七、カイリの覚悟

文字数 2,166文字

 先ほどから、山中が騒がしい。敏感な鳥や獣たちが数多の気配を察知し、神経を張り巡らせながら周囲を警戒している。
 その中で完全に気配を消し、兵士たちの様子をじっと窺う影がある。四半里ほど離れた木の幹にぴったりと張り付いているため、近くで羽を休めている鳥ですらその存在に気づくものはいない。だが、肌を覆い隠す黒い衣装とは対照的な鋭い眼光が、はるか下方で不穏な気配をまき散らすひとりの男に向けられている。
「これはいったい、何事だ!」
大きな声が容赦なく鼓膜を刺し、まるで耳元で怒鳴られたかのように仁は顔を顰めた。
 善と共に洞窟を出た仁はまず山を一周し、軍の包囲網がどの辺りまで及んでいるかを調べた。山麓を満遍なく取り囲む兵士たちの姿を確認してから先ほどの戦闘場所付近へ戻って来ると、到着したばかりと思わしき一隊が呆然とした表情を浮かべているのが見えた。だがすぐに、先頭にいた大男が顔を真っ赤にして怒鳴った。
「チッ」
うんざりした顔で仁は舌を打った。何故、こうも大声を出すのか。うるさいのは嫌いだ。拒否反応を起こし、思わず飛び立とうとしたが、なんとか思いとどまった。嫌々ながらも視線を戻して確認すると、先ほど一理と戦闘を交えた男が片膝をついたままの体勢で一部始終を報告している。
「ばかを言うな!そんな話、信じられるか!」
と、また大男が怒鳴った。
 仁はため息をついた。何が楽しくて興味のない話を聞かなくてはならないのか。近くに怪しい気配がないのを確認すると、やってられるかという顔で枝に腰を下ろし、気怠そうに息を吐いた。不本意だが、仕方ないので興味のない話を聞き続ける。片膝をついた兵士の丁寧な口調と大男の荒々しい口調が、まるで火と水のようだ。苛々しながらもなんとか話を聞き終えた大男は次に色白の若者のところへ行き、更に詳しく話を聞き出そうとした。その顔はますます赤みを帯び、まさに鬼の形相だ。
「極めて特殊な能力を持つ者たちです」
若者が言った。
(特殊な能力ねぇ・・・)
仁は頬杖をついた。どの辺りが特殊なのか、さっぱり分からない。物心ついた頃からこれが普通だったし、それをキテレツ異常者みたいに言われても、「なにが?」と言う感想しかない。
 しばらくすると蹄の音が近づき、数十人の部隊が到着した。それまで興味なさそうに眺めていた仁だったが、その面々を見ると、その表情が少しだけ変化した。あれも兵士なのか?槍を振り回していた奴らと比較すれば、ずいぶんと小柄だ。街中ですれ違っても、誰も兵士とは気づかないかもしれない。先ほどよりは興味をそそられて、仁は耳を傾けた。
(ふぅん、山岳兵隊か。初めて聞いたな)
なるほど、それで合点がいった。山岳兵と言うからには、山に特化した部隊なのだろう。山中を素早く移動するのにでかい図体は必要ない。身を隠すにも、小柄な方が好都合なことは多々あるはずだ。
 その後もしばらくは兵士たちの動向を注視していたが、突如として、兵士たちが声量を抑え始めた。色白の若者が何やら大男に耳打ちしていたが、それが原因のようだ。それまで大声で話していた大男までもが忍び声になっている。これでは音を拾えない。
(もう少し近づくか・・・)
そう思ったが、やっぱりやめた。これからどうするかについて話し合いが行われるだろうし、「なんで聞いてこねぇんだ」と一理に言われそうだが、盗み聞きしてまで作戦を知りたいとは思わない。

―さて、戻るか。

足に力を入れたとき、ぴりっという違和感が皮膚に広がった。
(なんだ?この気配は)
仁は目を閉じ、周囲の様子を探った。やはり、間違いない。突如現れた異質な気配が、この一帯に散らばっている。その正体を探るため、更に聴覚の感度を上げた。数は二十、いや、三十といったところか。気配を殺してはいるが、かすかな呼吸音が聞こえる。ざっと辺りを見回したが、木々に隠れていて姿は確認できない。新たな部隊か?いや、そもそも兵士なのか?明らかに気配が異質だが・・・。
(さて、どうしたものかな)
仁はまたもや溜息を吐いた。近くまで行って、正体を突き止めるか、このまましばらく様子を見るか・・・。
 結局、そのどちらも選ばなかった。急激に腹が減って来たのだ。こうなると、もう他のことには一切集中できない。いかに速やかに空腹を満たすか、それ以上に重要はものはない。そう確信し、仁はその場を離れた。
 
 洞窟に戻ると、一理がごろんと寝そべって仮眠を取っている。ピキピキと無表情な仁の額に血管が浮かび上がった。気持ちよさそうな寝息が癇に障る。石を掴んで投げると、見事に顎に的中した。
「てめぇ、やりやがったな!」
一理が飛び起きた。投げ返される石を掴み、すぐさま投げ返す。だが、今回は命中する前に避けられてしまった。
「くらえ!おまえも顎で受け止めろ!」
一理が石と呼ぶには大きすぎるものを掴み、ぶんっと投げてきた。あほか、こんなものを顎に食らえば、骨が砕けるだろうが。仁は飛んでくる石をパシッといわせながら手で受け止めると、ぽいっと後ろへ放り投げた。一理の幼稚な喧嘩につき合ってられるか。今はとにかく腹が減ってるんだ。
 仁の表情を見ると、一理は即座に事情を察した。
(腹が減ってんだな)
ったく、とたんに不機嫌になりやがる。困ったもんだぜと、一理は心の中で文句を言った。
 
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