三、予期せぬ来訪者(2)

文字数 2,653文字

 突然に尋ねてきた二人の男を見た医者は胸騒ぎを覚えた。街の外れの古い診療所へやってくる者としては身なりが良すぎる。身分の高い者も来るには来るが、この二人は明らかに種類が違う。役人、いや、高官か。
「どのようなご用件でしょうか」
疚しいことは何もないのに、つい身に力が入る。
「ここで立ち話もなんですので、差し支えなければ、中へ通していただけますか?」
柔らかい物言いだが、その口調に有無を言わせぬ圧力を感じた。
「どうぞ」
断るわけにもいかず、医者は二人を中へ通した。
「率直にお尋ねしますが、巴慧という娘をご存じですね?」
診察室に通されるや否や来訪者が切り出した。あまりに断定的な言い方に医者は面食らったが、来訪者は涼しい顔で答えを待っている。しばらくの間、ふたりは腹を探り合うように見合った。判断を誤らぬよう、医者は慎重に言葉を選んだ。
「存じておりますが、それがどうかしましたか?」
隠したところで、いずれはばれる。真実を述べた方が賢明だと思い、そう答えた。
「こちらに来ていないかと思いまして。先生は随分と親しくされているようですから」
またもや断定的な言い方だ。全て把握済みだと言わんばかりの物言いに、眉間の皺がより一層、深くなった。
「確かに親しくしておりますが、こちらへは来ておりません。失礼ですが、お名前を窺ってもよろしいでしょうか」
「これは失礼いたしました。私、佳水と申す者でございます。こちらは巴慧さんの幼馴染で、名を荒人と申します。以後、お見知りおきを」
荒人という名に憶えがあるのだろうか。医者は片方の目を僅かばかりに見開いた。
「幼馴染の方がなぜ私のところに?」
その問いかけには答えずに、佳水は室内を見回した。質素な寝台が二つと、薬を保管する棚があるだけの粗末な部屋だ。どうやら贅沢や見栄を張るのが嫌いらしい。その面では気が合いそうだ。
「巴慧さんは頻繁にここへ来ていたようですが、いつも何をされていたのですか?」
荒人は佳水の表情を横目で窺った。先ほどから随分と断定的な発言を繰り返している。戸口で医者が見せた表情の些細な変化には荒人も気づいていたが、佳水はいったい何を見ているのだろうか。
「ええ、お連れの女性とともに、よく来てくれましたよ。針の治療をしたり、他に患者がいないときは雑談をしたり・・・。医学書を読んだりすることもありました」
嘘である。無論、すべてが嘘ではない。医学書を読みたいというので、読みやすいものを選んでやったこともある。付き人に針の治療をしてやったこともあった。だが、ほとんどの場合はそっと裏側の戸を開けてやり、こっそりと抜け出す手助けをしてやった。付き人の女性、名を与佐子と言ったか、彼女も気付いていながら目を瞑っていた。「私、奥で本を読んでるね!」という巴慧の言葉を、「はいはい」と言って見逃していた。比永は治安が良い。ひとりでこの辺りを散策しても特に危険はないと思っていたのだろう。
(嘘だな)
医者の言葉を聞いた佳水は思った。比永へ来るたびに針の治療を受けるはずがない。一か所にじっとしていられない巴慧の性格を思えば、およそ考えにくいことである。
「ここをすべておひとりでされているのですか?」
医者が「そうです」と短く答えた。
「助手もおられないと?」
ごまかしても、どうせすぐに突き止めるだろう。正直に答えることにした。
「ひとり、助手見習いがおります。まだ十四の子供ですが」
その後も佳水は、はたから見ればどうでも良いと思うようなことを次々と質問した。
「失礼ですが、このような時刻に探しておられるということは、巴慧さんの身に何かあったのでしょうか?」
暗に二人の非常識なふるまいを咎めつつ尋ねた。
「二日前から行方が知れないのですよ」
平然と隠さずに言う佳水を荒人が睨みつけた。
「さらに悪いことに、とある化け物も失踪中です」
さすがにまずい。荒人が左肘で佳水を突いた。
「化け物、ですか?」
医者の表情に困惑の色が滲んだ。
「心当たりはありますか?」
どういう意味だろうか。
「巴慧さんのことですか?」
「いいえ、どちらもです」
ふたりはまた見合った。
「先ほども申し上げましたが、ここへは来ていません。巴慧さんに最後に会ったのは先月です」
佳水の切れ長の目がじっと医者を見つめた。
「行方知れずとは、どういうことですか?家出ですか?それともまさか、誰かに攫われたなんてことは・・・」
「詳細は分かりません」
「どなたか、知人のところにいるのでは?」
「ですから、こうして探しているのです。先生も知人のおひとりですから」
「お二人だけで探しているのですか?もっと人手が必要では?」
状況を探ろうと医者は次々に質問した。
「軍が捜索に当たっています。明朝には、この街にも捜索の手が及ぶでしょう」
軍という言葉を聞いて、背筋に冷や汗が流れた。
「軍が、ですか?なぜ、そこまでして?」
困惑する医者に佳水は冷ややかな視線を向けた。
「巴慧様がどういう方か、ご存知なのでは?」
生唾を飲み込む音がした。軍が捜索に駆り出されるほどの身分とくれば、その血筋は限られてくる。
「もし、こちらを頼ってこられることがあれば、ぜひともお知らせください」
周りのあらゆる音が遠のいていった。「これをみんなの薬代にして」と言って、いつも質の良い着物や装飾品を持ってきた姿がちらつく。
「あぁ、そういえば、もうひとつお聞きしたいのですが」
そろそろ失礼しますと言って、戸に向かって歩いていた佳水がふと足を止めた。
「この辺りに質屋はありますか?良い値で買い取ってくれる店があれば、教えて頂きたいのですが」
予想外の質問に医者は動きを止めた。質屋と聞いて、ぎくりとした。
―先生、悪いけど、今日は休んでもいい?
今朝、診療所で交わした会話が蘇る。何をするんだいと訊いたら、「ちょいと物を売りに行くのさ」と言って笑っていた。
「質屋・・・、ですか。あいにく、あまり縁がないものでして、よく知らないのです」
「そうですか。いえ、それならけっこうです」
佳水は朗らかに言うと、表情の読み取れない微笑を浮かべた。
(この男は質屋も調べるつもりだ。だが、この街に質屋はごまんとある。どうやって調べるつもりだ?)
ざわざわと胸の中で蠢く感情を悟られないように笑顔を作った。この男たちに早く帰ってもらいたかった。
「夜分遅くに、失礼致しました」
丁寧に一礼すると、二人は去っていった。そっと閉めた戸にもたれ掛かりながら、天井を見上げた。心を静めようと呼吸を繰り返したが、いつまでたっても冷や汗は止まらなかった。

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