二、はちきれる鼓動(2)

文字数 2,640文字

「止まれ!」
 後方にいた兵士が危険を知らせると、先頭を走る兵士たちが一斉に手綱を引いた。馬が嘶き、大きく前足を浮かせる。そしてその目前に、男たちはぴたりと着地した。
「なんだ、お前らは!」
野太い声が響いた。兵士たちは警戒し、二、三歩、後ろへ下がった。
「なんだって言われてもなぁ。おい、俺らはなんだ?」
男が仲間に問う。
「知らねぇよ」
訊かれた方が苦笑すると、
「そうだなぁ、しいて言えば、正義の味方ってやつかな?」
と、男は兵士たちを挑発するように言った。
「邪魔をするな!そこをどけ!」
先頭の兵士が大槍を構えた。
「おぉ、すげぇ槍だな」
一突きされれば、ひとたまりもない。
「こりゃ、やべえな」
と、男は口元に笑みを浮かべた。
 男がにやりと笑うのを見ると、最前列にいた別の兵士が七尺はありそうな槍を突き出した。風を切る鋭い音が響き、男は顔を僅かに右へ動かした。槍の先端が左頬すれすれのところをかすめたが、男は顔色ひとつ変えずに、ぴゅうっと口笛を吹いた。
 兵士は槍を握り直し、男の右頬を目掛けて凄まじい速度で振り抜いた。だが、ここでも男は寸でのところで顔を僅かに後ろへ動かした。槍の先端が鼻先すれすれのところを通過する。男はそのまま仰け反り両手をつくと、木の葉のような身軽さで一回転した。
「やるなぁ、兄ちゃん」
そう言うと、男は舌なめずりをした。
「こいつ、舐めやがって!」
血気盛んな兵士は馬から下りると、両手で槍を持った。そして、男めがけて突進し、立て続けに攻撃を繰り出した。その内の一撃を腕で受け止めると、
「へぇ、けっこう重てぇんだな」
と、男は平然とした顔で言った。
「さすがは軍人様ってとこだな」
―おちょくっている。
そこにいる誰もがそう思った。男は全ての攻撃を蝶のようにひらりひらりとかわしている。兵士の目がカッと光った。
「ふざけるな!」
武器を動かす速度が増した。だが、男は相変わらず涼しい顔で、怒涛の攻撃をすれすれのところで避けている。はたから見れば男が辛うじて避けているように見えるかもしれないが、実際は故意にそうしているのだと兵士たちは見抜いていた。大槍を握りしめる兵士は、全身の血が噴き出しそうになった。新たな攻撃を仕掛けながら左手で剣を抜き、左右から同時に敵の肉体を突き刺そうとした。だが、これも寸でのところで男はかわし、軽々と後ろへ飛んだ。
「なんだ」
突然、男が呟いた。その場にいる誰もが一言も発することなく戦況を見守っているにも関わらず、誰かと話しているかのように何かをぶつぶつと呟いている。
―おい、いつまで遊んでる気だ。さっさと終わらせろ。
常人の耳では決して聞き取れない声を聞くと、男はぽりぽりと頭を掻いた。
「ったく、しゃあねぇなぁ。おいこら、さっさと終わらせんぞ。のらくらしてる暇ねぇんだわ」
兵士が鬼の形相になった。
「ふざけるな!」
槍を持ち直そうとしたとき、すでに男は兵士の背後にいた。ぞわっと身の毛がよだつ。次の瞬間、「ぱぁん」という音とともに槍が真っ二つに折れた。何が起きたか理解できずにいる兵士の後ろから顔を覗き込むと、「これ、もらうぜ」と、男は朗らかに言った。兵士は呆然と左手を見下した。握っていたはずの剣がない。
 好戦的に技を繰り出していた兵士は完全に戦意を失った。足元には無残に打ち砕かれた槍の残骸が散らばっている。兵士は俯いたまま、一歩も動けなかった。
 戦闘を見ていた兵士たちも、仲間が赤子の手をひねるように弄ばれたことに強い衝撃を受けていた。みな息を呑み、突如現れた正体不明の男たちを凝視している。だが、負けん気の強そうな兵士が男をめがけて突進し、それに触発されたかのように数名の兵士が一斉に飛びかかった。あたかも怒りに身を任せて突撃したかのように見えたが、実際は精密な陣形を組み、高度な戦闘技術を駆使しての攻撃であった。
 木の上から様子を見ていたカイリは目を疑った。瞬きをするのも忘れて、食い入るように見入っている。
(嘘だろ。なんだ、あの動きは。速すぎる!)
男を取り囲み、絶妙に時機を見計らいながら矢継ぎ早に技を繰り出す兵士の動きは、とうてい理解の範疇を越えている。
(あいつはどうした?)
強襲を受けた男の姿が見えない。やられたのか?そう思った瞬間、輪の中心から突風が吹いた。身を乗り出して確認すると、砂塵とともに兵士の体が宙を舞っている。「あっ」と声が出たときには、兵士たちの身体は四方八方に飛ばされて、鈍い音とともに地面に叩きつけられた。
 カイリは完全に言葉を失った。砂埃が地に落ちる前に、男の姿が視界に映し出された。中央に立つ男は傷一つ負っていない。ぽんっと剣を真上に投げると、左手でそれを掴んだ。
「わりぃ、わりぃ、手加減したつもりなんだけどな。ま、死んじゃいねぇだろ」
意識を失って倒れている兵士を見回すと、男は軽い口調で言った。唇を震わせたまま、カイリは呟いた。
「おまえら、いったいなにもんだ?」
ともに一部始終を見ていた眼帯の男がカイリに視線を向けた。横に細長い刃のような目から放たれる眼光が突き刺さる。カイリは恐る恐る男の顔を見返した。
「なにもんだ?」
「さぁな」
短く答えると、男はまた下方へ視線を戻した。カイリはその横顔をまじまじと見つめた。すぅっと筆を滑らせたかのような形の良い鼻から顎にかけての輪郭を目でなぞっている内に、もしやこの男、なかなか整った顔をしているのではないかと思い始めた。
(しかもこいつ、まだ若いぞ。二十五歳くらいか?いや、もっと若いかも)
と、肝心な正体についてよりも、見てくれや年齢といった、どうでもいいことについてばかり考えを巡らせた。
 状況をすんなりと理解できないのはカイリだけではなかった。一定の距離を空けながら兵士たちが戦う様を見ていた荒人と佳水は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けていた。これは夢か現か・・・。それすらも分からなくなるほどに混乱している。
「お二人は、そのまま動かずに」
静かに戦況を見守っていた最後の兵士が槍を手に持った。
「お待ちください!あの男は只者ではありません!貴方までやられてしまえば、どうしようもなくなります!」
荒人が悲痛な叫び声を上げた。決してこの兵士の実力を見くびっているわけではない。百戦錬磨の軍人にかける言葉としては途轍もなく無礼であることは百も承知だ。だが、考えるよりも先に言葉が口をついて出た。
「確かに、常人ではありません。だからこそ、私が出ねば」
敵をじっと見据えながら、兵士は前へ出た。
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