たちを見ながら、荒人は懐かしさに頬が緩んだ。
 それにしても、腹が減った。昨日から食欲がなく、今朝はほとんど何も食べていない。体を壊して食べられないことはあっても、嬉しさのあまり食べ物が喉を通らないなんて初めてだ。こういうこともあるのかと思うと、なんだか可笑しい。これから先、自分は大丈夫だろうか。喜びのあまり痩せ細ってしまうかもしれない。
(早く佳水たちを見つけないと)
 腹をさすりながら、荒人は大通りからひとつ裏の筋へ入って行った。こういった裏路地にこそ安くてうまい店が多い。少し散策すると、いかにも年季の入った店が目に留まった。佳水ならこういうところに入りそうだとふんで中を覗くと、狭い店内には二人用の小さな卓子が四つしかない。少し視線を動かすだけで、今まさに出された料理を食べ始めようとしている客が二人、奥の席に向かい合って座っているのが見えた。予感的中だ。静かに店内に侵入し、壁に沿うようにしてこっそりと近づいていく。
「荒人様!」
正面側に座っていた千早があざとく荒人を見つけて叫んだ。
(ははは、見つかってしまった)
席を立とうとする千早に、「いいからいいから。冷めたらもったいない」と、気にせず食べるよう促してから店主に軽く頭を下げた。
「どうして、ここが分かったのですか?」
狐につままれたような顔で尋ねながら、千早が隣の席から椅子を持ってきた。
「宿に行ったら食事に出かけたと聞いて、探しに来た。佳水ならこういう店を選びそうだと思って来てみたら、予感的中だったな」
それを聞いた佳水は幅の広い切れ長の目を荒人に向けた。荒人がやって来たことよりも目の前の料理の方が重要だと言いたげな表情に、「ははは、気にせず先に食べてくれ」と、荒人は笑って言った。
「もちろんでございます。お先に頂きます」
一向に気兼ねすることなく、佳水は麺をすすりだした。やはり仕えている年数が違うなと、千早は黙々と食べる佳水を感心しながら、半ば呆れながら見つめた。
「千早もほら、早く食べなさい」
佳水に促されて麺をすすると、あまりの熱さにむせてしまった。
「一気にすするからだよ」
背中を撫でてもらいながら水を口に含むと、熱が少し治まった。もう少し冷めるのを待ってから出汁を飲むと、「うまいか?」と、荒人が頬杖をつきながら尋ねた。千早は小さく頷いた。
「私も同じものをもらおうかな」
「荒人様、まだ昼食を食べていなかったのですか?」
「あぁ。懐かしくて歩き回っていたら、こんな時刻になってしまった」
「おっしゃってくだされば、宿でお待ちしたのに」
千早が口を尖らせた。
「いいんだ。ゆっくり、ここまで来たかったんだ。懐かしい景色を見たかったから」
料理が運ばれてきた。箸を持ち、ふぅふぅと冷ましてから麺を口に運ぶ荒人の表情を見ると、それまで黙々と食べることに集中していた佳水が口を開いた。
「そのご様子だと、うまくいったようですね」
いきなり核心を突かれて、荒人は咽そうになるのをぐっと堪えた。
「なんだ、いきなり」
やはり佳水に隠し事はできない。この様子だと、店に入ってきたときから全てお見通しだったに違いない。
「隠しても無駄ですよ。巴慧様にご縁談を申し込まれたのでございましょう」
「え、そうなんですか?」
驚いた顔で千早が問いかける。
「まったく、おまえには何も隠しておけないな」
やれやれと荒人は肩をすくめた。那祁家への訪問は父である啓史から託された任務を行うためだと二人には説明していた。それも嘘ではない。だが、真の目的が何であるかを佳水はとっくに見抜いていたわけだ。
「お受けして頂けたのですね」
先に食べ終えた佳水は微笑を浮かべて、そう尋ねた。
「あぁ。近い内に祝言を挙げることになった。黎明様も認めてくださった」
できるだけ冷静を装って言うと、
「そうですか。それはおめでとうございます。長年の夢が叶いますね」
と、祝福の言葉を述べられた。面と向かって言われると、やはり照れるな。
「あぁ、ありがとう」
荒人は少々居心地が悪そうに箸を持ち直した。
「お待ちください!」
千早が勢いよく立ち上がった。荒人と佳水が何事かと見上げると、まだ幼さの残る顔が引きつっている。
「荒人様、ご結婚なさるのですか?」
「そうだが」
「それは、大変めでたいことですが、ご結婚された後はどうなさるのですか?その巴慧様という方が斎海家へお越しになるのですか?それとも、荒人様が那祁家に入られるのですか?」
立て続けに質問する千早の声量が大きくなっていく。
「こんなところでなんですか。慎みなさい」
佳水がたしなめた。千早はハッと店内を見回した。幸い、他に客の姿はない。思わず胸を撫で下ろした。言わずもがな、那祁家は巳玄の国を統べる一族である。人々の関心も高く、その名を聞けば自ずと聞き耳をたてる者も多い。ましてや、内容が一人娘である巴慧の縁談話となれば、なおさらだ。
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