二、前夜の梟(2)
文字数 1,542文字
ぎしぎしと音をたてながら厠の隣にある棚を動かすと、その下に少しばかり色合いの異なる小板が出てきた。それをべりっと外し、ちょいちょいとカイリは巴慧を手招きした。興味をそそられて中を覗き込むと、人が三人ほど入れそうな空間がある。板をはめ直し棚を元の位置に戻すと、とても地下に何かがあるようには見えなかった。
「ほら、すげぇだろ?このへんの家には、こんな隠れ場所がいくらでもあるんだぜ!」
それは知らなかった。たしかに、老街にいる分には安全かもしれない。一瞬、心が揺らいだが、巴慧はゆっくりと首を横に振った。
「ありがとう。でも、やっぱり行くわ」
ずっと隠れているのは嫌だし、なにかあればミトやカイリに迷惑がかかってしまう。それだけは絶対に嫌だ。八朔にも迷惑はかけたくない。
「なんでだよ!」
「カイリ、我儘を言うんじゃないよ。巴慧ちゃんが出て行くって言ってるんだから、気持ちよく送り出してやんな」
ぐっと下唇を噛んで押し黙っていたが、やがて口を開くと、カイリはミトに怒りをぶちまけた。
「なんだよ!ばあちゃんは巴慧ちゃんのことが心配じゃねぇのか?薄情なばばあだな!見損なったぜ!」
そう言うと小屋を飛び出し、どこかへ行ってしまった。
「こら!ばばあとはなんだい?まったく、困った子だね」
「すみません、私のせいで・・・」
詫びる巴慧の表情は暗かった。こんなにも案じてくれるカイリが愛しい。なにも言わずに心配してくれるミトさんが愛しい。なのに、自分の身勝手な行動が大切な人たちを悲しませている。そう思うと心が重く沈んだ。
「気にしなくていいからね。さ、夕飯を食べようね」
俯く巴慧の背中をぽんぽんと叩くと、ミトは笑顔を作った。
三人は食卓についたが、会話は弾まなかった。巴慧もミトも下を向いたまま、もくもくと箸を動かした。一新はなんとか箸を使って食べようと苦心していたが、ぽろっと落ちた芋が卓上を転がっていったことをきっかけに、また鷲掴みにして口に突っ込むやり方に戻ってしまった。
遠くから、ふくろうの鳴き声が聞こえてくる。山道を歩いていたときに何度も聞いた声だ。突然、言いようのない不安に襲われた。明日からの旅路は、これまでとは比べ物にならないほど厳しいものになる。もう、優しく手を差し伸べてくれる人はいないのだ。
食事を終えると、半ば強制的に布団に入れられた。けれど、緊張して眠れそうにない。簾の隙間から差し込む月明りが優しく瞼を撫でてくれるが、しんと静まり返った部屋がいつもより広く感じられて、落ち着かない。
隣を見ると、一新は規則正しい寝息をたてている。そっと手を伸ばし、安心した表情で眠る頬を指先で撫でた。暖かい吐息がくすぐったい。なにか分からない感情が胸の奥からこみ上げてきて、そのまま一新の横顔を眺め続けた。
荷造りをしているときも、ミトと話しているときも、ずっと何も言わずに傍にいてくれた。けれど、一新が何を思っているかは分からなかった。この子はここに置いていく。連れては行けない。
「あなたはここにいてね。ミトさんとカイリが一緒にいてくれるから」
そう告げたとき、表情を変えずにじっと目を見返してきた。あれは、分かったという意味だろうか。
また、ふくろうが鳴いている。気のせいだろうか。さっきよりも近くに聞こえる気がする。北か南か、はたまた東か西か・・・。どの方角から聞こえてくるかは分からない。ただ、鳴き声だけが大きくなっている。
また、何か分からない感情が押し寄せてきた。早く寝なければと思えば思うほど、焦燥感が募る。
浅い呼吸を繰り返していたが、徐々に瞼が重くなり、意識が遠のいていった。
(カイリは帰ってきたかな・・・)
布団の中で胎児のように体を丸めながら、巴慧は深い眠りの中へ落ちていった。
「ほら、すげぇだろ?このへんの家には、こんな隠れ場所がいくらでもあるんだぜ!」
それは知らなかった。たしかに、老街にいる分には安全かもしれない。一瞬、心が揺らいだが、巴慧はゆっくりと首を横に振った。
「ありがとう。でも、やっぱり行くわ」
ずっと隠れているのは嫌だし、なにかあればミトやカイリに迷惑がかかってしまう。それだけは絶対に嫌だ。八朔にも迷惑はかけたくない。
「なんでだよ!」
「カイリ、我儘を言うんじゃないよ。巴慧ちゃんが出て行くって言ってるんだから、気持ちよく送り出してやんな」
ぐっと下唇を噛んで押し黙っていたが、やがて口を開くと、カイリはミトに怒りをぶちまけた。
「なんだよ!ばあちゃんは巴慧ちゃんのことが心配じゃねぇのか?薄情なばばあだな!見損なったぜ!」
そう言うと小屋を飛び出し、どこかへ行ってしまった。
「こら!ばばあとはなんだい?まったく、困った子だね」
「すみません、私のせいで・・・」
詫びる巴慧の表情は暗かった。こんなにも案じてくれるカイリが愛しい。なにも言わずに心配してくれるミトさんが愛しい。なのに、自分の身勝手な行動が大切な人たちを悲しませている。そう思うと心が重く沈んだ。
「気にしなくていいからね。さ、夕飯を食べようね」
俯く巴慧の背中をぽんぽんと叩くと、ミトは笑顔を作った。
三人は食卓についたが、会話は弾まなかった。巴慧もミトも下を向いたまま、もくもくと箸を動かした。一新はなんとか箸を使って食べようと苦心していたが、ぽろっと落ちた芋が卓上を転がっていったことをきっかけに、また鷲掴みにして口に突っ込むやり方に戻ってしまった。
遠くから、ふくろうの鳴き声が聞こえてくる。山道を歩いていたときに何度も聞いた声だ。突然、言いようのない不安に襲われた。明日からの旅路は、これまでとは比べ物にならないほど厳しいものになる。もう、優しく手を差し伸べてくれる人はいないのだ。
食事を終えると、半ば強制的に布団に入れられた。けれど、緊張して眠れそうにない。簾の隙間から差し込む月明りが優しく瞼を撫でてくれるが、しんと静まり返った部屋がいつもより広く感じられて、落ち着かない。
隣を見ると、一新は規則正しい寝息をたてている。そっと手を伸ばし、安心した表情で眠る頬を指先で撫でた。暖かい吐息がくすぐったい。なにか分からない感情が胸の奥からこみ上げてきて、そのまま一新の横顔を眺め続けた。
荷造りをしているときも、ミトと話しているときも、ずっと何も言わずに傍にいてくれた。けれど、一新が何を思っているかは分からなかった。この子はここに置いていく。連れては行けない。
「あなたはここにいてね。ミトさんとカイリが一緒にいてくれるから」
そう告げたとき、表情を変えずにじっと目を見返してきた。あれは、分かったという意味だろうか。
また、ふくろうが鳴いている。気のせいだろうか。さっきよりも近くに聞こえる気がする。北か南か、はたまた東か西か・・・。どの方角から聞こえてくるかは分からない。ただ、鳴き声だけが大きくなっている。
また、何か分からない感情が押し寄せてきた。早く寝なければと思えば思うほど、焦燥感が募る。
浅い呼吸を繰り返していたが、徐々に瞼が重くなり、意識が遠のいていった。
(カイリは帰ってきたかな・・・)
布団の中で胎児のように体を丸めながら、巴慧は深い眠りの中へ落ちていった。