五、巳玄を統べる者(2)

文字数 2,118文字

 実際、その可憐な容姿からは想像もつかぬほど、佳水は根気強かった。嫌がる荒人にぴったりと付いて回り、追い払われても足蹴にされても、一向にひるまなかった。
「いいかげんにしろ!うっとうしいやつめ!」
荒人が怒りをぶちまける。
「これが私の務めでございますので」
「おまえの務めはなんだ?俺の付き人だろう!それなら、言うことに従え!」
「私の雇い主は啓史様であり、荒人様ではございません。私はあくまでも啓史様のお言葉に従うまででございます」
「うるさい、うるさい!俺は付き人なんていらない!」
「お言葉ですが、荒人様は作法において、まだまだ未熟な面が見受けられます。斎海(さいかい)家の名に見合う礼儀作法を身に着けて頂く必要があります」
幼いころから那祁(なぎ)家に入り浸っていた荒人は巴慧と同様に自由奔放に育った。黎明も啓史も、幼いうちは良いかと好き勝手にさせてくれたのだ。
「俺が行儀悪いって言うのか!」
「その通りでございます」
無表情で飄々と答える佳水の頬を平手打ちにした。雪のように白い頬が赤く染まった。
「俺の行儀が悪いなら、巴慧の行儀も悪いってことになるぞ!おまえは、那祁家まで侮辱するのか!」
佳水はひるまなかった。
「那祁家の巴慧様も正しい作法を身に着けるため、今は専門の者がついております。巴慧様に遅れをとってもよろしいのですか?いつの日か再会する日がやってきましょう。そのとき、巴慧様はご立派に成長されているのに、荒人様は無様で野蛮なまま。そんな姿をさらすことになってもよろしいのですか?」
荒人は豆鉄砲を食ったような顔で口をつぐんだ。しばしの間、にらみ合いが続いた。
「俺は、そんなに作法がなってないか」
「なっておりません」
「この!」
思わず振り下ろした右手を、赤く腫れあがった左頬の寸前で止めた。佳水は瞬きもせず、一歩も動かなかった。真っすぐに荒人の目を見据えている。
「はぁ」
手を引っ込めて、荒人は大きなため息をついた。
「わかったよ。そこまで言うなら、俺を立派な男にしろ。おまえがだ!俺を誰の目から見ても、文句のつけようのない男にしろ!」
「畏まりました。精いっぱい、務めさせていただきます」
そう言うと、佳水はかすかにほほ笑んだ。それは、荒人が初めて見る顔だった。
「なんだ、おまえ笑えたのか。お面みたいな顔しかできないのかと思っていたぞ」
「笑えない者など、この世にいるのですか?」
いちいち癪に障る言い方をするやつだ。
「おまえ、俺のことを馬鹿にしてるだろ」
「馬鹿になどしておりません」
「では、尊敬しているか?」
「特に尊敬もしておりません」
「正直なやつだな」
「人は敬われる逸材となって初めて、人から敬われるものです。今の荒人様に、敬われる要素がありますか?」
「ない!その通りだ。一切ない!今はまだ、な。でも、これから敬われる男になってやる。おまえに認めさせてやる。いつの日か、おまえに尊敬される男になってやるからな」
「そうなれば、本望でございます」
荒人は口を大きく開けて笑った。
「はっはっは!なかなか面白いやつだな!良い、これからずっとそばにいろ。どこへまでも一緒に来い!」
「はい、地の果てまでも」
ふたりは見つめ合うと、照れくさそうに笑った。
 佳水は厳しかった。想像していたよりも厳しかった。しかし、荒人は学問、武術、そして作法、すべてにおいて誰からも認められる男となるべく懸命に励んだ。巴慧と会う日に恥ずかしい姿を見せたくはない。誰よりも巴慧のために、彼女に認めてもらえるために、そう思えば苦しい鍛錬の日々も乗り越えられた。そして、齢十五のときに官人登用試験に合格した。十代での合格者としては、佳水に次いで二番目の快挙となった。この偉業を誰もが口を揃えて誉め称えた。しかし、何よりも、「まぁ、とりあえず、学問においては人前に出しても恥ずかしくない男になりましたね」と涼しげに言う佳水の言葉が嬉しかった。
「とりあえず学問においては、ですが」
「なんだその、とりあえず、というのは」
素直じゃないやつだ。こんなときぐらい、よくやりましたねと涙を流して言えないものか。
「まぁいい。人生において、ここで終了という上限はない。邁進するのみだ」
「それでこそ荒人様にございます。これしきで満足してもらっては困ります」
嬉しそうに佳水は頷いた。
 宿を出て、佳水が行きそうな店を探しながら歩く荒人の足取りは軽かった。
「そうですか、それはよかったですね。おめでとうございます」
その言葉を早く聞きたい。懐かしい比永の街に着いた途端、早く佳水と巴慧を会わせたくてたまらなくなった。これが私の妻になる人だと、これが私の最も信頼する友だと・・・。
 荒人の浮きたつ心を映し出したかのように、比永の街も春の活気に包まれていた。何度も何度も巴慧と通ったこの街には、荒人にとって宝物のように大切な思い出が詰まっている。足を止めて目を閉じると、あの頃の風景や街並み、人が行き交う様が色鮮やかに蘇ってきた。ゆっくりと瞼を開けると、そこには変わらぬ街並み、そして変わらぬ人々がいる。変わらないということに心からほっとした。変わらないということは、平和であるということ。大切なものは変わらない。自分も、巴慧も、この街も。
 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み