一、息、潜める(2)

文字数 1,860文字

 また一理がやって来て、二人の体がしっかりと固定されているのを確認すると、満足げに頷いた。
「さっきよりは良い表情になったじゃねぇか」
「うるせぇよ」
ぷいっとそっぽを向くと、視線の先に仁の姿が映った。相変わらずの表情で腕組みをしている。その姿を見た途端に胃に痛みが生じ、全身の筋肉が強張った。せっかく緊張がほぐれてきていたのに、また逆戻りだ。カイリは空を見上げた。

「仁が一緒に行くからな。ちゃんと従えよ」
洞窟を出る少し前に、そう告げられた。
「は?どういうこと?」
「言葉通りだ。仁が一緒に行くから、ちゃんと言うこと聞けよ」
「ちょっと待てよ!おまえらは?」
「俺らは別行動だ」
「なんでだよ!おまえらも一緒に行くんじゃねぇのか?」
当然のように全員一緒に行くものだと思っていたカイリは声を荒げた。
「一緒に行けるわけねぇだろ?誰が兵士様の相手すんだよ。俺と善が敵の動きを封じるから、その隙にお前らは山を切り抜けろ」
「俺たち三人と、仁の四人でか?」
そう口にした瞬間、あの忌々しい光景がまたもや蘇った。冗談じゃない。
「やだよ!みんな一緒じゃなきゃ、だめだ!」
異議を唱えたが、「大丈夫だ、こいつを信じろ」と頑なに言い張る一理に、結局は言い包められてしまった。  

 馬上から恐ろしい魔物を見るような目つきで仁を見ていると、
「そんな目で見てやるなよ」
と言って、善が少し困ったような笑みを浮かべた。
「大丈夫だよ。仁は俺たちの中で一番、夜目が利く。安全な道を選んで誘導してくれるから」
そんなことを言われても、怖いものは怖い。そう思っていると、
「しかも」
と言って、善は声を潜めた。
「あいつはめちゃくちゃ強い」
カイリは僅かに眉を持ち上げた。
「一理よりもか?」
「そうだなぁ。本気でやり合ったことはねぇけど、同じぐらい強いはずだ」
そう囁くと、善はいたずらっ子のような顔で片目を瞑った。
「一理には内緒だぞ」
カイリはくすりと笑った。
(善が一緒に来てくれたら良いのに)
心の声がそのまま顔に出てしまうカイリは縋るように善を見た。
「なぁ、善が一緒に来てくれよ。いいだろ?」
虚勢を張っていても、まだ十五の子供だ。不安に感じるのも無理はない。懇願するカイリを善は優しい目で見上げた。
「大丈夫だ。仁を信じろ」
明らかに落胆した表情を見せたが、カイリは何も言わなかった。
 やわらかく微笑むと、善は馬の首に額を当てて目を閉じた。そのままじっとしていたが、「よし」と言って目を開けると、それに応えるように馬がぶるんと鼻を鳴らした。
「馬に話しかけてんのか?」
「ま、そんなもんだ」
詳しい説明はせずに馬の首を優しく撫でると、善は琉星の方へ歩み寄った。すでに乗馬している巴慧に向かって、「美しい馬だな」と言ってから、同じように首に額を当てて目を閉じた。琉星は耳をぴんっと立てていたが、善が目を開けると嬉しそうに鼻をすり寄せてきた。
「良い子だ」
光が差し、(たてがみ)を撫でる善の顔が茜色に染まった。
「仁が誘導してくれるから、安心してついていけよ。カイリも一新もいる。大丈夫だ」
「はい、わかりました」
巴慧は頷き、じっと善の顔を見た。不思議と、心を乱していた荒波が消えていくような気がする。
「万が一のときは、この馬が守ってくれる。嬢ちゃんは身を任せるだけでいい。安全なところまで、この子が必ず連れて行ってくれるからな」
その言葉を聞いた途端に胸がいっぱいになった。今朝、初めて会ったばかりの琉星が、まるで何年も共に旅をしてきた相棒のように感じる。それは、今まで感じたことのない不思議な感覚だった。
「ありがとうございます」
そう言うと、巴慧は琉星の鬣に額を当てて目を閉じた。
 空を見上げていた一理が口を開いた。
「そろそろ行くか」
「そうだな」
善が頷く。
「んじゃ姫さん、また後でな。カイリ、ちびんなよ!」
そう言い残すと、一理はあっという間に黒々とした木々の向こうへ行ってしまった。
(つくづく、せっかちな奴だな。善を置いて、ひとりで行っちまった)
カイリは呆れた。しかも、ちびんなよとは何事か。聞き捨てならん。うっかり口を開こうとしたカイリを、善が「しーっ」っと人差し指を口元に当てて窘めた。
「こっからは極力、声を出すなよ。合流するまで二人を頼んだぞ」
「わかった。任せろ」
カイリは大きく頷いた。つい先ほどまで震えていた指先が、今はしっかりと手綱を握っている。
「じゃあな」
「あぁ、またあとで!」
その力強い声は風に乗って、先を行く一理の耳にも伝わった。
(ったく、いっちょまえに)
笑い声を漏らしながら、一理は速度を上げた。
 
 
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