六、強者、集う(2)

文字数 1,989文字

 佳水は荒人の元へ戻ると、体を揺すり、名を呼んだ。
「荒人様、荒人様」
頬を軽く叩かれた荒人は重たそうに瞼を持ち上げた。佳水が安堵のため息を漏らす。
「ご気分は、いかがですか?」
佳水の不安そうな顔を見返す目は焦点が合っていない。だが、すぐにズキッと首に鋭い痛みを感じると、荒人は顔を大きく顰めた。意識がはっきりするにつれ、先ほどの光景が鮮明に蘇ってくる。
「佳水、あれから、どれぐらい経った?」
「まだ、それほど経っておりません。壮馬殿が援軍を呼んでくださいましたので、近くまで来ていた治平殿が駆けつけてくださいました」
「さっきの奴らは、どこへ行った?まさか・・・」
返答に困り、佳水は目を伏せた。その意味を理解した荒人は悲痛な声を上げた。
「なぜだ、佳水、なぜだ!あと少しで追いつけたのに、あと、ほんの少しで!」
荒人は汚れた両手を凝視した。なぜだ、なぜ、邪魔が入る?それも、只の邪魔ではない。あのような怪物まがいの者たちが、なぜ、邪魔をする?
「なぜだ!佳水!なぜ、あいつらは巴慧を遠ざけようとするんだ!」
荒人は拳を地面に何度も何度も打ち付けた。佳水はただ、何も言わずに震える荒人の背中をさすり続けた。
 兵士がひとり、またひとりと意識を取り戻す中、狼煙を確認した山岳兵の部隊が到着した。数は三十名といったところか・・・。
「これはいったい、何があったのですか?」
槍兵隊の惨状を前に、山岳兵のひとりが治平に問うた。この心地の良い声の持ち主は山岳兵隊の第二隊長で、名を風間(かざま)という。
「見てのとおりだ。曲者にやられたらしい」
「曲者?」
治平は壮馬に事の顛末を語らせた。
「そのような者が存在するなど、到底、信じられません」
風間は驚きを隠さずに言った。率直な感想だった。巳玄軍において四隊への入隊は狭き門であり、入隊が認められた後も、厳しい訓練に日々耐えねばならない。常に精進することが求められるため、その過酷さに耐えかねて、一年未満で歩兵に戻る者も少なくない。
 風間は放心状態で座り込んでいる槍兵たちを見た。どの顔も強者ぞろいだ。だが何よりも、第二隊長として共に切磋琢磨し、親交も深い壮馬が敗北したという事実は何よりも受け入れがたかった。
「信じがたいことですが、事実です。この目で見て、その異常な能力を体験しなければ、私も到底信じられなかったことでしょう」
壮馬が冷静な口調で言った。
「佳水殿が全てを目撃しております。話を聞いた方がよろしいかと」
壮馬が提案すると、治平は風間を佳水の元へ連れて来た。一歩前へ歩み出ると、
「山岳兵隊第二隊長の風間と申します」
と言って、風間は一礼した。
斎海(さいかい)家の付き人の佳水と申します」
佳水は表情を変えずに丁寧な挨拶を述べた。だが、内心は驚いていた。これまで見てきた兵士はみな、見事な体格に恵まれていた。長身の佳水が見上げるほど大柄な者ばかりだった。特に、訓練場に現れた佐門と徹を見たときは、思わず後ずさりしてしまった。
(まさに、誰もが思い描く理想的な軍人像そのものだ。そこにいるだけで、周りの空気が違う)
そう思った。
 治平も同じだ。初めて挨拶を交わしたときは、その巨躯と存在感に圧倒された。見ているだけで、びりびりと体がしびれてくる。それほど、威圧感があるのだ。
 だが、この風間という男はどうだ。驚くほど小柄ではないか。街中にいれば平均的な背丈かもしれないが、屈強な兵士たちに囲まれていると実に小さく見える。肩も腕も細く、華奢と言っても語弊はないだろう。
(しかし、見た目で判断すべきではない。壮馬殿を一瞬で打ち負かしたあの男も、決して大柄ではなかった。だからこそ身が軽く、俊敏な動きができるのかもしれない)
目線よりもだいぶ低いところにいる風間を観察しながら、佳水は考えを改めた。
「佳水殿、この者に報告を」
治平の言葉に佳水は頷き、目撃した一切を風間に語って聞かせた。それに加え、気付いた点や疑問に感じた点を話すと、風間の目つきが変わった。
「なるほど、そうですか」
風間が呟くと、治平はにやりと笑い、挑むように雲を睨み上げた。上空では相変わらず鳥が優雅に飛んでいる。先ほどよりも早く形を変えて進んでいく雲を見ながら、ゆっくりと顎髭を撫でた。
(曲者め。おちょくりやがって。どこのどいつか知らんが、必ず、捕らえてやる。次は逃げられると思うな)
巴慧の保護という任務に、「ならず者の掃討」という目処が加わった。けっこうなことではないか。娘ひとりを追いかけるよりも、がぜん面白そうだ。
 やがて、全ての兵士が意識を取り戻した。治平は数名の槍兵と山岳兵を集めると、そのひとりひとりに鋭い眼差しを向けた。
「敗北をそのままにしておきたい奴はいるか」
即座に兵士たちは否定した。
「いいえ、最後に勝つのは我らです!」
「その通りだ」
満足げに頷くと、治平は地図を広げた。そして一点を指し、意味深な笑みを浮かべた。

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