四、急旋回

文字数 2,200文字

 木と木の間をすり抜けるようにして歩いて行くと、やがて小さな泉のある空間へ辿り着いた。山道から少し離れたところで、腰を掛けるのに良さそうな岩がいくつもある。だが、一理は地べたにどかっと腰を下ろすと、巴慧とカイリを手招きした。
「まぁ、座れよ。ちょっくら話をしようぜ」
二人が並んで座る様子をじっと眺めてから、こう切り出した。
「話をする前に、まずは自己紹介だ」
そう言うと、一理はカイリにしたときと同じように早口で善と仁を紹介した。巴慧は岩に軽く腰かけている二人を見て、ぎこちなく会釈をした。まだ、その顔には困惑の色が滲んでいる。
「さっきも言ったが、カイリが危険な目に合っていたところにたまたま出くわして、助けてやったってわけだ」
それを聞いたカイリの鼻に深い皺が出現した。たまたま出くわした?嘘つけ!今ならはっきり分かる。絶対に違うだろう!口を開こうとしたが、それを阻止するようにして一理が巴慧に質問を投げかけた。
「で、姫さんはどうするつもりだ?このまま山を下りて、医者を探すのか?そんでこいつを診てもらって、その後は?予定通り、鷹月まで行くのか?」
巴慧はきょとんとした。なぜ、鷹月を目指していることを知っているのだろう。カイリを見ると、俺は言っていないという顔で首を振っている。
「どうしてそれを?」
「南へ向かうなら、鷹月に行くに決まってんだろ?他に目ぼしい町もねぇしな。鷹月のどこへ行くつもりだ?新原か?」
「そうです」
一瞬、躊躇してから巴慧は答えた。
「首都まで行くってわけだな?だが、ここでひとつ重大な問題がある」
ここで一理は、やけに勿体ぶった口調で人差し指を立てた。
「この山は軍に包囲されてる。南へ通じる道も、すでに封鎖されてるぜ」
巴慧は目を大きく見開いた。
「連中の目的は姫さんだ。すげぇ数の兵士が来てる」
「兵士って、憲兵ですか?」
この質問には善が答えた。
「いや、憲兵じゃない。軍そのものがお出ましだ」
巴慧は言葉を失った。
(・・・巳玄軍が、この山へ?)
父が兵を動かすことは予想していた。だが、それは憲兵の話で、まさか軍そのものを動かすとは思っていなかった。父の顔が脳裏にありありと浮かび、胸が苦しくなった。だが、すぐに奇妙だと思った。父ならもっと隠密に事を運ぶはずだ。大勢の兵を動かし、この一帯すべてを包囲させるなど全く父らしくない。なにか、あったのだろうか。
「本当に包囲してんのか?おまえらがそう言ってるだけじゃねぇのか?」
巴慧の表情を注視していたカイリは、たまらずに口を開いた。
「信じたくねぇならいいぜ。おまえらだけで、どうにかすればいい。あっという間に捕まるだろうがな」
平然とした顔で言う一理を睨んでから、
「巴慧ちゃん、この山に兵士が来てるのは本当なんだ。ここへ来る途中、十人以上の兵士を見た」
と、カイリは遠慮がちに説明した。
(やっぱり、本当なんだ)
巴慧は押し黙った。これは、大変なことになってしまった。自分の幼稚な我儘が、ここまで事態を大きくしてしまうなんて・・・。
(そんなの、最初から分かってたことじゃない。私は国司の娘。無責任な行動がどんな事態を招くか、分かっていたのに・・・)
巴慧はぎゅっと目をつむった。冷静ではなかった。ただ感情の赴くままに、衝動的に動いてしまった。自由を望んでしまった。そんなもの、最初から存在していなかったのに。
「ごめんね、カイリ。私、家を飛び出してきたの。そのせいでみんなを巻き込んでしまった」
声を振り絞って白状すると、「大丈夫。分かってるよ」と言ってカイリが背中を撫でてくれた。巴慧は胸が詰まった。この優しさに甘えてはいけない。カイリまで巻き込んで、何か取り返しのつかないことになったら、私は生きていけない。
「やっぱり、家へ帰るわ。これ以上、みんなに迷惑をかけるわけにはいかないもの」
巴慧は横たわったままの一新を見た。そうだ、これでいい。これが最善だ。
「一新も、一緒に連れて帰るわ。うちには優秀なお医者様がいるのよ」
そう言って無理に笑顔を作る巴慧を見る一理の表情が険しくなった。おいおい、それじゃ面白くねぇじゃねぇかよ。おまえが家へ帰ったら、ここまで来た意味がなくなっちまうじゃねぇか。一理が口を開こうとしたとき、
「そんなのだめだ!」
と、カイリが唐突に叫んだ。一斉に皆の視線が注がれる。
「だめだよ、巴慧ちゃん!せっかく逃げて来たのに、ここで諦めるのか?俺だって来た。ひとりじゃないよ。なんで逃げて来たのか知らないけど、よほどの理由があったんだろ?逃げ出したいほどの何かがあったんだろ?なのに、ここで諦めていいのか?」
お!いいぞ少年!もっと言え!一理の目が光った。
「俺も一緒に行くから、そばにいるからさ。行けるところまで行こうよ。な?巴慧ちゃん」
このとき、カイリの脳裏には巴慧が投獄される様子がしきりに描かれていた。巴慧が盗みなど、するはずがない。だが、何かしらの陰謀に巻き込まれた。そのせいで、軍に追われる身になってしまった。そんな妄想がカイリの思考を支配していた。そして、そんなカイリに気圧された巴慧の瞳が揺れ動くのを一理は見逃さなかった。
「その通りだ!良いこと言うじゃねぇか!なんで追われてるか知らねぇけど、せっかくここまで来たんだ。諦めんのはもったいねぇよなぁ」
ここで胡坐を組みなおすと、
「そこでだ、姫さん。ひとつ提案がある」
と言って、一理は身を乗り出した。
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