四、張り巡らされた罠

文字数 3,396文字

 老街の狭い路地にも朝日が差し込み、朝食を食べ終えた人々が活発に動き始めた。早速、残飯にありつこうとする烏と野良猫が睨み合っている。
 そんなありふれた日常の中で、カイリは苛々しながら室内を歩き回っていた。身勝手な行動は慎めと厳しく言いつけられた以上は家にいるしかないが、とてもじゃないけどじっとしていられない。
「くそっ!」
がつんと卓子の足を蹴ると、みしっという音とともにひびが入った。
「カイリ!」
ミトが叱り付ける。いったいこれで何度目か。ゴキと八朔が去ってからというもの、ずっとこの調子で悪態をついている。
「物にあたるんじゃないって、何度言えば分かるんだい?」
「あー、もう!うるさいな!」
カイリは耳を塞いだ。こんな風に物にあたるのは本意ではない。しかし今、この瞬間にも巴慧が兵士に捕らえられているかもしれない。そう思うと、とてもじゃないけどじっとしていられない。
「おまえが物に当たり散らしたところで状況は変わんないよ。今はゴキがうまくやってくれることを信じるしかないんだから」
また反論してくるかと思ったが、「あいつ、すげぇお嬢さんだったんだな」と、カイリは意気消沈した顔で呟いた。
「何を言ってんだい?良いとこの子だってことは、最初から分かってたじゃないか」
「そうだけど、軍が動くほどの家だぞ?普通の貴族じゃないだろ」
ミトは何も言わずに茶を口に含んだ。
「隠さなくてもいいのにさ。水臭いや」
呟いた言葉が虚しさと寂しさを倍増させた。いらいら、いらいら。真水のように噴き出してくる感情はもう堰き止められない。何かできることがあればやってあげたいのに、大人はやめろと言う。
「ふん、意気地なしめ」
軍と聞いた途端に怖気づきやがった。いつも偉そうにしてるわりに、ゴキもとんだ腑抜け野郎だ。
「カイリ、また馬鹿なことを考えてるんじゃないだろうね。おまえが行っても、足手纏いになるだけだよ。巴慧ちゃんのことを思うなら、じっとしてな」
うるさいうるさい。そうやって、いつまでも馬鹿にしてろ。俺にだって、やれることはあるんだ。胡坐をかいてそっぽを向いているカイリを、ミトはやれやれとため息交じりに眺めた。
(仕方ないね。出会ったころから巴慧ちゃんのことが大好きだったんだから。孤児で寂しい思いをしてたし、姉さんができたみたいで嬉しかったんだろ。そら、心配だよね)
ミトはがっくりと肩を落とした。気を紛らわそうと左手の皺を数えていると、またこつこつと音がした。心臓がどくんと跳ね上がる。カイリを見ると、その喉がごくりと動いている。まさか、今度こそ兵士か?そう思った瞬間、
「カイリ、カイリ」
と、戸の外からカイリの名を呼ぶ幼い声が聞こえてきた。二人はほっと胸をなでおろした。声の主はカイリを兄のように慕い、暇があればやって来る物好きな少年のユカである。
「ったく、驚かせやがって。こんなときに何の用だよ」
心の底から面倒くさそうに立ち上がると、カイリは仕方なく戸を開けてやった。
「なんだよ。今は機嫌が悪いから、用がないならとっとと帰れ」
かわいそうに。開口一番に帰れとはひどいもんだ。
「そんな言い方はないだろ?いいかげんにしな!」
さっきから叱ってばっかりだ。
「違うんだよ!大変なんだ。早くカイリ兄ちゃんに教えてあげなくちゃと思って、走って来たんだ!」
大変な話?そう言われてみれば、いつもより顔が赤い。どうせ、たいした話じゃねぇんだろと、カイリは頬杖をついた。
「なんだよ、大変な話って」
「今さっきね、この近くを歩いてたら、おじさんが二人しゃべってて、聞こえてきちゃったからそのまま聞いたんだけど、なんかね、女の子を探してるんだって」
上の空に聞いていたカイリの表情が女の子と聞いて一変した。
「女の子って、どんな子だ?」
「なんかね、盗人の女の子らしいよ」
盗人?予想だにしていなかった言葉に二人は顔を見合わせた。
「盗人?なんだそりゃ」
「なんかね、ちょっと前に、すごい高価な着物とか髪飾りが盗まれたんだって。どうも犯人は女の子らしいって言ってたよ。それで、憲兵がその子を探してるんだって。もう売ってしまったかもしれないから、質屋も調べられてるみたい」
高価な品物、質屋と聞いて、二人の顔が真っ青になった。まさか、巴慧に盗人の嫌疑がかけられているのか?そんなばかな話があるか。
「すごい高価な首飾りも盗まれたって言ってたよ。珍しい宝玉がついたやつ」
背筋が凍り付く。
「そのおじちゃんたちも大通りの方で憲兵に聞かれたらしいよ。知らないって言ったら、本当かって厳しく問い詰められたって。庇うと同罪と見なすぞって脅されたんだって」
「その話をしてたのは、どんなやつらだい?」
ミトが尋ねた。
「商人のおじちゃんたちだよ。道端に色んな売り物を広げてた。『あんな風に兵士に睨まれちゃあ、おちおち商売もできねぇな』って言ってたよ。『売り物が盗品じゃないか、これからは厳しく調べられるかもな』って」
商人たちの口調を真似て話すユカを二人は凝視した。老街に市場らしきものはないが、商人が物を売る通りがある。そこで、この話を耳にしたということだった。
「おいら、それを聞いて、兄ちゃんのことが頭に浮かんだんだ。昨日、女の子と歩いてただろ?老湾の方へ歩いて行くの、おいら見たんだ。女の子の方は大きな包みを持ってた。なぁ、カイリ兄ちゃんは関係ないだろ?盗人の女の子なんて、知らないよな?」
カイリが頻繁に老湾へ出入りしていることをユカは知っていた。不安そうに詰め寄ってくる顔を見ながら、妙なところで勘の良いやつだなとカイリは思った。
「ねぇ、知らないよね?兄ちゃんは関係ないよね?『かばうやつがいれば、そいつも同罪になっちまう。あっという間に牢獄行きだぜ』って、おじちゃんたち言ってたんだ」
「あぁ、心配すんな。そんな盗人、知らねぇよ」
真実だ。盗人の娘など、俺は知らない。匿った覚えもない。巴慧が盗みなどするものか。カイリは怒りで震えた。
「カイリ、真に受けるんじゃないよ。どこぞの商人の戯言だ。面白がってるだけさ」
「あぁ、そうだろうな」
ミトの言う通り、面白がって話を大きくしているだけだろう。それは分かっているが、巴慧を盗人と見なし、断罪しようとしている輩がいることは事実に思えた。
(家出した娘を探してるんじゃないのか?保護するのが目的のはずだろ?軍を動かしてまで・・・)
だが、ここで大きな疑問が生じた。
(いや、待てよ。軍が、たったひとりの女の子を見つけるためだけに動くか?)
考えれば考えるほど、ありえないことに思えた。だが、盗人を捕まえるためならどうだ?なにか重要なものを盗んだという嫌疑がかけられているとしたら?その方が、軍が動く動機としては合点がいくのではないか?
(そうか、そういうことか。罪人として、巴慧ちゃんを追ってるんだ) 
まともに考えれば、たったひとりの盗人のために軍が動くということも考えにくいことではあったが、カイリは正常な思考を失っていた。
「ユカ、おまえはもう帰れ。知らせに来てくれてありがとな」
カイリは笑顔を作ったが、その目は笑っていなかった。不安そうに見つめるユカを追い返し、カイリは短剣を持った。
「何をするつもりだい」
室内にミトの低い声が響く。
「悪いな、ばあちゃん。俺、行くわ」
「バカ言うんじゃないよ!おまえが行って、どうにかなるもんじゃないって、なんでわかんないのさ!そんなこと許さないからね!」
激昂したミトの声が耳を刺すが、内容は全く頭に入ってこない。カイリは思い詰めた顔で剣を握りしめた。
(止められるものなら止めてみろ。俺は行く)
しがみつくミトの手を振り払うと、
「巴慧ちゃんの無事を確認したら、帰ってくるから」
と言い残し、カイリは家を飛び出した。
「カイリ、待ちな!カイリ!」
必死に名を呼ぶ声が追ってくるが、振り返らなかった。
 川沿いの厩舎へ着くと一頭の馬のところへ行き、縄をほどいた。
「先生、ちょっくら借りるぜ」
八朔の馬は特に嫌がることもなく、カイリを背に乗せた。
「無事でいろよ、巴慧ちゃん」
神様とやらが本当にいるか、俺には分からない。でも、もしいるなら、巴慧ちゃんを守ってくれ。
 祈りながら、カイリは右前方に見える山を目指し出発した。北から吹く追い風を背に感じながら、逸る気持ちを馬に託す。そうやって前だけを見据えながら、カイリは一気に川沿いを駆け抜けた。
 
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