一、息、潜める(3)

文字数 1,766文字

 木の天辺で頬杖をつき、折った小枝を手のひらの中で弄んでいると、ようやく善が追いついて来た。
「遅かったな」
嫌味を言うと、先走って行く奴が悪いと言われてしまった。
「一雨くるぞ」
「あぁ。脱出するまで、もってくれるといいけどな」
そう呟くと、善は遠くで風に押し流されている黒雲を眺めた。そのまま目を閉じ、耳に神経を集中させる。
「南の五合目と三合目に固まった気配がひとつずつ、南西の七合目と北西の六合目にひとつずつ、あとは南東の三合目付近にひとつ」
さらに深くまで探る。
「南西の七合目にいるのが槍兵隊、北西にいるのがおそらく山岳兵隊」
一理が頷いた。今いる場所が南南西の三合目付近―。この二隊を叩くには、どちらにせよ北上する必要がある。
「南西の麓にもけっこう兵士がいるな。仁たちが動き出したら、一気に集まってくるぞ」
「ま、そうなるだろうな」
だが、南西から脱出するしかない。どの隊とも遭遇せずに逃げ切ることができれば、それに越したことはないが、これだけ兵士がいればそれも難しい。
「ま、仁がいるから大丈夫だろ」
そう言ってから、一理はずっと気になっていた疑問を口にした。
「さっきから、明らかに異質な気配が混じってんな。なんだ?ありゃ」
「俺もずっと気になってた。なんか音が兵士っぽくねぇんだよな。軍の中の特殊部隊とかか?」
「四つの隊以外にも特殊部隊があるってことか?」
「嬢ちゃんが知らない隊があっても不思議はねぇだろ?」
「まぁな」
山中で息を潜めている敵の位置を確認しながら呟く。
「とりあえず、二隊を叩きに行くか」
一理が朗らかに言った。だが、それには答えずに、善はその異質な気配を探り続けた。
 二人は枝を蹴ると、今にも夕霧に隠されそうになっている樹々の中へ姿を消した。そして、枝から枝へ跳躍を繰り返し、凄まじい速度で北上し始めた。だが、しばらく進むと、一理が突然に口を開いた。
「なんだなんだ?」
飛びながら一理は空を見上げた。耳をぴくぴくと動かしながら的を絞る。すると、南西と北西の位置で静止していた気配が一斉に動き出す様子が伝わってきた。
「敵さん、急に動き出したぞ」
「あぁ、ずっと大人しくしてたのにな。急にどうした?」
「ばれたか」
一理が楽しそうに言うと、「かもな」と、善は短く答えた。ちらりと見ると、北の方へ意識を向けながら、なにやら難しい顔をしている。
「こんだけ距離があんだから、それはねぇだろ」
「こっちが動き出してから、すぐに向こうも動き出した。偶然にしちゃ出来過ぎだ」
「たまたまだろ、たまたま」
「どうだかな。こっちの気配を察知できる奴がいるのかもしんねぇぞ」
「そんな奴いるか?俺ら以外に?」
いるはずがない。だが、まるで二人が動き出すのを察知したかのように、二つの大きな気配が動き出した。しかも速い。凄まじい速度で移動している。
「こっちが動くのを待ち構えてたとしか思えねぇ動きだぜ」
確かに、偶然というにはあまりに頃合いが良すぎる。
「近くで見張られてたってことか?気配はなかっただろ」
善は考えた。洞窟を出る前に気配の有無は調べたが、誰もいなかったはずだ。いくら気配を消しても、音を完全に消し去ることはできない。善の聴覚が捉えるのは呼吸音だけではない。その範囲は心音、脈音にまで及ぶ。
「あの辺りには誰もいなかった」
「だろ?ありえねぇって。日が暮れる前に動き出すって目星をつけてただけじゃねぇか?」
「だとしても、同時に動き出せるか?明らかに不自然だ。狼煙は上がってなかっただろ?」
「あぁ、合図らしきものはなかった」
少しの間、善は押し黙った。
「俺ら並に耳が良い奴が各隊にいるとしたら、どうだ?」
「んな奴いるわけねぇだろ。考えすぎだ」
「ならいいがな」
善は意味深に呟いた。
「なんだなんだ?」
一理がまた顔を持ち上げた。バラバラに動いていた二つの気配が一斉に北上し始めている。速い。二人の顔に緊張が走った。
「偶然にしては出来過ぎてんな」
一理の表情が少々険しくなった。
「あの不気味な気配の奴らが怪しいな」
「あぁ、どんな能力を持ってるか分からねぇからな」
距離の離れたところから動向を探り、こちらが動き出したのを確認してから号令をかけた人間がいると仮定する。そうすれば辻褄は合うが、そんなことが本当に可能だろうか。同胞以外に、そんなことができる者がいるとは到底信じられない。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み