一、息、潜める(4)

文字数 1,960文字

 更に湿気が増し、生暖かい風が足に纏わりついてきた。
「早い内に叩くぞ」
言うが早いか一理は大樹を蹴り、速度を上げた。そして飛びながら聴覚の範囲を広げ、より正確に状況を把握しようとした。
「麓の奴らに動きはねぇな。北上してる連中は、俺たちを姫さんから引き離すつもりか?」
万が一、あの洞窟の位置が特定されていたとすれば、巴慧たちの動きも監視されていることになる。
「どうする?いったん戻るか?」
善が尋ねた。
「いや、このまま追いかけて敵の数を減らす。連中を姫さんたちから引き離せるなら、俺たちにとっても好都合だ」
一理は意味深な笑みを浮かべた。北上を続けている連中は、不自然なほど気配をまき散らしている。
「見ろよ、殺気がだだ洩れぜ。追って来いって挑発してやがんだ。せっかくのお誘いだ。乗ってやろうぜ」
あからさまな陽動作戦だが、分かりやすいのは嫌いではない。
「おまえが言ってた通り、北西にいるのは山岳兵隊だな。動き方が槍兵隊とは違う。山が本拠地の奴らだ」
一理が興味深そうに言った。槍兵隊も素早かったが、今、北西の位置から更に北へ向かって移動しているのは明らかに別の隊だ。気配も動き方も、まるで違う。一理はその姿を想像した。重量のある槍を振り回す屈強な槍兵とは異なり、山での戦闘に特化した山岳兵は小柄で身軽な者が多いはずだ。
 一理が槍兵隊と山岳兵隊の動きに意識を向ける一方で、善は「異質な気配」の正体を探ろうと神経を尖らせていた。
(なんなんだ、いったい。あまりにも静かすぎる)
山の至るところから、どくどくと波打つ鼓動や押し殺した息遣いが聞こえてくる。だがその中に、あまりにも静かな音が紛れ込んでいる。
「どうだ?なんか分かったか?」
一理の問いに善は首を横に振った。
「さっぱり分からん。だが、並みの神経じゃねぇな。この状況で落ち着き払ってる」
珍しく善は首を傾げた。
「嬢ちゃんの話だと、他に弓兵隊、武闘兵隊があるんだったな。その中の部隊って可能性もあるか?」
「この山に来てるのは槍兵隊と山岳兵隊だけだ。他の隊は来てねぇぞ」
一理は断言した。
「俺も最初は軍の秘密部隊かなんかかなと思ったけど、どうも違うな。あれは兵士の気配じゃねぇ。かと言って、なにかも分かんねぇ。けど、これは断言できる。ここに来てる軍は槍兵隊、山岳兵隊、あとは歩兵だけだ」
一理が飛び移った大樹で足を止めると、善も近くで動きを止めた。
「兵士ってのは、兵士特有の動きがある。訓練していくうちに、いやでも身に沁みついてくる気配ってもんがあんだろ?」
「そうだな」
だが、明らかにそれとは異なる気配を持つ者たちが来ている。
「軍の秘密部隊って可能性も否定はできねぇけど、おそらく軍とは別の何かだ。弓兵隊と武闘兵隊は関係ねぇと思う」
一理はこう見えて、状況を分析する能力に優れている。善は頷いた。
「なにがあったか知らねぇけど、軍本部の辺りも騒がしいからな。かなりの数の兵士が動いてる。残りの二隊はそっちにいる可能性が高い」
一理は耳をぴくぴくと動かしながら言った。
「連中、必死だぜ。姫さんが失踪した。だが、それ以外にも何か想定外の事が起こった。そのせいで、精鋭部隊であるはずの四隊までもが駆り出されることになった」
ここで片方の口角を持ち上げて呟いた。
「それに加えて、俺たちみてぇな曲者まで現れたんだ。想定外も、ここまでくると度が過ぎるな」
言いながら気の毒になってきた。
「本部の方で何が起きたかは知らねぇ。だが、何かやべぇことが起きたのは間違いねぇだろ?」
「そうだな」
一理よりも先に、軍の本部付近で何かが起きていることを察知していた善は頷いた。
「で、誰も知らない『第五の戦力』が呼ばれたってわけか?」
「多分な」
「だが、想定外は俺らにとっても同じだ。こちらの動きを察知できる奴がいるなんて思いもしなかった」
「けっこうなことじゃねぇか。想定外ほど面白いもんはねぇぞ」
「おまえにとっては、そうだろうな」
善は肩をすくめた。
 全方角の状況を探ってから、二人は再び北上を始めた。
「仁、気をつけろよ」
そう呟くと、すぐに「うるさい」という仁の声が風に乗って返ってきた。
「余計なお世話だってさ」
一理がおかしそうに笑う。やれやれ。先が思いやられる。無鉄砲に突っ込んでいく一理と、言葉足らずの上に加減を知らない仁。つくづく損な役回りだなと善は心の中で嘆いた。
「山岳兵はお前に任せてもいいか?俺は槍兵隊を叩きに行く」
二人は山頂付近まで来ていた。槍兵隊はすぐ近くに、そして山岳兵隊は山の反対側の中腹辺りにいる。
「あぁ。いたらいいな、隊長が」
「まぁな」
一理はふっと笑った。そして、進行方向を変えた。
「気をつけろよ」
善の声が一気に遠ざかった。隊長は確実にいる。この先に―。
「あぁ、また後でな」
そう呟いた声は生ぬるい風に掻き消された。
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