五、巳玄を統べる者

文字数 2,885文字

 那祁(なぎ)家が緊急事態に見舞われていた頃、荒人(あらと)比永(ひえい)の街へ向けて馬を走らせていた。父に宛てた文を斎海(さいかい)家専用の飛脚へ渡すためである。
 今回の旅には二人の部下を従えて来た。荒人の付き人である佳水(かすい)と飛脚の千早(ちはや)である。荒人が那祁家に滞在している間、二人は比永の中心部にある高官用の宿にいた。一緒に那祁家の世話になることもできたが、荒人は二人を宿に残して来たのだ。理由は、巴慧と再会する瞬間を二人に見られたくない、という幼稚なものだった。
(あとでなにを言われるか分かったもんじゃない。よくそのようにだらしない顔を巴慧様の前で晒せますね、そう言われるのがおちだ)
千早は良いとしても、佳水に見られることだけは避けねばならない。というのも、この佳水という男、容赦ないことを平然と述べるのだ。しかも無表情で。ずば抜けて頭が良く並々ならぬ洞察力を持っているがゆえに、人の心情をいとも簡単に見抜いてしまう。だが、困ったことに気遣いというものが欠如しているのだ。少なくとも、荒人に対してはそうなのだ。宿に置いてきて正解だった。おかげで、恥ずかしい姿を晒さずにすんだ。そうは言っても、佳水は腹心の友でもある。那祁家に紹介しないわけにもいくまい。さて、どうしたものかと荒人は肩をすくめた。 
 出発してから一刻ほどになるか・・・。休憩せずに走り続けているが、疲労はほとんど感じない。さすがは舗装された道だ。何台も荷車が通り過ぎるのを横目で見ながら、荒人は額の汗を拭いた。
 那祁家と比永の街を結ぶ本道は、各地からやってくる飛脚や官府から派遣される役人などで、昼夜問わず人の往来がある。那祁家を出発し、北東に向かって山間を抜けると、のどかな田園風景が広がっている。平坦な道を進んでいくと、またもや前方に険しい山々が見えてきた。
 巳玄(みげん)の国は別名「山の国」と呼ばれている。山が面積の大半を占めるからだ。山と山の間で窮屈そうにしている平地には村がぽつぽつと点在し、人々は山に守られ、ときには脅かされながら生きている。そして、それは都市部も例外ではなく、首都である比永も高い山々に囲まれている。
「もうすぐだ。あと少し、頑張ってくれよ」
馬の背をぽんぽんと叩いて、荒人は山道を駆け抜けた。ありがたいことに、馬にとって走りやすいよう道が舗装されている。上り坂も見た目ほどきつくはないはずだ。規則正しい動きと共に馬の鼓動が伝わってくる。それに伴い、荒人の鼓動も速くなった。
 最後の山を越えると、ようやく比永の街が見えてきた。左手に川があり、それに沿うようにして街が広がっている。正確に言えば、もともとは川から離れたところに街ができたのだが、人口の増加とともに川岸まで拡大していったのだ。
 山を下ると、視界いっぱいに広がる豊かな田畑から心地よい風が吹きつけてきた。深呼吸すると、かすかに甘い香りが鼻腔に広がる。
 温厚な気候に恵まれた巳玄では四季折々の野菜や果物が育つ。貧富の差はあるが他国に比べれば差異は小さく、腹をすかせて痩せ細っている者はいない。ゆえに、なんて豊かな国だろうかと、巳玄を訪れる者は驚き称賛する。
 さらさらと揺れる花に導かれるようにして走っていると、あっという間に街に着いた。足を止めて正門を見上げると、一気に懐かしさがこみ上げてくる。しばらくこうして見上げていたいが、そういうわけにもいかない。荒人は早速、二人がいる宿へ向かうことにした。
「その方々でしたら、お昼を食べに行くと言って出掛けられましたよ」
受付にいた小柄な女性がそう教えてくれた。予想してはいたものの、やはりかと荒人は肩を落とした。巳玄屈指の料理人が高級な食材を用いて作る郷土料理が最高にうまいと評判の宿なのに、それを食べずに外へ行ったとは、いかにも佳水らしい。
 そういえば、出会ったころからそういう男だった。付き人としての佳水の任務は、表向きには身の周りの世話や補佐を行うことだが、実際のところは「教育係兼話し相手」として、父である啓史(けいし)が連れてきたのだった。
 荒人は幼い頃から他者に細々と世話を焼かれるのが嫌いだった。自分のことは自分でやると言って使用人や教育係を追っ払う息子を見た啓史が、「そうか。では、この子ならどうだ!」と、斎海家へ引っ張ってきたのが佳水である。
 佳水が斎海家へやって来た日、「よく来てくれた。これからはここがおまえの家だ。父と思って慕ってくれ」と、啓史は大いに喜んだ。早速、息子のところへ連れて行くと、「おい、今日からこの子がおまえの付き人だ」と、声高らかに宣言した。
「お初にお目にかかります。佳水と申す者でございます。荒人様に誠心誠意、お仕えいたします」
女子(おなご)のような甲高い声でそう挨拶すると、佳水はまだ幼い顔を上げた。十三歳の荒人と十二歳の佳水が初めて顔を合わせた瞬間だった。
(なんだこいつ。無表情で不気味な奴め)
佳水の第一印象である。荒人は、「こんな得体の知れないガキはいらない!」と叫んだ。
「ただのガキと思うなよ。この歳で、おまえの百倍は賢いぞ」
にやにや笑いながら言う啓史に荒人は噛みついた。
「百倍だって?そんなばかなことあるもんか!なら、勝負してやる!」
比永を離れてからというもの、この愚息は使用人たちに迷惑をかけまくっている。ここらでちょいと、お灸をすえるか。
 啓史は息子の望み通り、二人に医学や法に関する大人でも解けないような難問を出し、学力を競わせた。結果は、荒人の完全なる敗北であった。荒人も同じ年頃の子たちに比べれば高い学力を身につけてはいたが、「ま、相手が悪かったな」と啓史はにんまりした。それもそのはずであった。佳水は非常に聡明な子で、その歳ですでに最難関である官人登用試験に合格し、医師の称号まで与えられていた。田舎の小さな村に神童がいるという噂を聞きつけた啓史が、俺のところに来いと言って、強引に連れてきたのである。
「俺は付き人などいらない!近寄るな!」
わなわなと震えながら、目の前の子を今にも嚙みつきそうな目つきで睨みつけてから、荒人は部屋を飛び出して行った。あらららと呆れ顔で啓史は佳水を見たが、この幼子は顔色ひとつ変えることなく落ち着き払っている。頭が良いだけでなく、肝まで据わった子だと、啓史は大いに感心した。
 この地へ移り住んでからと言うもの、息子は一度も笑顔を見せていない。啓史は六人の子宝に恵まれていたが、長男と次男は役人登用試験に合格し、それぞれが「弐の群」と「参の群」で役所勤めをしている。そして、二人の愛娘は官人と貴族の家へ嫁いでしまった。よって、斎海家に残る子は荒人と、その弟の詩弦だけである。詩弦は荒人より六つも歳が離れているため、話し相手になるとは言い難い。教育係だけでなく、良き話し相手になってくれればと思って連れてきたが、これは期待を上回る逸材やもしれん。啓史は豪快に笑い、「そのうち、慣れるから気にするな、わっはっは」と言って、佳水の折れそうに細い背中をばんばんと叩いた。佳水は痛がる様子も見せず、「承知しております」と、小鳥が歌うような可愛らしい声で言った。

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