三、迫られる選択(3)

文字数 1,712文字

「だが、少しでもおかしなことをしてみろ!すぐに大声で兵士を呼ぶからな!」
本音を言えば、こんな得体の知れない奴らを巴慧の元へ連れて行きたくはない。帯の下に隠してある物の形を指先で確認し、目の前の男を馬上から睨みつける。
(いざという時は、この短刀で・・・)
そんなカイリの覚悟を知ってか知らずか、一理は朗らかに言った。
「そうこなくっちゃな!そうと決まったら行くか!」
思いつめた表情で手綱を握るカイリの後ろにぴょんっと飛び乗ると、一理はその小さな体を抱きかかえた。そして、馬の背を蹴った。
「うわあああ!」
悲鳴を上げるカイリの体は一気に上昇した。虹のような曲線を描きながら飛ぶ姿は遠くから見れば優雅かもしれないが、実際は胃が浮き腸がひねられる不快極まりないものだ。心臓に悪すぎる。カイリは一理の胸を叩いた。
「下ろせ!俺は馬で行くんだ!馬、俺の馬ー!」
「心配すんな。馬は善が連れてくる。おまえより、よっぽど速く駆けるぜ。ほらあそこ」
一理が指差す方を見下ろすと、善が馬に乗って山道を駆けている。速い。カイリが乗っていたときとは比べ物にならないほど馬が駿足になっている。
「どうなってんだ?」
「馬ってのはな、ちゃんと使ってやんねぇと真の実力を出し切れねぇのさ。見ろよ、水を得た魚みてぇに駆けてるだろ。あれが真の姿だ」
一理は左前方にある大樹の枝に飛び乗り、すぐさま数本先の木に飛び移った。
「おい、娘はいたか?」
風を切り分けながら呟く一理をカイリは不思議そうに見つめた。
「なんて言った?」
「おまえには言ってねぇよ」
一理は苦笑した。
(おまえには言ってねぇって、じゃなんだ?独り言か?なに言ってんだ、こいつ)
いよいよやばい。やはり、相当に頭のおかしい男だ。そう確信したとき、
「よし、分かった。仁、見えるか?」
と、またもや一理は小声で言った。仁、と言ったか?カイリは耳を疑った。
「あいつらとしゃべってんのか?」
一理は横目でカイリを見ると、にやりと笑った。
「随分と余裕あるじゃねぇか。さっきまでは怖い怖いって泣いてたくせに」
「泣いてねぇだろ!いつ泣いたんだよ!」
「あー、うるせぇ。耳元で喚くな」
一理はあからさまに嫌な顔をした。
「おまえが悪いんだろ。適当なことばっか言うから」
ぶつくさ言うカイリの表情は落ち着いている。空中飛行に慣れてきたらしい。一理を信用したわけではないが、いきなり手を放して突き落とすようなことはしないと、なんとなく思っているのかもしれない。瞬きをする度に様変わりしている景色を見ながらカイリは言った。
「空を飛ぶって、こんな感じなんだな」
「まぁな。だが、鳥はずっと飛んでいられるからな。あいつらが見ている景色は、また違うんだろうと思うぜ。どうだ、気持ち良いだろ」
カイリは上を見た。空が近い。光を浴びる木々もずっと彩り豊かに見える。身体が浮き、風を切り開いていく感覚は、確かに気持ちが良い。
「なんで、おまえらは飛べんだ?」
「なんで、おまえらは飛べねぇんだ?」
普通は飛べねぇだろ!そう言いかけたが、一理の表情がぴくりと動いたので口をつぐんだ。
「お、見つけたか」
狼のような目が光る。一理は大樹の幹を右足で蹴り、反対方向へ飛んだ。急旋回に胃がねじれる。
「他に誰かいるか?」
一理の口元に耳を近づけて、風にかき消される言葉をなんとか拾おうとする。
「よし。おい、カイリ、娘の名を呼んでやれ」
ほとんど口を動かさずにぼそぼそと小声で話していた一理が、カイリに対しては明瞭な口調で言った。
「名を呼んでやれって、ここからか?だめだよ。兵士が潜んでたらどうすんだよ」
「娘と小僧以外は誰もいねぇから大丈夫だ。善が言うんだから、間違いねぇ」
カイリは狐につままれたような顔で一理を見た。いくら目を凝らして探しても、善と仁の姿は見えない。なのに互いの言葉を聞き、会話をしているというのか?カイリにはとても信じられなかった。
「いきなり目の前に現れたらびっくりさせちまうだろ。ほら、名を呼んでやれ」
「絶対に誰もいないんだな?」
「さっきそう言った」
「わかった」
カイリは大きく息を吸い込むと、腹の底から声を張り上げて幼なじみの名を呼んだ。そして声の限りに、その名を呼び続けた。

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