三、迫られる選択(2)

文字数 2,883文字

「おまえ、名は?」
狼男が尋ねた。カイリは少し迷ったが、「カイリ」と名乗った。
「おまえたちはなんだ?どうやったら、木の上から一瞬でこんなところまで来れるんだよ。なんで俺を連れてきた?」
「なんでって、そりゃあいたいけなガキ、いや、少年が危険な目に合ってたら、助けるのは当然だろ?おまえ、あいつらに追われてたんだぜ」
嘘くさい。何か裏があるに決まっている。鼻に皺を寄せながら、疑念に満ちた目で三人を睨む。
「そんな、いかにも疑ってますって顔で見んな。べつに取って食いやしねぇさ」
「俺は名前を教えたんだ。おまえらも名乗れよ」
「どうすっかなぁ。俺は滅多に名を教えねぇ主義なんだ」
めんどくさい。カイリはげんなりした。
「どうせ憲兵にでも追われてんだろ?だから名を明かせねぇんだ。そんなこったろうと思ったぜ、その悪人面」
そう噛みつくと、
「悪人面か。間違いねぇ。小僧、その通りだ」
と、長髪が楽しそうに笑った。むっとした顔で仲間の脇腹を小突くと、男は早口でまくしたてた。
「このへらへらした長髪野郎が善だ。耳が良いことだけが売りの、しょうもねぇ奴だ。そんで、その片目むっつりが仁。目が良いこと以外は特に取り柄はねぇ」
ハハハと愉快そうに善が笑った。仁は無表情のまま、ふんともすんとも言わない。カイリは訝しげに二人の顔を見比べた。
「で、おまえは?」
偉そうに腕を組んでいる男に尋ねると、
「俺か?俺は一理(いちり)だ」
と名乗った。
「ふーん。名前が分かったところで悪人面なのは変わんねぇけどな」
カイリはそっぽを向いた。こうも警戒されると、正直やりづらい。一理は咳払いしてから、こう言った。
「で、おまえはこんなところでぐずぐずしてていいのか?旅の途中だったんじゃねぇのか?」
あっ!とカイリは口を開けた。
「そうだった!こんなことしてる場合じゃねぇんだった!」
想像通りの反応を示すカイリを見て、善はくるくると動き回る二十日鼠を思い浮かべた。
「早く行かなくちゃ!俺のバカ!」
あまりに非現実的な出来事に見舞われたせいで、巴慧に追いつくという当初の目的がすっぽりと頭から抜け落ちてしまっていた。慌てて馬によじ登ると、男たちに向かって、
「どうも助けてくれてありがとう。礼は言ったぜ!もう関わってくんなよな!」
と言って、馬を発進させた。が、すぐさま一理が目の前に立ちはだかり、行く手を阻んだ。言った尻から関わって来るとは、けしからん奴だ。
「なんだよ!急いでんだから邪魔すんな!」
「おまえ、黒い馬に乗った娘を追ってんだろ?」
カイリは目を見開いた。
「なんで知ってんだよ」
「見かけたからな、山中で。わりと近くにいると思うぜ」
「見かけたって、どこでだよ。なんで俺が追いかけてることを知ってんだよ」
こいつはやばい。カイリの頭の中で警鐘が鳴り響いた。
「そうかりかりすんなよ。取って食いやしねぇって言ってんだろ?」
一理はぽりぽりと頭を掻いた。無駄に警戒心の強いガキだ。
「何が望みだ?何を企んでるか言え!」
「さっきの兵士が追ってんのは、あの娘なんだろ?」
予想外の指摘に、カイリはぐっと息を飲み込んだ。
「別に追われてない」
なんとか言葉を絞り出すが、一理はあっけらかんとした口調で言った。
「追われてんだろ?あいつら、おまえを追い越して先を急いでたじゃねぇか。もっと先にいる奴を追ってるってことだろ?」
更に、追い打ちをかける。
「しかもおまえ、さっきの連中で全部だと思ってるだろ。ところがどっこい、この辺の山はすでに軍に包囲されてるぜ。南へ向かう道も封鎖されてる。このままじゃ、あの娘が捕まるのも時間の問題だ」
真っ赤だった顔が一瞬の内に真っ青になった。巴慧を探しに軍がやって来るとは聞いていたが、心のどこかで嘘じゃないかと思っていた。だが、実際に兵士を目の当たりにすると、全身が震えた。これは只事ではないのだ。だが、この一帯がすでに掌握されているというのは本当だろうか。
(俺をつけてきてたなら、それまでは巴慧ちゃんがどこへ向かってるかはばれてなかったはずだよな。俺が比永を発ってから、まだそんなに経ってねぇのに)
真実かどうかを見極めるために、カイリは一理の表情を窺った。
「嘘じゃねぇぞ。今も続々と兵が集まってきてる。娘が南へ向かってることはもうばれてるからな。今や、この三鷹山とその周辺は軍の手中だ」
一理は断言した。
「で、どうする?おまえひとりが行ったところで娘を守れんのか?相手は軍隊様だぜ」
「何が言いたい」
「一緒に行ってやってもいいぜ。俺らなら、おまえも娘も守ってやれる」
「なんで見ず知らずの俺たちを守るんだよ。目的はなんだ?」
助けてやると言って近づいてくる奴ほど信用できないものはない。騙されねぇからな。カイリは三人を睨んだ。
「ったく、疑り深いガキだぜ。どっちでもいいんだぜ。軍の手に落ちるか、俺らと逃げ延びるか。二つに一つだ」
一理は水筒の水をひとくち飲むと、ぽーんと宙に投げてから掴んだ。しばらくの間、じっと一理を睨んでいたカイリだったが、突然に口を開いた。
「断る!」
一理はきょとんとした。まさか、断られるとは思っていなかったらしい。何度か瞬きを繰り返してから、はぁっと大きく息を吐いた。
「おまえなぁ、今の状況わかってんのか?まさに渡りに船だろうが。俺なら泣いて喜ぶぜ」
「泣いて喜ばない!」
少し離れたところで善が俯いて、ぷるぷると肩を震わせている。その横で、仁は大きなあくびをした。
「あーあ、かわいそうになぁ。ちらっと見ただけだけど、善良そうな娘なのになぁ」
むぅっと口を閉じていた一理だったが、やがてぶつぶつと独り言のように呟き始めた。
「何をしでかしたんだか。軍に追われるってよっぽどのことだぜ」
ちらりと横目でカイリを見る。
「強い用心棒がいれば話は別だけど、ガキと二人じゃなぁ。そこにもうひとりガキが加わったところで、結果は変わらねぇよなぁ」
はぁぁっと、先ほどよりも長い溜息をつくと、一理はカイリを見上げた。
「もたもた考えてる時間はねぇぞ。さっさと決めろ」
なんなんだ、こいつは。いきなり目の前に現れて、めちゃくちゃな光景を見せつけてきたかと思えば、次は一緒に行くかどうか早く決めろだなんて、いったいどういう神経してるんだ。
「どうすべきかは、明白なはずだぜ」
何が明白だ。どうすべきかなんて、分かるわけがないだろう。どう見ても怪しい連中の助けを借りるか、自力でなんとかするか。
(最悪の二択だ)
どちらも現実的ではないのだから、笑うしかない。
「今日中に頼むぜ。ここで夜を過ごすなんて、まっぴらごめんだからな」
「もー、うるさいな!」
カイリは押し黙った。頭の中で様々な可能性を想定し、どうするのが巴慧にとって最善か、どうすれば巴慧を守ることができるかを必死に考えた。
「十秒やる。いーち、にー」
「あーもー!わかったよ!」
「何がわかったって?」
けしかけるように一理が言う。
「分かったって言ってんだよ!」
こうなりゃやけだ。どうせ、ひとりで行ったところで何もできやしない。悔しいが、それが現実だ。
「俺たちに力を貸してくれ」
ぼそっと呟くと、一理の顔がパッと華やいだ。
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