四、張り巡らされた罠(2)

文字数 2,799文字

 時は遡り、カイリが出発する少し前。
 待機場所の平地で腕を組みながら空を見上げていた治平の元へ兵士が参じ、状況を報告した。
「街の至るところでそれらしき娘を見たと申す者がおり、埒が明きません」
「どういうことだ」
兵士は表情を崩さずに答えた。
「どの者も、『はっきり覚えている、間違いない』と言い張り、詳しく話を聞けば、娘の背格好や顔つきも一致しております。しかし、目撃地が異なっており、そのすべてに赴き調査しておりますが、明確な手がかりは掴めておりません」
街中での捜索を開始してから一刻あまりが過ぎている。なるほど、と治平は思った。通常なら街中で聞き込みをしても心当たりがあるという者は少ない。ましてや、姿形を細かく記憶しており、自信を持って「見ました」と断言する者は滅多にいないものだ。にも関わらず、多数の者が「見た」と証言している。この数日は祭りが行われていて、通常時より目撃情報を得るのが難しいにも関わらずだ。
「意図的に、そうしているということか」
治平は腕を組み直し、にやりと笑った。
「ほかに、おかしな点はあるか」
兵士は少し考えた。
「街中ではこのようなこともあるかとは思いますが、やたらと声をかけられます。子供に囲まれてなにやら手を貸してほしいと言われたり、商人がしつこく高価な品を売りつけようとしてきたり、捜索の邪魔をされた者が多数おります」
やはり偶然ではない。商人や町人の恰好をしていても、体格や風貌で兵士と気づく者もいるだろう。兵士が街に紛れ込むことを事前に察知していたとすればなおさらだ。
(連中め。軍をおちょくるつもりか?)
クククと口角から笑いが漏れる。けっこうなことではないか。遊ぶのは嫌いではない。ちょいとばかし、お遊びに付き合ってやろうか。
「このまま捜索を続けろ」
そう命じると、治平は苦笑した。
「とは言ってもなぁ、ずっと遊んでるわけにもいかねぇからなぁ」
 しばらく待っていると、別の兵士がやって来て状況を報告した。だが内容は先ほどと大差ない。このまま捜索を続けていても大きな成果はあげられそうにないか・・・。治平は一旦、兵士を呼び戻すことにした。
「すでに比永を発ったのでしょうか」
部下が問いかけた。
「だろうな。だが、そろそろ動きがある頃だ」
治平は顎ひげを撫でながら眼光の鋭い目を右斜め上へ向けた。
 
 突如、街から兵士たちが引き上げていくのを見た「娘の目撃者」たちは焦った。まさか、もう娘を発見したのか?それとも、すでに娘が比永にはいないことを突き止めたのだろうか。去ろうとする兵士をひとりの男が呼び止めた。
「お兄さん!探してた娘さんは見つかった?」
村人に扮した兵士が渋い顔で首を横に振る。
「いんや、まだです。けっこう探したけどね。多分、先に村に帰っちまったんだと思います。もしはぐれたら別々に村へ戻ろうって言ってたんで。なんで、私ももう帰るところですよ。ちょっと目を離した隙に見失っちまったけど、こんな大きな街では見つかりっこねぇですな」
村人特有の訛りで話す兵士の顔を訝しげに見つつ、男は続けた。
「それは大変だったねぇ。ついさっき、そこで近所の男に会ったんで聞いてみたら、『そういえば少し前に、馬に乗って北の方へ向かう若い娘を見た』って言うんでね。特徴を聞いたら似てたんで、ちょっと教えてあげようと思って」
「わざわざ聞いてくださったんですか。そら、ありがてぇことです」
そう言いながらぺこぺこと頭を下げると、兵士は首を傾げた。
「けど、北ですか?おかしいなぁ、村とは逆の方向だ」
「お兄さん、どっから来たの?」
「ずっと南に行ったとこにある小さな村です。妹がどうしても祭りが見たいってんで、はるばる比永まで来たんですよ」
そう言われてみれば、南方特有の訛りだ。
「そいつが言うにはね、十七、八ぐらいの可愛い子で、随分と目立ってたらしい。背も高くてね、それで記憶に残ったみたい。お兄さんの妹さんも背が高いんだろ?だから、もしかしたら同じ人かなと思ったんだけど」
男は兵士の顔色を窺がいながら言った。
「そうですか。確かに妹の特徴に似てっけど、北へ行くわけはないんで人違いでしょうなぁ」
残念そうな顔で、兵士は「うーん」と唸ってみせた。
「ま、そのうち帰ってきますよ。しっかりした子なんで、大丈夫です」
朗らかに言うと、兵士は軽く頭を下げた。そのまま通りを歩いていったが、いつまでも背中に刺すような視線を感じていた。仕方なく遠回りをしてから南門まで行き、尾行されていないのを確認してから街を出た。
 集合場所に着くと、すでにほとんどの兵士が戻り、着替えをすませていた。手短に報告すると、話を聞いた兵士たちは笑いを堪えた。先ほどから、ひっきりなしに「北へ向かって出発する娘を見た」という証言が治平の元へ寄せられている。すべて同じでは不自然になると思ったか、中には東や西へ行ったという証言もある。
「どうしても北へ行ってほしいようだな」
兵士たちは苦笑いした。あの手この手で捜索を撹乱させようとする努力が実に涙ぐましい。
「つまり、南へ向かったってことか?どうせなら北へ行ってくれよ」
治平は舌打ちした。比永から北へ行けば雷虎の国境がある。「娘の目撃者たち」がしきりに北へ向かったと口を揃えるのも当然だ。人が温厚で治安も良く、巳玄の人々にとって最も訪れやすい国だからだ。娘の次の行き先として治平が真っ先に思い浮かべたのも雷虎だった。距離も近く、ただ平坦な道を進めばいい。
(ただなぁ。一筋縄ではいかない、とんだおてんば娘らしいんだな、これが)
あからさまに面倒くさそうな表情を浮かべる。
「しかし、南西には那祁家の邸宅があり、近くには軍の本部もありますが」
ひとりの兵士が疑問を呈した。
「まぁ、普通は避けるだろうな」
「では、南東へ向かったのでしょうか」
それも考えにくい。小さな村がぽつぽつとあるだけで、目ぼしいものが何もないからだ。他の街へ逃げ込んだとしても、巳玄軍の兵士はどこにでもいる。国内にいる以上、娘にとって安全な場所はどこにもない。となると、他国へ逃げるつもりか?このまま真っ直ぐ南下すれば鷹月へ辿り着くが・・・。
 治平が考えを巡らせていると、街の西側に位置する川の辺りで狼煙が上がった。色を確認した治平はゆっくりと顎髭を撫でた。
「南へ直進、か」
やはり、鷹月まで逃げる気だ。だが、これで範囲が狭まった。
 出発の号令をかけると、治平は街の方を見やった。にやりと片方の口角だけ持ち上げて、馬に跨る。
(北へ行ってほしいんだろ?お望み通り、北へ向かってやるよ)
 治平は兵を引き連れて右前方へ迂回すると、街の近くまで馬を走らせた。そして、見せつけるようにして北へ通じる道を駆け抜けた。
(どうせなら、おちょくる方が楽しいよなぁ)
これを見て、軍は北へ向かったと喜ぶがいい。
「すぐに追いつく」
治平は川沿いにいる部下へ向けて、狼煙を上げた。

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