五、巳玄を統べる者(5)

文字数 2,837文字

 巳玄という国の起源は、二千年以上前に遡る。伝承によると、いくつかの地域や部族の間で協定が結ばれて、その後「巳玄国(みげんこく)」として建国されたそうだ。
 それからの千年は大きな争いが起きることもなく安定していたが、やがて他国との間で軋轢が生じるようになった。幾度も争いを繰り返し、一時は大きく国力が低下したが、有能な統治者たちによって、その度に復興が成された。
 その後、周辺国の情勢が安定してきたこともあり、またしばらくは穏やかな時代が続いた。隣国とも良好な関係を築き、この平安がいつまでも続くかと思われていたが、ある時期を境に状況は一変した。ある勢力が、周辺の国すべてを脅かすほどの力を持つようになったからである。それに反発するようにして、東西南北いたるところで争いが起きた。そして人々は、厳しい時代を生き延びなければならなくなった。
 だが、その勢力が新たな国を興したことで、暗黒の時代は突如として終わりを迎えた。そして、「龍円(りゅうえん)」と名付けられた新国が、あっという間に周辺国を支配下に収め、互いに協定を結ばせた。
 そういった経緯から、巳玄の国は五百年以上前から隣国である雷虎(らいこ)の従属国という立場にある。従属国と言えば聞こえは悪いが、ほぼ完全な自治権が認められており、法律、行政、その他諸々の制度を巳玄が制定している。面積や人口においては雷虎が上回ってはいるが、巳玄の内政に干渉することは一切なく、両国の絆は深い。巳玄にとって雷虎は兄のような存在であり、その関係性が揺るぐことはない。
 龍円によって協定を結ばされた国々は「十貴国」と呼ばれており、その名の通り十の国々から成り立っている。
 北西に位置する「百獅(びゃくし)」と、その従属国「賛狼(さんろう)」。北東に位置する「紀鳥(きちょう)」と「永狐(えいこ)」。南東に位置する「雷虎」と「巳玄」。最南端に位置する「燕劫(えんごう)」と「鷹月(たかつき)」。そして、南西に位置する「猿胡(えんこ)」と「千馬(せんば)」。
 五つの大国が隣接する従属国を持ち、それらすべてを合わせた総名が「十貴国」なのである。そして、その中央に鎮座するのが「龍円の国」であり、今もなお絶対的な権力を持つ。
 
 ゆっくりと歩きながら、荒人は佳水の言葉を頭の中で反芻していた。
(今までがそうだったからと言って、これからも変わらないと信じる根拠はどこにもございませんとは、いったいどういう意味だ?他国とは異なる道とは、いったいなんだ?)
考えてみたが、納得のいく答えは見つからなかった。佳水の表情からは心の内が全く読めない。いったい何を見ているのだ。何が見えているのだ。荒人が見ている先の、更に先にある何かを見据えているというのか。
「まぁ良い。おまえが何を考えているかは知らんが、私は私にできることを懸命に成すだけだ」
「もちろんでございます。私も微力ながら、全力で荒人様のお手伝いをさせて頂きます」
「微力ながら、か。私に言わせれば竜のごとく頼もしいよ、おまえの存在は」
「もったいないお言葉でございます」
本心だった。佳水ほど頭の切れる者を他に知らない。幅広い知識、冷静な判断力、そして人の本質を見抜く洞察力、どれをとっても底が知れない。佳水を見ていると、この世には限界というものがないように思えた。
「これから先も、おまえがいてくれると思うと頼もしい限りだ」
沈みかけた日の光で、普段は色白い佳水の顔がほんのり紅く見えた。
「なんだ、照れてるのか?」
からかうように言うと、
「照れてなどおりません」
と言って、佳水はそっぽを向いた。おまえも照れることがあるんだなと声に出して言いたいのをぐっと堪えて、
「そろそろ宿へ戻るか。今夜はうまい酒でも飲もう」
と誘った。
「それはいいですね。その前に、明日の打ち合わせもいたしましょう」
「準備は全て整っているのに、なにを打ち合わせることがあるんだ?」
「そうですね、まぁ念のために、でしょうか」
一拍置いてから、
「啓史様の代理として粗相のないようになさってくださいね」
と、浮ついた荒人の心を諫めるように佳水は付け加えた。
「分かっているよ。きっちりやるさ」
荒人の表情が引き締まった。その辺は荒人も十分に承知している。大事な仕事を任せてくれた父の期待に応えねばならない。二人は宿に戻り、任務の内容を確認した。そして少しの酒を飲み交わすと、早めに寝床についた。
 翌朝、軽く腹拵えをしてから身支度を整えた二人は官府へ向かった。辺りはまだ薄暗く少し肌寒いが、すでに大通りには多くの人が活動を始めている。官符が近づくにつれて、荒人の表情は硬くなっていった。まだ若く経験の浅い自分を官人や役人はどう見るだろうか。必要以上に大きく見せる必要はないが、毅然とした態度で臨まねばならない。
 そんなことを考えていると、あっという間に目的地が見えてきた。遠い記憶に残る建物はやはり、とてつもなく大きい。圧倒されながら歩を進め、「巳玄国太政官符」の文字がはっきり見えるところまで来ると足を止めた。目の前に立ちはだかる赤胴色の正門は背丈より何倍も高く、見上げると首が痛い。左右へ視線を動かすと、塀の先にあるはずの終点が見えなかった。
「中に入るのは初めてですか?」
一定の間隔を空けて配置された衛兵たちが石像のように動かない様に目を奪われながら、荒人は頷いた。
「あぁ、初めてだ」
「では、まいりましょう」
門をくぐる前にひとつ、荒人は深呼吸をした。
 郡司の代理人として、荒人は丁重にもてなされた。空のように高い天井に彫られた鳥と蛇に睨まれながら廊下を歩いていくと、左奥にある大広間へ通された。
 壁にかけられた墨絵を見ていると、白髭を生やした初老の男が入室した。荒人は巳玄特有の敬礼をし、明瞭な声で挨拶を述べた。こうして、官人最高位である大官との会談が始まった。
(これからは次期国司として、少しずつ官人との連携を深めていかなければ)
これまで、父の補佐をしながらいくつかの業務に携わってはきたものの、まだまだ未熟者である自身の立場を正しく認識している荒人は、身の引き締まる思いで大官と向き合った。
 全ての仕事を終えて官府を出たのは、落日が空を赤く染め始める頃であった。
「いかがでしたか?初めての官符は」
荒人は歩きながら押し黙った。どうだったかと問われれば、圧巻だったと言うほかない。建物の規模、建築技術、品の良い装飾品の数々、そして、そこで働く人々の聡明さ、礼儀正しさ、勤勉さ・・・。すべてが想像以上のものだった。これが、巳玄という国なのだ。
「良い経験になった」
短く答えると、佳水は全てを見通したように満足げに頷いた。荒人は茜色の空を眺めた。
「もうこんな時刻か。そろそろ那祁家へ戻らないと。おまえも一緒に来てくれるか?」
そう言うと、佳水は一瞬驚いた顔をした。
「ご一緒してもよろしいのですか?」
「あぁ。早くおまえを紹介したくなった」
「光栄です」
佳水の頬がかすかに緩んだことに、荒人は気づかなかった。
 宿へ戻り馬に跨ると、二人は那祁家を目指し、十六夜の月が映し出される道を駆け抜けた。
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