四、急旋回(2)

文字数 2,362文字

「提案?」
「俺たちを雇わねぇか?」
「雇う?」
カイリと巴慧は顔を見合わせた。
「まぁ、聞けよ」
彫りの深い顔を近づけると、一理は口角を僅かに持ち上げて巴慧を見た。
「軍の包囲網を突破して、鷹月まで連れて行ってやる。俺らの強さは、こいつがよぉく知ってるぜ。だろ?」
ぐしゃぐしゃと髪を搔き乱されたカイリは容赦なく一理の手を叩いた。
「雇うって、どういう意味だよ。見返りは?何を狙ってんだ」
「狙うとはなんだ?人聞きの悪い。おまえはもうちょっと人の好意を素直に受け取った方がいいぞ?」
こんなうさんくさい奴の何を受け取るっていうんだ。
「好意だって?」
「そらまぁ、ただでってわけじゃねぇぜ?報酬は頂く。そうだな、例えば・・・、こいつでどうだ?」
巴慧の目の前である物が揺れ動いた。眩く光り輝く物の正体を見極めると、巴慧の表情が一変した。
「あれ?どうして?」
懐を確認するが、大切に包んで入れておいたはずの宝玉の首飾りがない。巴慧は訳が分からなかった。
「おまえ、返せよ!それは巴慧ちゃんの大事なものだぞ!」
カイリが身を乗り出して首飾りを奪い返した。そして、巴慧の前で両腕を広げた。
「だめだ、だめだ!おまえみたいな奴、信用できるか!」
小さい体が怒りに震えている。
「おい、悪乗りが過ぎるぞ」
善が睨むと、一理は肩をすくめた。
「ほんの冗談だろ」
「冗談ですむか!」
「そうカリカリすんなよ。けどな、これぐらい防げなくてどうすんだ?どうやって、軍に立ち向かう気だ。そこで寝てるガキも連れて、おまえらだけで鷹月を目指すのか?無理だな」
断言された。ぐぅの音も出ない。ふたり揃って首を垂れていると、
「ゆっくり考えてる時間はないみたいだぜ。見ろよ」
と言って、一理が斜め上に目線を向けた。指し示す方を見上げると、遠くで細長い煙が上がっている。
「狼煙だ。あの野郎、もう動けるようになったか」
クククと一理は笑い声を漏らした。腕と足の自由を奪ったはずだが、さすがと言うべきか、やはりと言うべきか。
「すぐにでも兵士が集まって来るぞ。さぁ、どうする?」
けしかけるように一理は巴慧を見た。
「このまま元の人生に戻るか、俺らと一緒に鷹月へ行くか、さぁどっちだ?」
巴慧は言葉に詰まった。先ほどのカイリと同様に、面食らった顔をしている。
(そんな、いきなり言われても・・・)
そう思ったが、迷っている暇はない。このまま旅を続けるなら、即断を求められる場面はいくらでもあるはずだ。巴慧は混乱する頭で必死に考えた。どうするべきかと問われれば、ここで旅を終わらせて父の元へ帰るべきだ。それが正しい行いだ。だが、どうしてもそれを拒む自分がいる。自由が欲しい。やっとの思いで逃げて来たのに、諦めたくはない。狭い世界の中で一生を終えるのは嫌だ。
(どうすればいいの。諦めたくないけど、かと言って、これ以上みんなに迷惑をかけるのは・・・)
巴慧の心は大きく揺れ動いていた。考えれば考えるほど、迷いは大きくなる。しかも悪いことに、その迷いを払拭できるほど強くはない。何にも囚われず、本能の赴くままに行動できるほど子供ではないが、その本能や要求を理性で抑えられるほど大人でもない。大人であれば、怒りと絶望に突き動かされて、衝動的に家を出たりはしなかっただろう。確かに、あれは突発的なことだった。
(でも、きっと今しかない。今、諦めてしまえば、二度と鷹月へ行くことは叶わない)
ふぅっと息を吐き、目を瞑った。そして、心の中で詫びた。もう少しだけ、親不孝をお許しください。必ず、手紙を書きますからと・・・。
 ゆっくりと目を開けると、巴慧は力強く頷いた。
「護衛をお願いします」
一理の表情が華やぎ、カイリの表情は曇った。
「本気か?」
「うん、本気」
「本当にいいのか?こんな奴らに頼らなくても、俺と二人で」
そこで言葉は途切れた。口をつぐみ俯くカイリの肩を一理がぽんぽんと叩いた。
「仕方ねぇさ。おまえじゃ力不足なんだから。そうしょぼくれんなよ。これから強くなりゃいいじゃねぇか」
「うるせぇよ。気安く触んな」
また手を叩かれる。
「でも、ごめんなさい。この首飾りは父からもらった大事なものなんです。これ以外のものなら、なんでも差し上げます。宝石がお望みなら、まだ少しだけ家にあるので、持っているものを全て差し上げます。なので、この首飾りだけは、ごめんなさい」
巴慧は深々と頭を下げた。
「えー、その首飾りがいいんだけどなー」
さぞ困ったかのように言うと、一理は両膝をぽんっと叩き、勢いよく立ち上がった。
「よし、交渉成立だ!いっちょ行くか!」
言うが早いか、一理は手を伸ばした。そして、ひょいっと巴慧を左腕に抱えると、勢いよく地面を蹴った。
「てめぇー!いきなり飛ぶな!巴慧ちゃんがびっくりすんだろー!」
地上から発せられるカイリの怒声が一瞬で遠ざかった。頭上から吹いてくる風の向こう側から雲が近づいてくる。訳が分からずにきょとんとしていた巴慧の目が、やがて大きく見開かれた。目まぐるしく様変わりする景色の中を上昇しては落下していく。木の枝に降りたかと思えば、次の瞬間にはキャベツのような樹々が足元にある。ひゅっと血の気が引き、思わず悲鳴を上げた。
「おおっと!大声は禁物だぜ」
慌てて一理が巴慧の口を手で塞いだ。頬を切りつける風が痛い。乾いた目から溢れた涙があっという間に消えてゆく。
「すぐに慣れるさ。怖ければ目を瞑ってな」
慣れるって、これに?卒倒しそうになったところでハッと我に返った。
「一新とカイリは?琉星も!」
「琉星?」
「私の馬です!」
「あぁ、馬か。安心しろ。善が連れてくる。ガキ二人もな」
「連れて来るって、どうやって?」
行先を相談している様子はなかった。一理がどこへ向かっているのか、善は知っているのだろうか?その問いには答えぬまま、一理は飛行を続けた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み